「覇穹 封神演義」に見る「キャラの心理と背景描写を連動」させる演出方法

藤崎竜氏によって漫画化された中国の古典作品「封神演義」。今回はそのアニメ化作品である「覇穹 封神演義」の第6話「老賢人に幕は降り」のワンシーンを取り上げたいと思います。そこで使われているのは、キャラクターの気持ちの変化を、背景描写の変化という形で表す演出方法です。

覇穹 封神演義 第6話「老賢人に幕は降り」

西岐の領主姫昌が没し、悲しみにくれる姫発と太公望が語り合うシーン

(姫昌が次男姫発に後を託し病没する)

黄飛虎:雲も、風もねぇ。静かでいい天気だ。耳が痛むほどに・・・。

(姫発、屋根の上に登り背中を向ける。太公望、姫発の元へ行き話しかける)

太公望:姫発。

姫発:今は誰とも話さねぇ。

太公望:そうは行かぬ。お主はこれから忙しくなるのだ。

姫発:(太公望を平手打ちにする)悲しむ時間もねぇって言うのかよ!

周公旦:小兄様。

姫発:旦。

周公旦:小兄様には今後、王となってもらい、西岐は国家とします。殷と戦うにはそのほうが良いでしょう。

姫発:旦!てめぇ!

周公旦:国の名はこのあたりの民族名、周族からとって「周」が良いでしょう。では。

姫発:・・・お前らおかしいよ!親父が死んだら「はい次」ってわけか?

太公望:もう言うな姫発。人にはそれぞれの悲しみ方があるのだ。自分だけが悲しいと思ってはいかん。

姫発:・・・ハッ・・・風が・・・。

(姫発、父・姫昌の言葉を思い出す)

姫昌(回想):新しい国を作るのは発・・・お前に、回す。

太公望:姫発よ。行くぞ!殷を倒しに!

姫発:・・・フン。

(姫発と太公望、握手をする)

このシーンは、以前の記事で「漫画家・藤崎竜の作家性」がよく分かるシーンとして取り上げたのと同じ箇所ですが、今度は作中での意味合いに注目して見ましょう。

名作「封神演義」に見る藤崎竜の作家性
「封神演義」は中国は明の時代に作られた小説ですが、日本では藤崎竜氏が週刊少年ジャンプで連載した漫画を思い出す方も多いでしょう。 ...

父の死を乗り越える姫発の成長が描かれるシーン

主人公の太公望は、人間界で悪事を働く妖怪仙人「妲己」と彼女に操られ悪政を行う殷の君主「紂王」を倒すため、西岐の領主である姫昌を支援していました。ところが、姫昌は志半ばで病に倒れ、次男の姫発が後を継ぐことになる・・・。という流れから問題のシーンに移ります。

キャラの掛け合いを見てもらえばわかる通り、姫発は父を亡くした悲しみに打ちひしがれていますが、太公望と姫昌の三男・周公旦は姫昌の志を継ぎ、殷と戦う準備を進めようとします。最初は2人の感情が理解できず、衝突してしまった姫発ですが、太公望の言葉に心を動かされ2人とともに父の意志を継ぐことを改めて決意する、という流れになっています。

今回考えてみたいのは、「姫発が考えを改めたのは、本当に太公望の言葉がきっかけだったのか?」という点についてです。

シーンの前後で生じる「風」の変化

太公望の言葉は、「自分たちもお前同様、姫発の死は悲しい。しかし、故人の遺志を継ぐという行動で悲しみを表現している」という意味で、それによって姫発は一見冷淡にも思える太公望と周公旦が、自分と同じように父の死を悲しんでいることを悟ります。

この言葉をかけられた後、姫発は太公望と握手しているので、つい「姫発は太公望の言葉で説得された」と解釈してしまいがちなのですが、私はこのシーンで姫発の心を動かす鍵になったのは太公望の言葉ではなく「風」だったと考えています。

セリフの要約部分でもあえて抜き出していますが、姫昌が死んでから姫発と太公望が会話するシーンの前に、「黄飛虎がその日の天気について独り言を言うシーン」が挿入されています。これは言うまでもなく、「まるで姫昌の死を悲しむかのように、西岐の風や雲も静まり返っている」という様子を表しています。

これは同時に「姫発の心情を表す描写」でもあります。つまり、姫発はこの「西岐の天気」と同じように「父の死にショックを受け、ただ悲しみに暮れる」という方法で死者の喪に服しているわけです。

「風」が姫発の気持ちを変えた

一方、太公望との会話中、突如としてあたりに風が吹き始め、そのことに姫発が気がつくシーンがあります。この風が吹く描写は、ただ静かに死者を哀悼するのではなく、行動によって弔う「太公望や周公旦の悲しみ方」を表しています。

このときの描写を細かく見ていくと次のようになります。

  1. 太公望、「人にはそれぞれの悲しみ方がある」と姫発に説く。
  2. 姫発、何かを悟る
  3. 無風だった周囲に風が吹き始める
  4. 姫発、父から後を託されたことを思い出す
  5. 姫発、何かを決意する
  6. 姫発、太公望と握手を交わす

「2」で太公望の言葉を受けた時点で、姫発は「太公望と周公旦も、自分と同じように父の死を悲しんでいるのだ」ということを悟ったのでしょう。ですがそれだけでは「自分の悲しみ方」を変える理由にはなりません。

しかし、その後あたりに風が吹き始めます。この風を受けて姫発はなぜか父の「遺言」を思い出しているのです。そして、その後で何かを決意したように表情が変化している様子が見て取れます。これらのことから、姫発は風によって「何か」を察し、それが姫発の心境の変化を促したと解釈できるはずです。

このときの姫発には、周囲に吹き始めた風がまるで「父の言葉」のように感じられたのでしょう。だからこそ、まるで周囲の風が「2人と同じように、行動によって悲しみを表現するべきだ」と促しているように感じられたのではないでしょうか。

論理と感情を区別し、キャラに感情移入させる演出

本来であれば、姫発が太公望に諭されて考えを改めたとしても、理屈の上では問題ありません。ですが、そのように描いてしまうと姫発は「太公望に論理的に諭されて考えを改めた」ことになってしまいます。それでは、読者は頭では納得できても、キャラの心理に共感することができません。

今回のように、背景描写とキャラの心理描写を連動させて表現すれば、理屈は理屈として、感情は感情として分けて表現することができるようになります。「封神演義」は群像劇であり、個々のキャラの出番はそれほど多くはありません。だからこそ、ひとつひとつのシーンでいかに共感できるポイントを作るかが重要になります。そうした視点で見ると、こうした「背景とキャラ心理の連動」という手法は非常に効果的な演出だといえるでしょう。