機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス)- 第五話「ニャアンはキラキラを知らない」の考察です。
※第五話放送終了後~第六話放送開始前までに視聴した感想・考察です。
第四話の考察はこちら
ジークアクス世界の黒い三連星
イズマコロニー南端、運び込まれたキューブ状のスクラップが官民共同の太陽光遠心炉に運び込まれていきます。太陽光の熱でスクラップを加熱し、そこから金属資源をリサイクルしているのでしょう。
「官民共同」との記載から、スクラップの回収を行うジャンク屋は民間、遠心炉自体の運営は官営でおこなわれているであろうことが読み取れます。
おそらくはカネバンのように、ジャンク屋の大半は難民や食い詰めた退役軍人などが主体になっているのでしょう。それらの人々は、サイド6では苦しい生活を余儀なくされているものの、同時に利益を生み出す社会のサイクルの中に組み込まれていることもわかります。そうした人々の中に、ガンダムファンならよく知る「黒い三連星」のガイアとオルテガも含まれていました。
黒い三連星(くろいさんれんせい、Black Tri-Stars)は、 アニメ『機動戦士ガンダム』に登場する架空の部隊。ガイア、マッシュおよびオルテガの3名からなるモビルスーツ (MS) 小隊である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E3%81%84%E4%B8%89%E9%80%A3%E6%98%9F
作中の敵側勢力であるジオン公国軍所属。ドムに搭乗し、地球連邦軍のガンダムを操る主人公アムロ・レイを「ジェット・ストリーム・アタック (JSA)」という三位一体の連携戦法で翻弄する。
勝ち組になったマッシュ
ファーストガンダムでは、アムロが乗るガンダムに撃破された黒い三連星も、U.C0085の世界まで生存。うち最初にアムロに撃墜されるはずだったマッシュは、世帯を持ち、軍を辞めて市長になっていることがわかります。マッシュはファーストガンダムではセリフもひとつしかなく、後付でいろいろな設定はつけたされているものの、余白が多いキャラクターです。
残る2人、ガイアとオルテガはジャンク業者として働きながら「勝ち組」となったマッシュのニュースを見ている対象的な姿が描かれます。オルテガは「ひとりだけうまくやりやがって」と悪態をつきますが、ガイアは「マ・クベの野郎に追い出される前に辞めたあいつは利口だよ」と、マッシュをフォローしています。オルテガも本気でマッシュを妬んでいるわけではなく、後のセリフから「黒い三連星」に未だ強い愛着を持っていることが見てとれます。
ジャンクの買い取りには業者が行列を成していて、彼らの順番はまったく回ってきません。「ジャンクの買取価格が7%も上がっている。ジオンが買い占めているって噂だ」とガイアが語り、オルテガは「また戦争かね」と嬉しそうな様子です。ジオンが戦争の準備をはじめ、そのために鉱物資源の価格が値上がり、かつてパイロットとして名を馳せた彼らにもまた活躍の機会が巡ってくるのでは?という期待感があったのでしょう。
続くカットで映されるのは、黒い三連星現役時代のヘルメットと、当時販売されていたであろうグッズの数々。黒い星が3つ織り込まれた「航宙安全御守」と、3つのスケルトンが連なったキーホルダーです。
黒い三連星が名を挙げたのは、1年戦争序盤のルウム戦役において総司令のレビル将軍を捕虜にした活躍です。シャアがガンダムを鹵獲する以前の出来事ですので、ジークアクスにおいても同じ経緯をたどり、彼らを有名にしたと考えられます。
続くルウム戦役の直前よりガイア、マッシュ、オルテガの3人に固定される(この当時の乗機はザクII C型)[1]。JSAによって地球連邦軍艦隊を攻撃し、その総司令であったレビル中将(当時)の座乗する旗艦アナンケを撃沈したうえ、脱出を図ろうとする中将を捕虜にする。この功績によって名が広く知られるとともに、ザクII S型を与えられる[1]。「黒い三連星」の異名は、ザクII S型以降の乗機が黒を基調としたパーソナル・カラーに塗装されていたことによる[注 1]とも、着用していた揃いのノーマルスーツが黒であったことによる[3]とも言われる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E3%81%84%E4%B8%89%E9%80%A3%E6%98%9F
クランバトルにも手を出している様子ですが、おそらくカネバンと対して変わらない1ジャンク屋としてのクラン運営のため、採算は芳しくない様子です。1年戦争中に「手柄を独り占め」にした赤いガンダムをバトルで倒し、そのまま傭兵に転職しようと考える2人でした。
黒い三連星はなぜガンダムと戦うか
劇中での描写をもう一度順番に振り返ってみましょう。
①マッシュのニュースをガイア、オルテガが見る
②現状への不満と、戦争への期待
③赤いガンダムへの競争意識
①の時点では社会的に成功を収めているマッシュと、ガイア・オルテガの格差が描かれます。例えるなら、かつて一斉を風靡したものの、今はブームが去った人気タレントグループのうち、1人は政治家に転身して成功。残る2人は事業を始めたものの、あまりうまくいっていない、といった感じに近いのではないでしょうか。
さらにいえば、マッシュは「黒い三連星」や「戦争」といったものへの執着から解き放たれ、戦後世界に適応できています。一方、ガイアやオルテガは未だにかつてのジオンのエースであった自分たちを忘れられず、一定の執着があることが伺えます。
②のシーンでは、それがさらに顕著です。ジャンク屋やクランバトルでは将来がないこと、戦争が起これば再び自分たちにも活躍の機会が巡ってくるであろうことを期待しているのは、彼れが「1年戦争の頃のように、まだまだ自分たちは活躍できる」と思っており、それを願っているからでしょう。
黒い三連星の3人は、軍功によって出世した叩き上げで、まともな士官教育は受けていないはずです。その証拠に、ファーストガンダムではガイアは大尉、残る2人は中尉という階級でありながら、他の部下も持たずに3人で特務小隊を組む、という特異な編成を取っています。戦時中なら、戦場でいくらでも活躍の場があったでしょうが、平和な時代になるとそういった戦闘能力よりも、軍政や組織的な諜報活動といったスキルが求められる場面が増えてきます。「マ・クベに追い出された」というのも、彼らのスキルが戦闘に特化したものだったため、戦後のジオン軍には不要だと考えられたからでしょう。
岡田斗司夫氏はこうした黒い三連星の生き様を「ジオンのために戦うのでもなく、部下や家族とつながるのでもなく、ただ3人だけが仲間だった」と表現しています。本作の黒い三連星もそうしたキャラクター像が下敷きになっているのでしょう。
③のシーンで、彼らのそうした鬱屈した感情は「赤いガンダム」に向けられます。この点だけ見ると、第四話に登場したシイコ・スガイとも重なります。彼女もまた戦争中におった様々な感情を赤いガンダムを倒すことによって解消しようと考えた結果、クランバトルで対決するに至りました。
こうした「過去への執着を、ガンダムと戦うことで解消する」という部分で、シイコの存在は黒い三連星を理解するための補助線になります。シイコについては「1話だけで退場したがもったいない」という意見も多く、私もある程度理解できるのですが「既存キャラである黒い三連星の、本作における役割を理解しやすくするために、補助線として先にシイコを登場させる必要があった」というのが、私の考えです。
死のショックに向かい合うマチュ
場面は変わって、カネバンの屋上で水着姿のまま日光浴をするマチュのシーンです。ケーン、ジェジー、ナブらの会話から「戦場でシイコの死を目にしたこと」でショックを受けたマチュが、それを解消するために日光浴をしているのだ、ということがわかります。
ケーンが「マチュは俺らとは違って、戦場にならなかったサイド6の生まれだから(人の死にはショックがあるはずだ)」と語っていますが、ここからやはりジャンク屋=難民である彼らは皆「故郷が戦場になり、親や兄弟・友人も死んだか、散り散りになった」ということがわかります。彼らはシイコの死に大きなショックを受けていない様子でしたが、そういった意味で「人の死にはある程度慣れている」ことが確かめられました。
第五話のテーマは「覚悟」
ただひとり、まったく違うリアクションを示したがアンキーでした。「女心がわかっていない」と男たち3人を一蹴。コーヒーとドーナツを持って、マチュと語り合います。
ジークアクスに乗ってクランバトルで勝ち続けるマチュを「やはり只者じゃなかった」と褒め称えるアンキーですが、マチュは「赤いガンダムのおかげ」と謙遜します。アンキーは「そのマヴであるマチュもすごい」とフォローしますが、マチュは「でも・・・」と口ごもります。
マチュがここで言い淀んだことこそ、第五話のテーマである「覚悟」の問題でしょう。第四話のラストでマチュは、家族がありながら命がけで赤いガンダムに戦いを挑んだシイコと、彼女を止めるために自ら手を下したシュウジの「覚悟」を目の当たりにしています。それ以外のすべてを捨てて、戦いに自らの命をかけること、そんな相手の命を奪うことも厭わない「覚悟」がなければ「シュウジのいる場所には届かない」という実感こそが、彼女が受けたショックの正体です。
マチュの真意を誤解したアンキー
アンキーはそんな彼女に「これは、と思った相手であれば、頭の中空っぽにして追いかけてみるのも悪くない」とアドバイスしますが、実はこのアドバイスは、マチュの問題意識に対して微妙にズレた回答になっています。
マチュは「キラキラやシュウジのことをもっと知りたい。でもそのためにはシイコやシュウジのような覚悟が必要。そこまで自分に踏み込めるのか?」という点で悩んでいます。しかし、アンキーは「マチュは赤いガンダムのパイロットに惚れているから、彼と一緒にいるためにジークアクスに乗っているのだろう」と解釈しています。アンキーはマチュがキラキラに惹かれていることを知りませんから、その点でズレが生じてしまっているわけです。
誤解しながら話が進むのがジークアクス
ジークアクスを第五話まで見てきて気がついたことは「キャラ同士が誤解を伴いながらコミュニケーションをとっている」という点を、明示的に描いているシーンが多いということです。
第四話では、赤いガンダムのパイロット=シュウジを「欲しいものすべてが手に入る選ばれしもの」だと誤解したシイコが、それを否定するために彼に戦いを挑みました。極端な話をすれば、シイコとシュウジが戦う前に出会っていて「シュウジの願いがひとつだけであること(それ以外はいらないと考えていること)」を知っていれば、戦いは起こらなかったかもしれません。
そのシイコも、死の寸前にはキラキラによってシュウジの意思を理解、安堵して散っていきましたが、そんな2人を目にしたマチュは「死を覚悟して戦いに挑まなければシュウジのいる場所には届かない」と誤解してしまいます。まさに、誤解が誤解を生んでいく、という展開になっているわけです。
第五話でも、カネバンの男たちは「お嬢様のマチュは眼の前で人が死んだことでショックを受けている」と誤解しています。アンキーでさえも「マチュは恋愛で悩んでいるのだ」と誤解しています。基本的に主要な登場人物が会話をするときに、常に相手を誤解しながら物語が進行していく、という点は、非常に特徴的で面白い構造です。
コモリ、シャリア、エグザべの真意
ソドンでは「エグザべがひとりでジークアクスの捜索に向かった」という話をシャリアから聞き、コモリが憤ります。「サイド6当局でも、稼働中の未登録MSを把握できていないのに、ひとりでは無茶だ」といいますが、シャリアは気にする様子もなく、いつもの調子で「彼もニュータイプです。なんとかするでしょう」と返します。シャリアのリアクションから、彼に対する疑念と「厄介払いではないか」と訝しがるコモリですが、ここでもまた誤解が生じていると考えます。
シャリアは例によって、コモリに対して背中を向けています。なので、この時点での彼のリアクションは本心ではないと考えられます。直後のシーンで、キシリア派の市中スパイと会話するエグザべのシーンが描かれますが、シャリアの狙いは「エグザべを単独行動させ、キシリア派と接触させる」ことだったのではないでしょうか。
エグザべは正直に「今赤いガンダムに乗っているのはシャアではない(と、シャリアは言っている)」とスパイに告げますが、スパイの方は「ジークアクスが奪われたのはシャリアのはかりごとではないか」「シャリアを信用しすぎるな」とエグザべに忠告します。
シャリアは第二話(U.C0079)の段階ですでに「ギレンによってキシリアに送り込まれた」という立場です。ギレンからはキシリアの監視を命じられているはずであり、そのことをシャアから「板挟み」と表現されていました。また、その後にシャアと出会ったことで、彼に協力し「ザビ家を倒して新しい時代を作る」という理念にも従っています。シャリアの立場は「ギレン・キシリア・シャア」の三重スパイのような状態であり、同時にいずれからも疑われている状態なのでしょう。
私の考えでは、ギレン派から送り込まれた監視役が副官であるコモリであり、キシリア派から送り込まれた監視役がエグザべです。コモリの「厄介払いなのでは」というセリフは、彼女もまたエグザべがキシリアからシャリアの監視を命じられていることをなんとなく察していて、遠ざけるために単独任務をまかせたのでは、と解釈していると考えます。
マチュとニャアンの関係を示す心象風景
アンキーが去ったあとのカネバンの屋上で、まだマチュは日光浴を続けています。ここで「シュウジ、人が死んでも平気そうだった」と語っていることからも、やはり彼女が「人の死に対する覚悟」で悩んでいることがわかります。
意を決したように立ち上がったあと、場面は学校に変わり、クラスメイトが見守る中で走り高跳びをクリアするマチュの姿が描かれます。その後、マチュはニャアンと街なかで待ち合わせ、2人でコインランドリーに。クラバで使うパイロットスーツを洗濯しています。これらのシーンは一見すると何の関連もありませんが、ずっと挿入歌が流れていますから、これはマチュにとっての日常を表しているイメージカットなのでしょう。
マチュは学校では、クラスメイトたちから羨望の眼差しを受けている(女子校における王子様的ポジション)ものの、周囲のクラスメイトたちは彼女にとってはモブ的な存在です。1~3話で描かれる教室内のシーンでも、マチュひとりだけがセーターを着ていて、他のクラスメイトはひとりも着ていません。これも同様に「マチュにとって、そこには特別の存在はひとりもいない」ということをしめしているのでしょう。
一方で、ニャアンと過ごすマチュは、明確にニャアンを「友達」と意識して振る舞っています。洗濯に行くシーンでは2人は私服姿で、EDの映像のように個性的な格好をしています。普段はマチュの学校帰りに、制服を着て会うことが多いはずですから、これは実際に起きたことではなく、マチュの心象風景なのかもしれません。
クラバのコスチュームを洗濯しているのも、2人をつなぐきっかけになっているのはクラバであって、それがなくなれば一切の接点もなくなる、ということを意味しているのかもしれません。2人に対して、パイロットスーツは一つだけ、というのもこの後の展開を暗示させます。
「キラキラ」に興味を抱くニャアン
シュウジのねぐらに食べ物を運ぶマチュとニャアンのシーンでは、2人は制服に戻っています。この点からも、クリーニングのシーンは時系列的には無関係であることがわかります。
3人は「シュウジがなぜグラフィティを描くのか」について語り合います。マチュはアンキーに言われたことを思い出して、シュウジを異性として意識し、動揺してしまいますが、それを誤魔化しながら「シュウジがグラフィティを描くのは、キラキラを知っている他の人に見せるため」だとニャアンに説明しました。ここでタイトルである「ニャアンはキラキラを知らない」が意味的に回収されることになります。
マチュはキラキラを知らないニャアンのために「宇宙には本当は色がある」「朝日が海一面を輝かせるみたいな」と説明しますが、もちろんこれは比喩です。マチュは、おそらくはニュータイプという単語自体は知っているでしょうが、自分が経験したキラキラが「ニュータイプ同士の感応」である、という事実はまだ知りません。これもおそらくは物語上、重要な意味を持っています。マチュにとってニュータイプは「ヒトの革新」でもなければ「戦闘における強力な武器」でもないという事実は、後のストーリーに大きく影響すると予想します。
少し唐突ですが、ここで話題はいきなりジークアクスのことに移りました。マチュがキラキラを「海」にたとえたのに対して、ニャアンが「(本当の)海を見たことないのに?」と聞き返したことに対する返事として「ジークアクスに乗ってると、世界のほうが私に応えようとしてくれる」という返事をマチュが返すシーンです。一見すると、会話がつながっていないように感じられてしまいます。
マチュにとって宇宙や海は「自由」の比喩であることはこれまでの描写からわかっています。つまり、ここでジークアクスの話に転じるということは、マチュにとってジークアクスに乗ることは「自由になること」であり、それを最も象徴する体験こそがキラキラである、という説明をニャアンに伝えようとしているわけです。
シュウジはこの言葉に「それは彼がそうしろと言ってるんだよ」と続けます。「彼」とは赤いガンダムのことでしょう。文字通りに解釈するのなら「マチュがジークアクスに乗っているのは、赤いガンダムの導きによるもの」だと考えられます。この点については後々明らかになっていくでしょう。
ニャアンはなぜ突然服を脱いだか
その言葉を聞いたニャアンは、突如服を脱ぎ始め、シュウジと同じように赤いガンダムの上に下着姿で寝そべりました。これもすぐには意図がわかりにくい行動です。
第四話でのマチュとの会話から、ニャアンは「シュウジがなぜ地球に行きたいと思っているのか」、その理由を気にしていることがわかります。また、マチュとは異なってシュウジの言葉通り「ガンダムが地球に行きたいと言っているのだ」と解釈しています。
これらのことから、このシーンでニャアンがいきなり下着姿になったのは「シュウジのように、ガンダムの声が聞こえるかもしれない」と考えたからだと予想します。付け加えるなら、ニャアンもまた抑圧された難民という立場で、マチュとは違う観点から「自由」に憧れており、それを実践しているようにみえるマチュやシュウジを少しでも理解しようとこうした行動を取っている、と考えます。
ニャアンに恋愛意識はあるのか?
ところが、この様子を誤解してしまったのがマチュでした。マチュはアンキーに言われてからシュウジを異性として意識してしまっており「ニャアンもシュウジが気になっていて、アプローチしようとしているのでは?」と、ニャアンの行動の意図を誤解してしまいました。だから焦って対抗しようと、自分も服を脱ぎ、ガンダムに寝そべります。
話題は次のスペースグライダー購入の話へ。手付金を支払って仮契約した、あと2勝で買える、と語るマチュに「マチュもシュウちゃんも頑張ったから」とニャアンは2人を称えます。ここで初めてニャアンがシュウジを「シュウちゃん」と呼んでいることがわかりますが、この点から「2人も恋愛関係にあるのでは?」といった予想をする人もいます。
私の考えはそれとは少し違います。ニャアンが服を脱いだ理由は、前述のように「シュウジの地球行きの動機=ガンダムの言葉を理解したいから」で説明がつきます。また、マチュも動揺していないことからすでにマチュの前でも「シュウちゃん」と呼んでいるであろうことが予想できます。
これはニャアンもまた、マチュとシュウジを「友達」と考えており、片方のマチュをニックネームで呼んでいるのと同じように、シュウジも愛着を込めてニックネームで呼んでいるのだと考えられます。
ニャアンは現在17歳ですが、5年前の戦争で難民になったため、基礎的な教育や同年代との関係性の作り方は小学生の時代で止まっているはずです。そういう子供っぽさを表す演出だと解釈すれば理解しやすいでしょう。
エグザべとの出会いと、ロッカーに隠れる2人
調査を終えて駅で途方にくれているエグザべの前を、たまたまマチュとニャアンが通りかかったことで、事態は動き出します。マチュがジークアクスを奪った女学生ではないかと疑うエグザべの眼の前で、ニャアンが軍警に見つかり、職務質問が始まってしまいます。
軍警のニャアンに対する態度、それに対するニャアンの態度にマチュの怒りが爆発。軍警の股間を蹴り上げたことで、騒動が大きくなってしまいました。こうしたマチュの行動原理は、脚本の榎戸氏のインタビューでも語られています。
ニャアンとマチュはバラバラに逃走しますが、逃げ場を失ったマチュをエグザべが追跡。とっさにロッカーの中に2人で隠れる、という選択を取ります。このときのエグザべの行動は、かなり勇気がいる行動です。彼は無関係なのですから、成り行きを見守るだけでもよかったはずですが、それでも積極的にマチュを守りに行きました。もちろん、彼女がジークアクスを奪った犯人であった場合、軍警に捕まっていまうと厄介になる、という目論見はあったでしょう。しかし、元々彼はこのように苦労やリスクを厭わない、積極的な姿勢を持つ性格であることがわかります。
最初の赤いガンダムとの戦闘でも、リスクを承知でコロニー内での戦闘に持ち込みました。その後、ジークアクスを奪われたり、軍警に逮捕されたのは不運もありましたが、常にベストは尽くしています。今回単独で調査に出たのも、労苦をいとわない彼の性格によるものでしょう。
しかし、自分が犯人だとバレたのではと疑うマチュは、そうした彼の気持ちをしるよしもありません。見かけ上は、母親と同じように常識的な態度で接する「普通の大人」に見えるはずです。仮にジークアクスのことがなかったとしても、普通であれば特段近づきたい相手ではなかったでしょう。
時間を気にするマチュにも、エグザべは無理に質問をしたりはせず「クランバトルの時間になってジークアクスが出てこなければ決まりだ」と、状況証拠からマチュが犯人であることを明らかにしようとします。
マチュが逃げられないことを察したニャアンは、どうしようか悩みつつ、ある決断を下しました。
ニュータイプ=物事を瞬時に理解できるヒト
ニャアンの決断とは、マチュの代わりにジークアクスに乗ることでした。パイロットスーツに身を包み、マチュになりすましながら、ハロとともにジークアクスに乗り込みます。このとき、マチュがこないことに焦ったジェジーが「俺が出るか」といいますが、ナブは「ジークアクスはマチュにしか動かせない」とこれを否定しています。しかし、ニャアンはオメガサイコミュこそ起動できなかったものの、エグザべと同じ通常の操作方法でジークアクスを動かすことができました。これはなぜでしょうか。
ニャアン自身は「あのときもそうだったし、やれそうなときはやれる」と自信を見せていましたが、これはおそらく1年戦争中にプチモビルスーツを操縦して故郷のコロニーを脱出したことを言っているでしょう。
故郷が戦場となり難民となった時、幼い彼女は家族の安否を確認する暇もなく、単身プチモビルスーツでコロニーを脱出。運よく船に拾われてアマテ・ユズリハ(マチュ)の住むイズマ・コロニーに来た。最優先事項は生き抜くこと。
https://dic.pixiv.net/a/%E3%83%8B%E3%83%A3%E3%82%A2%E3%83%B3
私は、これはニャアンにもまたニュータイプの素養があることを示す伏線になっていると考えています。「MSの操縦技術があればジークアクスを動かせる」のであれば、ジェジーにも動かせているはずですが、そうはなっていません。おそらく、オメガサイコミュなしの状態でもジークアクスを通常操作で動かすための条件として「ニュータイプの素養があるか」が問題になっているのだと考えられます。
ファーストガンダムにおけるニュータイプの描かれ方については、過去の考察でも度々触れてきました。私は「ニャアンがジークアクスを通常操作で動かせた理由」も、同じではないかと考えています。
過去のインタビューの中で富野由悠季氏は、ニュータイプについて語っていますが、次のような文脈で語られたことがあります。
・軍人でもない素人の子どもが、いきなりMSに乗って「動かし方が瞬時に理解できる」という理由付けのために「物事の本質を瞬時に理解できる人間=ニュータイプ」という設定が必要だった。
つまり、ニャアンは元々、プチモビルスーツの操縦方法も知っていたわけではなく「生き残るために必死で乗り込んだときに、瞬時にわかってしまった」のだと思います。その時点でニュータイプとしての素養は十分にあったわけです。
今回も「あのときもそうだったし、やれそうなときはやれる」と語っていますから、同じように「ジークアクスの動かし方が瞬時に理解できた」のでしょう。
マチュについての解説ですが、こちらの動画の解説がわかりやすいので、参考にしてみてください。
黒い三連星とリックドム
バトルに間に合い「あとはシュウちゃんがなんとかしてくれる」と安堵するニャアンですが、シュウジは風邪で十分に戦えない状態です。敵クラン「BINARYS」はガイアとオルテガの2人。元々2人組が当たり前のクランバトルで、わざわざ「2」を意味するチーム名をつけていることからも「元々は三人いた黒い三連星のうち、2人だ」という点を強調していると考えられます。ジークアクス世界のリックドムは、標準的なカラーは緑とされていますから、乗機の専用カラーで彼らが黒い三連星である(もしくは、そのファンである)と、分かる人には分かるようにしているのでしょう。
シャリアも特に、今回の相手が黒い三連星だと気づいたかのような描写はありませんが、黒い三連星自体は当然知っていることをほのめかしています。
クランバトルを見るシャリアとコモリですが、ジークアクスが始まって以来、初の描かれ方をされています。これまで終始コモリに対して背中越しに話をしていたシャリアが、初めてコモリを正面に見据えて会話しています。ただし、今回は逆にコモリが彼に対して背を向ける形になっていますが。今回、この後半パートでシャリアがコモリに語る言葉は、基本的には本音で語っていると解釈していいでしょう。
「覚悟」がないニャアンが狙われる
ガイア、オルテガは事前に話していたように、まず「素人」であるジークアクスのほうを狙います。「戦場を知らねぇ素人が!」「こいつからは殺意が見えねぇ、お家でテレビゲームでもしてな!」と、まずはバズーカで攻撃。かわしたところに電磁ハーケンで攻撃し、電撃でパイロットに直接ダメージを与えます。
黒い三連星の攻撃には、2つの意図が見えます。ひとつは「戦場を知らない素人」が乗っているジークアクスを先に狙うこと。ジークアクスを撃破できれば、あとは2対1で赤いガンダムに数的優位が取れます。2つ目は「ジークアクスのパイロットに恐怖を与えること」です。元々操縦技術においては黒い三連星のほうがマチュやニャアンよりも圧倒的に有利です。その有利をさらに引き伸ばすために「パイロットに恐怖心を与え、パニックにさせることでより実力を発揮できないようにする」という狙いがあったのだと考えています。
実際、その後もガイア、オルテガはジークアクスの頭部を狙うのではなく、ハーケンで拘束しながらあえてキックやパンチなどの格闘戦を仕掛けています。電撃と合わせて「機体ではなく、パイロットにダメージを与える」ことを意図したものでしょう。ちょうど、シャアが01ガンダムにキックを食らわせたのと同じです。
「ジークアクスを使いこなせていたはずでは?」と疑問に思うコモリに、シャリアは「技術ではなく、覚悟の問題」と語ります。ここで第五話のテーマが、第四話でマチュに提示されたテーマと同じ「人を殺し、殺される覚悟を持てるか?」とリンクしていることが示されます。
しかし、ここで重要なのは今戦っているのはマチュではなく、ニャアンだということです。
ニャアンが体験するキラキラ
戦いの中でニャアンは怒りに目覚め、オメガサイコミュが起動します。初めてキラキラを体験するニャアンに、黒い三連星のジェットストリームアタックが迫ります。黒い三連星はキラキラの中に入ってくる異物として表現され、ニャアンは「嫌な匂い」と表現しました。シュウジがマチュとニャアンの匂いを嗅いで、彼らを理解しようとしていたように、ニュータイプ能力が発現すると五感もまた違う感じ取り方ができるようになるのだとわかります。
ニャアンがいう「嫌な匂い」、そしてキラキラのイメージの中で黒い三連星がまとっていたオーラは、彼らからニャアンに対して向けられる敵意・殺意の象徴でしょう。ジェットストリームアタックを防ぐため、ニャアンは赤いガンダムの頭部を掴み、盾代わりにします。敵のガイアですら思わず動揺してしまうような、強引なやり方でしたが、見事初撃を防いでガイアのバズーカを両断。その後迫ってきたオルテガは、ジークアクスがヒートホークで攻撃します。
これまで「戦場を知らない素人」だと高をくくっていた相手が、ベテランの軍人である自分たちですら動揺させるようなトリッキーな戦術と殺意を見せたことに驚くオルテガを、ガイアが制し、再度のジェットストリームアタックで勝負をかけようとします。
黒い三連星が負けた理由
「戦場ではどんな手を使っても勝てば良い」と語るガイアは、拡散ビーム砲で目潰しを図ります。ファーストガンダムでアムロのガンダムに対してもおこなった戦術ですが、ジークアクスから出されたダミーバルーンで逆に視界を奪われる結果に。彼自身が語った「どんな手を使っても勝つ」という方法を、彼らが舐めてかかっていたニャアンが誰よりも実践できている、という皮肉な結果です。
一時的にジークアクスを見失い、仕方なく赤いガンダムに攻撃を仕掛けるガイアですが、その隙をニャアンに狙われ、すかさずオルテガがフォローに回ります。体当たりでヒートホークを弾き飛ばし、至近距離からバズーカで頭部を狙ったまでは良かったのですが、ここで後方宙返りをするというアクロバティックな方法でニャアンは攻撃を回避、そのまま赤いガンダムから借りたビームサーベルでオルテガ機のコックピットを貫きました。
ガイアやオルテガのようなベテランパイロットが対応できなかったのは、おそらくMSの通常の操縦方法では、こうしたアクロバティックな動きを取るのは不可能だからでしょう。ちょうど、ファーストガンダムでアムロが、ガイアのドムを踏み台にすることでマッシュを撃破したのと似ています。ファーストのガンダムには教育型コンピュータが組み込まれていますから、そうした挙動の面で優位性があります。
拡散ビーム砲で視界を奪う、という方法も「視界以外の第六感で相手の動きがわかるニュータイプ」にい対しては決定打とはなり得ない、という点も、相性が悪かったところです。
「私が合わせなくて良い、私が思う通りに世界が応えてくれる、自由だ!」というセリフに、ニャアンのキラキラに対する印象が詰まっています。
ガイア、オルテガに「覚悟」はあったか?
ガイア機もシュウジに撃破され、戦いは決着。ガイアの最後のセリフが「マッシュがいてくれれば」なのも哀愁を誘います。元々2対2のクランバトルですから、3人いたところで戦えるのは2人までです。最後まで「本当の戦場」における過去の栄光にこだわり続けた、という点ではシイコとも重なりますが、ガイア、オルテガが彼女と違うのは「命がけでガンダムを倒す」という覚悟は持たず「クランバトルで有終の美を飾る」という目的で戦っていたところでしょう。
ガイアもオルテガも「素人が乗っているジークアクスを倒し、2対1で赤いガンダムを倒す」という形でクランバトルに勝利し、そのまま傭兵への転職をするつもりでした。シイコのように絶対に相手を殺すという信念で戦っていたわけではなく、頭部を破壊してバトルに勝利できれば十分だったはずです。もちろん「赤いガンダムよりも黒い三連星のほうが強いことを示す」といったプライドはあったでしょうが、そもそも現在のパイロットは彼らのライバルだったシャアではありませんし、マヴを殺されたシイコのような強い因縁もありません。
そもそも、戦後5年経ってジャンク屋に甘んじていたのは、マッシュのように平和な時代に適合できなかったからでもあるでしょうが、彼らにとって成り上がるための積極的な動機がなかったからでしょう。彼らが一番戻りたい場所であるはずの「戦場」が平和な時代にはなく、積極的に今の生き方を変えようとするモチベーションが働かなかったのだと思います。
しかし、「かつての仲間であるマッシュの成功した姿を見る(同時にスキャンダルに見舞われていることも知る)」「戦争の機運が高まりつつあるのを感じる」「先行きが見通せなかったクランバトルで、赤いガンダムの活躍を知る」といった複合的な要因が重なったことで「再び戦場に戻り、かつての栄光を取り戻したい」という気持ちが高まってきたのではないでしょうか。
皮肉にも、そのことが彼らの命を縮める結果になりました。
余談ながら、私がこのくだりで思い出したのは、鬼平犯科帳の「暗剣白梅香」というエピソードです。中村吉右衛門が主人公を演じたドラマ版では、第一部の第一話のエピソードとなっています。
https://www.fujitv.co.jp/onihei/backnumber/s1-1.html
この話は「とある理由から落ちぶれた侍が、凄腕の辻斬りとして恐れられたが、『これで辻斬りをやめよう』と決意した最後の戦いで剣筋が鈍ってしまい、遥かに腕が劣る相手にやられて命を落とす」というストーリーです。
ガイアやオルテガは、しきりに「戦場」や「殺意」といった言葉を繰り返し「素人」であるジークアクスのパイロットを馬鹿にする態度を取っていました。しかし、劇中では明確な描写こそないものの、他ならぬ彼らの「覚悟」も5年の歳月で鈍っていたのではないか、と私は考えています。
彼ら2人の個人クランであることや、資金的な問題もあったのでしょうが、旧式となったリックドムに乗り続け、クランバトルのランキングは上位でこそあるもの、ポメラニアンズと戦う前は4位という順位です。(第四話のマチュのスマホの画面より)
「黒い三連星の扱いが悪い」というガンダムファンの方の声もときどき耳にしますが、演出としては彼らがなぜ負けることになったのか、十分な描かれ方はされているのではないか、というのが私の理解です。
清濁併せ呑むシャリアの気概
「マヴでさえも、生き残るためには一方的に利用する」というニャアンの戦い方に対する人々の評価は様々です。「こんなのマヴとは言えない」というコモリに、「面白いとガンダムがいっている」と語るシュウジ、「すごいマヴだ、見たことがない」と評価するエグザべなど、賛否両論です。
コモリはジークアクス(オメガサイコミュ)の危険性を指摘。実力行使してでも即時回収すべきと進言しますが、シャリアは「ヒトの関わり方には色々ある、私はああいうマヴも嫌いではない」と答えます。これも一見、会話の繋がり方が理解しづらいシーンです。
コモリは、戦いの中で突然様子が豹変し、自分のマヴを利用して勝とうとするようなジークアクスの戦いぶりに「これは普通の兵器じゃない」といった警戒心を持ったのでしょう。それに対してシャリアは、オメガサイコミュに対する言及は表面上無視して「マヴのあり方」に話をそらそうとしています。
これだけだと意味がわかりにくいですが、シャリア・コモリ・エグザべの3人が、それぞれシャア・ギレン・キシリアの意を受けて「相互に監視し合う関係」だと捉えると理解しやすくなります。
コモリの立場としては「監視を明示されているのは、あくまでもそれぞれの立場によるものであって、その前に仲間なのだから協力し合うべき」と考えているのでしょう。実際、シャリアがギレンやキシリアの意に反するような行動を取らない限りは、裏で監視し合っていたとしても表面上はこれまで通り、良い仲間でいられるはずです。
一方、シャリアはキシリアから自分を監視するよう命じられているであろうエグザべを、あえて自由に行動させるという接し方をしています。これは「お互いに立場が異なることを理解し、その上で相手の自由を尊重する」という、難しいコミュニケーションの取り方です。「タヌキとキツネの化かしあい」、もしくは「腹芸」のような度量が必要なやり方です。シャアとの出会い、そしてその後の5年間がシャリアにこうした強かさを身に着けさせたのでしょう。
このシーンでのシャリアの真意は「自分は確かに、裏の目的があってジークアクスを泳がせている。でも君たちにもそれぞれ裏の顔があるんだから、お互い様でしょう」「全面的に仲良くするだけが本当の仲間、というわけでもないでしょう」といったような意味合いだと思います。ただ、ジークアクスのリスクが高まっていることも理解はしていて、備えとしてグラナダからかつての乗機であるキケロガを取り寄せるよう、手配することにつながっています。
ニャアンとマチュのキラキラの違い
ロッカーから脱出し、雨の中を走るマチュが気にしていたのは「自分とシュウジだけのもの」のはずだったキラキラが、別の誰かに奪われてしまうのではないか、ということでした。作業用トンネルにたどり着いた彼女の前に、ジークアクス、そしてハロが姿を表します。最後にコックピットから姿を表したのは、彼女のものだったはずのパイロットスーツや帽子を被ったニャアンの姿でした。
ニャアンが体験したキラキラと、マチュのキラキラには次のような違いがあります。
・マチュは「死を意識する」とキラキラが発現する
・ニャアンは「敵意・怒りが頂点に達する」とキラキラが発現する
・マチュのキラキラは「シュウジなど、他のニュータイプとの意識の感応」
・ニャアンのキラキラはひとりで発現する
・マチュのキラキラは「自由な空間(宇宙や海など)のイメージ」
・ニャアンのキラキラは「抑圧から開放される自由のイメージ」
・「世界のほうが自分に応えようとしてくれる」という点は共通
これらの謎は今後、徐々に明らかになっていくでしょう。
現時点で分かるのは、やはりニャアンはシュウジをまったく異性としては意識していない、という点です。マチュのように、彼を意識しているのならキラキラの際に彼とも感応していたはずですし、盾代わりにするなど、雑な扱いをするわけがありません。
しかしそれは、ニャアンの視点に立っていれば分かることです。マチュは現在、シュウジを異性として意識してしまっているので「キラキラも、ジークアクスのパイロットも、シュウジもすべてニャアンに取られてしまうのではないか」といった危惧が生まれてしまっているはずです。
それらはすべて、マチュの誤解に過ぎないのですが、誤解したままコミュニケーションが続いていくというジークアクスの原則に則るのなら、それが次の展開を動かしていくはずです。