【Aパート サーバル、自分の気持ちを言葉で語る】
超巨大セルリアンと対峙し、かばんちゃん救出のために攻撃を行うサーバルとヒグマ。しかし、攻撃はほとんどセルリアンには通じず、打つ手のない状況です。
サーバル&ヒグマ:!!
(セルリアンの体内から、かばんちゃんのかばんが落下する)
サーバル:うー!うみゃ、うみゃ、うみゃみゃ、うみゃみゃ!!うみゃみゃみゃ!!うみゃみゃみゃみゃみゃ!!
ヒグマ:うおおおぉぉぉ!!
サーバル:うみゃみゃ!!ううー!(セルリアンの足にしがみつく)
ヒグマ:サーバル!林を超えたら船を見て走り出すぞ!離れろ!
サーバル:ダメだよ!まだかばんちゃんが!かばんちゃんが!
ねぇ、かばんちゃんを返して!返してよ!怖がりだけど優しくて、困ってる子のためにいろんなこと考えて、頑張り屋で、まだお話することも一緒に行きたいところも・・・
うう・・・返してよ!
「かばんがセルリアンから落下するシーン」の衝撃
かばんちゃんを取り返そうと息巻くサーバルですが、フレンズの技で攻撃してもセルリアンにはまったく通じません。かばんちゃん救出の有効打を欠く中、かばんちゃんが背負っていたかばんがセルリアンの体内からポトリと落ちてきました。
この光景に、サーバルはショックを受けます。かばんが落ちてきたということは「かばんちゃんがフレンズの形を保てなくなっている」ということを示す証拠だからです。遠目に見て、かばんちゃんがフレンズの姿ではなくなっていることはすでにわかっていたはずですが、辛い現実を突きつけられるような格好になったサーバルは、焦って攻撃を繰り返します。
サーバルの攻撃はセルリアンにまったく通じず、最後はセルリアンにしがみつくような格好になってしまいました。ここでも冷静なヒグマは、セルリアンに捕まったままだと危険だと考えてサーバルに離れるよう伝えます。
前回の考察で明らかにしたように、セルリアンを誘導するためヒグマは松明を複数、港に向かう方向に並べて着火していました。この松明の列をすべて飲み込むと、船に灯された灯りが見える位置までセルリアンが到達してしまうのでしょう。そうなれば、もうセルリアンが船に向かうのを止めるすべはありません。つまり、かばんちゃん救出までのタイムリミットは、正確には日の出までというよりも、「セルリアンが船の明かりを発見するまで」の間だということです。
サーバルはほとんど自分の気持ちを言葉にしてこなかった
ここでサーバルは、感極まってかばんちゃんに対して抱いていた己の思いを語ります。この一連のセリフは、サーバルがかばんちゃんをどのように捉えていたのかが確かめられる貴重な情報です。サーバルは登場シーンこそ多いものの、ほとんど自分の考えを口に出しません。もちろん、行動から考えをある程度読み取ることはできるのですが、それでは不十分な点も多いため、「主要キャラクターでありながら、心情を読み取るのが難しい」という特殊な立ち位置に置かれていました。
サーバルは明るく快活に振る舞うことが多いので、一見すると見た目通りわかりやすいシンプルなキャラクターだと考えてしまいがちです。しかし、実際にはサーバルはサーバルなりに、色々なことを考えて行動しているということを、過去の考察では明らかにしてきました。
今回はサーバル自身の口から語られたセリフという証拠があるので、初めて明確にサーバルの気持ちを読み取ることができます。
サーバルから見た「かばんちゃんの人柄」
サーバルがかばんちゃんをどのように捉えているのか、語られた内容をまとめると次のようになります。
怖がりだけど優しい
困っている子のために色々なことを考える
頑張り屋である
これからも一緒にいろんなところに言ったり、いろいろな話をしたりしたい
まず、「怖がりだけど優しい」という部分ですが、これはかばんちゃんの性格的な特徴として理解しやすいものではないでしょうか。たとえば、かばんちゃんは突然未知のものに遭遇するとすぐに「食べないでください!」と怖がる様子を見せています。これは臆病な性格を示す特徴だといえるでしょう。
かばんちゃんはパークを旅する間、遭遇するフレンズが何かに困っていると、必ず得意の知恵を発揮して助けてきました。これは、困っている人をみると放ってはおけない優しい性格を現しています。
「頑張り屋」という点は、出会ってまだ間もないころからサーバルが指摘していたかばんちゃんの長所です。過去、1記事を費やして解説した内容なので、詳しくはそちらを参照してください。
「もっと一緒に旅やお話がしたい」というのは、かばんちゃんへの気持ちというよりもサーバル自身の願望でしょう。「怖がりだけど優しく、人助けに余念がない頑張り屋のかばんちゃん」が大好きで、そんなかばんちゃんともっと一緒に居て、旅や会話を続けたいというのが、サーバルのかばんちゃんに対する正直な気持ちだと考えられます。
サーバルの役割も、このシーンで終了
今回の、サーバルのかばんちゃんに対する気持ちの告白は、11話のラストで描かれた「かばんちゃんのサーバルへの気持ちの告白」と対になっています。11話の考察を行った際、私はあの告白をもってかばんちゃんというキャラクターの内面と成長は全て描かれたため、「けものフレンズの作中における、かばんちゃんというキャラクターの役割は終了した」と説明してきました。
この捉え方で、同じようにこの場面のサーバルのセリフを捉えるならば、やはり「作中におけるサーバルというキャラクターの役割も終了した」といえるはずです。極端な話をすれば、このセリフの直後にサーバルが超巨大セルリアンに踏み潰されてしまったとしても、すでにサーバルというキャラクターが作中で果たすべき役割は完結しているので、ストーリー進行上の問題は生じないでしょう。
この時点で「かばんちゃんとサーバル、主要登場人物2人の役割がすでに終了している」という点については、それが作中の演出にどのような影響を与えたのか、また別の場所で説明したいと思います。
かばんちゃんを通じて「ヒト」を知ったサーバル
今回のサーバルのセリフについて、もうひとつ重要なポイントをご紹介しましょう。この一連のセリフは、「かばんちゃんに対するサーバルの想い」として捉えるのが普通ですが、そうではなく「ヒトに対する動物の想い」と捉えることもできるということです。
たとえば、ヒトは他の生き物と比べて「怖がり」だと言えるかもしれません。動物も危険を感じれば逃げようとしますが、感情としての「恐怖心」は特にヒトの特徴的なものでしょう。実際、巨大セルリアンに対峙しているヒグマは有効な策がない状況でも決して怖がってはいません。あくまで冷静に状況を分析して逃げるべきか戦うべきかその都度判断しているだけです。
「困っている子を助ける=優しさ」もまた、ヒト固有の特徴のひとつでしょう。動物は基本的に群れの仲間や自分の子どもでもなければ、自然界で他の動物が困っていても助けることはしません。当たり前のように困っている子を助けるかばんちゃんを見て、サーバルはそこに「優しさ」を感じたのでしょうが、もう少し捉え方を広げれば「動物の目から見たら、ヒトは優しい生き物」に映るといえるかもしれません。
ヒトが文明を発達させてきたのは、困難に直面しても諦めず「頑張ってきた」からです。そうした「頑張り屋」という特性もまた、ヒトの長所と捉えてもいいでしょう。そして、「怖がりで、優しく、頑張り屋なヒト」に対して、サーバル(動物)は、「もっと一緒にいろんなところに行きたい、たくさんお話したい」と思ってくれた、ということが、これらのセリフで表現されているとも言えるわけです。
もちろん、こうした捉え方は少し「ヒト」にとって都合が良すぎるかもしれません。かばんちゃんは、「ヒトはどう生きるべきか?」という問題を考えるにあたって、ミライさんという特定の、偏ったサンプルを参考にして答えを導き出しました。同じように、サーバルはかばんちゃんを通じてしか、ヒトという動物を知りません。いわば、ヒトのいい面だけを知って、悪い面を知らないとも言えるわけです。海外旅行の際、たまたま現地の人に親切にされたから「その国の人はみんな親切だ」というイメージを持つのと同じようなものでしょう。
一緒に旅を続けてきた結果、かばんちゃんを通じて「ヒトとはいい動物だ」とサーバルは認識してくれたわけですから、その点では我々人類はかばんちゃんに感謝しなければいけないのかもしれません。
コメント
ヒトが他の動物とは一線を画する特徴こそが「考える」ことです。人間は考えることで生きています。そして、それが原因で他の動物には無い感情が生まれました。「わからないこと」への恐怖です。
「サイレントヒル」というゲームにマネキンというクリーチャーが登場します。これはゲームなので攻撃してくるわけですが、これが仮に攻撃はしてこず、プレーヤーと一定の距離を保って着いてくるだけの存在だとしても相当怖いでしょう。
何をされるかわからないから怖い。生き物なのかどうかわからないから怖い。敵か味方かわからないから怖い。何を考えているかわからないから怖い…
動物よりもヒトに近くなった存在がフレンズなので、例えばハシビロコウに見つめられたときはサーバルも一緒に「なぜ見つめられるのかわからないから怖い」と感じていたでしょうが、かばんちゃんはさらに想像を巡らせサーバル以上に恐怖を感じていたかも知れません。
ヒトと動物の違いについては可能な限り、劇中の描写から読み取れる要素で表現しようと思っています。