【Bパート かばんちゃんの最後?】
サーバルをセルリアンの体内から奪還したかばんちゃんでしたが、サーバルの意識は戻らず、セルリアンもヒグマの松明を見失い進行を停止してしまいました。夜明けまでの時間が迫る中、かばんちゃんがとった行動とは?
(かばんちゃん、松明に点火し、セルリアンを誘導。)
かばんちゃん:(サーバルちゃん、見るからにダメで、なんで生まれたかもわからない僕を受け入れてくれて、ここまで見守ってくれて・・・。)
(かばんちゃん、セルリアンが自分を追いかけてくるのを確認し、船の方向へ誘導。途中で歩みを止め、倒れているサーバルの方を見る。)
かばんちゃん:ありがとう。元気で。
(セルリアン、かばんちゃんの頭上から脚を振り下ろす)
かばんちゃん、セルリアンに食べられる
最終回まで残り1話となった11話のラストは、「かばんちゃんがセルリアンに取り込まれる」という衝撃的な展開となりました。細かいことですが、サーバルを助け出したとき、地面に叩きつけられた衝撃でかばんちゃんの頭から帽子が脱げてしまっており、これ以降のかばんちゃんは帽子がない状態になります。
かばんちゃんが逃げなかった理由
サーバルが目を覚まさず、セルリアンが進行を停止したのを見たかばんちゃんは手に持っている松明に火を付けました。サーバルが目を覚まさなかったため、取り急ぎ次にやるべきことはセルリアンを船まで誘導することだと考えたのでしょう。
このあと、かばんちゃんがセルリアンに捉えられてしまったので、「もっとセルリアンとの距離を取ってから点火したほうが良かったのではないか」、「サーバルを安全な場所に移してからのほうがよかったのではないか」と考える方もいるかもしれません。
かばんちゃんが急いで松明に点火した理由としては、夜の間しか明かりを使っての誘導ができないため、急いで作戦を継続する必要があったためでしょう。劇中の時間経過がわからないので、このシーンの時点でどの程度夜明けまでどの程度の時間的余裕があったのかは不明ですが、同じようにかばんちゃんたちも夜明けまでの正確な時間など知る由もありません。作戦が失敗すれば犠牲者が出る可能性もある以上、一刻も早くセルリアンを誘導しようと判断していたとしてもやむを得ないでしょう。
また、かばんちゃんはフレンズの中では走る速さがそれほど速いわけでもありません。距離を取ろうと取るまいと、そもそもかばんちゃんでは走ってセルリアンから逃げるのが難しかった可能性もあります。
実際、かばんちゃんよりも遥かに走るのが速いと考えられるヒグマも、松明を持って走り出した直後にかばんちゃんがいないのに気がついたにもかかわらず、現時点まで戻ってきていません。おそらく、黒いセルリアンはヒグマの脚の速さでも全力疾走しないと追いつかれてしまうほどの速さをもっているのでしょう。
ちなみに、動物のヒグマの走る速さは時速60kmとされています。これは100m走の世界記録を持つウサイン・ボルトよりも速いスピードであり、しかも港までの距離は100mよりも遥かに遠いはずです。ヒトよりも走るのが速いヒグマが戻ってくる余裕がないほど全力疾走しなければならない状況なのであれば、最初からかばんちゃんに松明を持っての囮役は無理だったということになります。
かばんちゃんは松明に火をつけた時点で、すでにセルリアンに食べられることを覚悟していたのでしょう。
かばんちゃんの「遺言」の意味
サーバルが巻き込まれて食べられるのを防ぐため、またセルリアンを船に近い方向に誘導するためにかばんちゃんは松明を持って少しの距離を走って逃げます。しかし、セルリアンが脚を振り上げると、逃げるような素振りも見せず、優しくサーバルのほうを見ながら最後のときを迎えました。
これは、「最後の瞬間は、ともに旅をしてきた一番の友人であるサーバルを見ていたい」という思いの表れた行動だったといえるでしょう。恐怖の表情を一切見せず、落ち着き払ってセルリアンの攻撃を受けたのはやはり覚悟を決めていたことを示すものです。
かばんちゃんがセルリアンに食べられることを覚悟した後、まるで別れの挨拶かのようにサーバルに送った、最後のメッセージの意味を紐解いてみましょう。
メッセージの中で、かばんちゃんは自分のことを「見るからにダメ」、「なぜ生まれたのかもわからなかった」と語っています。最初の「見るからにダメ」という部分は、おそらく1話でサーバルとともにさばんなちほーを旅したときの様子を語っているのでしょう。
このとき、かばんちゃんはまだ生まれたばかりということもあって、崖を下ったり、川を飛び越えたりするのにも四苦八苦していました。しかし、そんなかばんちゃんをサーバルは優しく見守り、「長距離移動ができる」、「頑張り屋である(他人の力を当てにしない)」といった長所にもいち早く気がついています。
続く、「なんで生まれたのかもわからなかった」という部分は、二通りの意味が込められていると思います。ひとつ目は、「どのようにしてかばんちゃんが生まれたか?」という原因そのものがわかっていないという意味です。これは12話において明らかにされるため、そのときに解説することにしましょう。
「先立つ飼い主がペットに向けて送った」メッセージ
もうひとつの意味とは、より本質的なこと。つまり、かばんちゃん自身のアイデンティティのことを指します。動物が生まれることには、本来理由などありません。両親がいて、子孫を残すために子どもや赤ちゃんを生むからこそ、すべての生命はこの世に生を受けることになるわけです。
しかし、12話で正確に判明することですが、かばんちゃんは「動物の遺物から生まれたフレンズ」でした。従って「動物だったころの記憶」というものを持ち合わせていません。仮に動物としてある程度成長し、その後フレンズ化していたのなら、その間両親から育てられるなり、自然環境の中を1人で生きていくなりして「自分とはどういう生き物であるか?」ということをある程度自覚していたことでしょう。
ですが、かばんちゃんはそうした経験がまったくない状態で、いきなりこの世に生を受けました。そんなかばんちゃんにとって、「自分は何者で、どのように生きるべきなのか?」という問いは極めて重要な意味を持っていたはずです。だからこそ、「自分は何の動物であるか?」を調べるために図書館に向かい、ヒトであることが判明した後は「ヒトはどのように生きるべきか?」という疑問の答えを求めて旅を続けてきたのです。
かばんちゃんにとって、自分自身が何者であるか・どのように生きるべきかを知ることは、誕生以来一貫した人生の目的そのものだったということになります。そして、その旅にずっと寄り添い続けてきてくれたのがサーバルでした。つまり、かばんちゃんがここでサーバルに送った最後の言葉には「自分の人生に寄り添い続けてきてくれてありがとう」という意味が込められていると解釈できます。
そんなかばんちゃんも、旅の果てに「パークとそこで暮らすフレンズを救う」という生き方を見つけました。その目的のためならば、たとえ自分の身を犠牲にしても構わないという覚悟を決めて「暫定パークガイド」となり、今回の戦いに参加したはずです。
生まれてからずっと続けてきた旅の目的が達成されたため、かばんちゃんは「ここで自分が犠牲になったとしてもパークが救われるのなら構わない」と考えていたことでしょう。すでに思い残すことがない状態になっていたからこそ、セルリアンの攻撃を前にしてもまったく恐怖を感じていなかったのです。かばんちゃんが犠牲になったとしても、それでパークが救われるのなら、サーバルはその後も幸せに暮らしていけます。
現実世界で例えるのなら、「飼い主がペットに先立ってこの世を去ることになったが、自分の人生に悔いはなく、自分亡き後のペットの行く末についてもしっかり準備していた。最後のときが迫る中、今まで自分に寄り添ってくれていたペットに感謝の気持ちを述べながら息を引き取った。」というようなシチュエーションに置き換えられるでしょうか。
最後のPPP(ペパプ)予告
(ステージ上にPPPメンバーは誰もいない。ラッキービーストの耳が見え、電子音を発している)
コウテイペンギン(コウテイ):次回、「ゆうえんち」。
これにて11話の本編は終了。残るは12話に向けた最後のPPP予告だけとなりました。しかし、今回のPPP予告はいつもとは様子が異なっています。
いつもなら、PPPメンバーの人形がステージ上に集まり、声優さんのフリー演技で次回に登場するフレンズの元となる動物の予習をするという流れでしたが、今回は誰もいないステージの中央にラッキービーストが耳だけを出して佇んでいる、という状態でした。語りも、ただコウテイが一言次回のタイトルである「ゆうえんち」を告知して終わりというシンプルなものです。
この予告には以下のような疑問点があります。
- なぜPPPメンバーがいないのか?
- なぜラッキービーストがステージにおり、電子音を発しているのか?
- 次回タイトル「ゆうえんち」の意味とは?
これらの謎はすべて12話で明らかにされるので、解説はそのときに行うことにしましょう。