【冒頭 サーバルの目覚め】
かばんちゃんとラッキービーストを助けるためにセルリアンに食べられたサーバル。その後かばんちゃんに助け出されましたが、今度はそのかばんちゃんがセルリアンに食べられてしまいました。そんなサーバルの目覚めから最終話は始まります。
サーバル:あっ・・・。
ヒグマ:起きたか?
サーバル:私、セルリアンに食べられて・・・。あっ、うまくいったんだね。ヒグマが助けてくれたの?
ヒグマ:・・・いや。
サーバル:あれ?かばんちゃんは?船の中?
(キンシコウとリカオン、暗い表情を見せる)
サーバル:ねぇヒグマ、かばんちゃんは?
キンシコウ:あなたを助けて、セルリアンに食べられたって・・・。
サーバル:えっ?早く助けなきゃ!
ヒグマ:戻ったら、倒れたお前と食われたかばんがいた・・・。私ではどうしようもなかった・・・。あれからかなり経ってすぐ朝になる。時間的に、もう・・・。
サーバル:そんなー!もう一度行こう!かばんちゃんはすっごいんだよ!きっと大丈夫だよ!
(大きな物音がする)
リカオン:動きました!セルリアンがきますよ!
キンシコウ:日が昇る前に決着を付けないと・・・。
サーバル:私一人でも行くよ!待ってて!
(ヒグマ、サーバルを引き留める)
ヒグマ:これまで、何度もセルリアンに食われたやつを見てきた・・・残念だが、切り替えろ・・・!
サーバル:・・・。
(ラッキービースト、船から港に降りる)
サーバル:ボスもなんとか言ってよ!あっ、そっか、かばんちゃんがいないと・・・。
ラッキービースト:サーバル、ここは僕に任せて。君とヒグマはかばんを。
サーバル:ほら!ボスもこう言って・・・ボス!?
ラッキービースト:かばんがなんとかなったら、セルリアンをここに誘導して。作戦通り船に重心が乗ったところで、転ばせるよ。
サーバル:うん、ねぇヒグマ、行くよ!
ヒグマ:・・・わかった。お前らの目線で動いてみよう。
記憶を失わず無事だったサーバル
眠っていたサーバルが目をさますところからスタートするという点で、最終話と1話には奇妙な共通点があります。そして、どちらの場合もサーバルが真っ先にやろうとしたことはかばんちゃんを探すことでした。
セルリアンに食べられてしまったフレンズは、「会話ができなくなり、記憶がなくなる」とされています。これは、フレンズから元の動物に戻ってしまい、またフレンズだったころの記憶を失ってしまうということを意味しているのでしょう。
サーバルはというと、フレンズの姿を保っており、過去の記憶も保持されたままでした。かばんちゃんの救出が早かったために、サンドスターをセルリアンに奪われずに済んだのでしょう。
目覚めたサーバルは、自分が救出されるまでの顛末を仲間たちから聞くや、何の迷いもなくかばんちゃんを救出しに行こうとします。このあたりも、かばんちゃんと出会って以来、サーバルの行動原理の中心にかばんちゃんがいることを証明するシーンです。
ヒグマの心に生じていた「迷い」
しかし、ヒグマは一度セルリアンに食べられたフレンズを救出するのは難しいこと、すでに時間が経過し日の出が近いことなどを理由に上げて、かばんちゃんの救出に反対します。かばんちゃんを助けられるかどうかはともかく、日の出までにセルリアンを退治できなければさらなる犠牲者が出る可能性もあるので、ハンターとしては当然の判断だといえるでしょう。
ここであくまでかばんちゃんを助けることにこだわるサーバルとの間に、意見の対立が生まれるわけですが、私はこのシーンのヒグマは、「かばんちゃんによるサーバル救出」に反対していたときとは気持ちに大きな変化が生じていると思います。
ヒグマはかばんちゃんの救出に反対する理由として、「これまで何度もセルリアンに食われたやつを見てきた」と発言しました。これは、「セルリアンに食べられたフレンズを救出できた試しはない。だからかばんちゃんを助けることはできない」という意味でしょう。ですが、このヒグマの発言は厳密には正確とはいえません。
なぜなら、そう伝えている相手のサーバル自身が「セルリアンに食べられて救出されたフレンズ」にほかならないからです。従って、ヒグマは「セルリアンに食べられたフレンズが救出された事例」を目の当たりにしているわけで、「セルリアンに食べられたフレンズを救出するのは不可能である」という主張には穴があることになります。
ヒグマの葛藤を示す珍しいカット割り
次は視点を変えて、演出方法からこのシーンに隠された意図を推測していきましょう。このシーンの演出を見ていると、「ヒグマ1人だけの表情を写したカット」が何度も挿入されています。けものフレンズの本編を見返してみればわかるのですが、こうしたカットはあまり多くありません。
まず、複数のフレンズが同じ場所に会しているときは、基本的に引きのアングルでその場にいる人物が複数映るように描くのがけものフレンズの基本的なスタイルです。その他、かばんちゃんやサーバルなど、主要キャラクターの表情変化を見せたいときは、ほかの人物がいても特定のキャラだけにフォーカスして写すことはあります。たとえば、今回取り上げたシーンでは、かばんちゃんを助けに行こうと主張するサーバルの表情を何度もクローズアップしているのがいい例でしょう。
そして、それと対になるように挿入されているのが、「ヒグマ1人の表情だけを写したカット」なのです。たとえば、目覚めた直後「かばんちゃんがいないことを不思議に思うサーバル」を写した後には、サーバルに事情をどう説明するべきか迷っているかのような、「沈痛な面持ちのヒグマを写したカット」が挿入されます。
その後も、ヒグマが倒れたサーバルを発見したときのことを回想する表情を見せれば、次はサーバルがかばんちゃんを助けに行こうと主張するカットを挿入するというふうに、今回取り上げたシーンではサーバルの表情変化とヒグマの表情変化がほぼワンセットで進行しています。このような演出が取られた理由は、「ヒグマにもサーバルと同じような感情の変化が生じている」と解釈するしかありません。
「奇跡」を信じるか迷うヒグマ
このシーンのサーバルは、「かばんちゃんがセルリアンに食べられてしまった」という事実を知り、救出に行こうとするもヒグマに制されるなど、焦りや葛藤を含んだ複雑な感情変化が生じているのはわかりやすいでしょう。それに対して、ヒグマは一見すると感情で動こうとするサーバルを冷静に諭しているように見えます。
しかし、こうした演出を見る限り、ヒグマの心中にも同じく「複雑な葛藤」が生じていたと解釈するべきでしょう。何しろ、このときのヒグマは絶対に不可能だと思われていた「セルリアンに食べられたフレンズの救出」が実現した光景を目の当たりにしているのです。「奇跡を起こしたかばんちゃんを助けず、そのまま見捨ててしまっていいのか?」という葛藤に悩まされているとしても、不思議ではないでしょう。
ヒグマはセルリアンハンターのリーダー格であり、かばんちゃん亡き今、セルリアン退治の指揮官的立ち位置でもあります。本来であれば、「奇跡」を信じず、作戦の成功を目指す立場です。自分が実際に見た「奇跡」を起こしたかばんちゃんを信じるか、それとも今までの自分の常識や行動原理を信じるか、ヒグマ自身の内面で葛藤が生じていたことは想像に固くありません。
このような心理的葛藤がヒグマに生じていた証拠は、ほかにもあります。最終的に、ヒグマは「フレンズにはしゃべらないはずのラッキービーストが、サーバルと会話する光景」を目にしてかばんちゃん救出に同意しました。ですが、もしヒグマが「セルリアンに食べられたフレンズを助けるのは不可能」、「さらなる犠牲者が出る前にセルリアン退治を優先するべき」と考えていたのなら、ラッキービーストがサーバルに同意したからと言って持論を覆す理由がありません。
このシーンも、先に述べたような葛藤がヒグマの心のなかで生じており、「セルリアンに食べられたフレンズの救出」という奇跡に続いて、「ヒトでないフレンズとラッキービーストが会話する」という新たな奇跡を見たことで、「かばんの救出も不可能ではないかもしれない」と考えるに至ったと解釈すれば説明がつきます。
一見不可能と思えるような奇跡(ジャガーの表現を借りるならば「魔法」)を見せることによって、出会うフレンズの心に変化を与える・・・。それこそかばんちゃんが持っている他人にはない、偉大な力なのかもしれません。