2017年に公開されたケネス・ブラナー監督・主演の映画「オリエント急行殺人事件(原題:Murder on the Orient Express)」の感想です。ネタバレなしの感想では語り尽くせなかった、本作の魅力をご紹介したいと思います。
ネタバレなしの感想も合わせてご覧ください。
本作のポアロは「2時間ドラマの刑事」っぽい
本作は、主人公のポアロがエルサレムで朝食をとっているシーンから始まります。エルサレムは、ユダヤ・キリスト・イスラムからなる三大宗教の聖地。事件解決を依頼されているのに、「朝食のゆで卵2個の大きさが違っている」としょうもないことにこだわって何度も作り直しをさせているところから始まります。
このシーンで、ポアロがバランスを重視する気難しい性格だということ、そしてそんな人物であっても、周りがおとなしく付き合わなければいけないほど実力を認められた優秀な探偵だということが視聴者にひと目で伝わるようになっています。
ポアロは早速謎解きを開始しますが、ロジカルなトリック解説などはせず、ただ淡々と証拠をいくつか上げ、それを元に容疑者の中から犯人を断定しました。
このことから、本作におけるポアロは、機械的なトリックを科学的な推理によって解き明かすタイプの探偵ではなく、複数の証拠から最も怪しい容疑者を問い詰めていくタイプの探偵である、ということが視聴者に示されます。誤解を恐れずにいえば、日本の2時間ドラマに出てくる刑事の謎解きと同じ方式だと言ってもいいかもしれません。
実をいえば、私は日本の2時間ドラマは少し苦手にしています。刑事役が犯人を感情的に追い詰めるシーンや、犯人が犯行に至った経緯を情緒的に説明する、いわゆるお涙頂戴の演出が好きではないからです。しかし、そんな私でも本作のポアロによる捜査シーンは楽しめました。お涙頂戴的な演出はあることはあるのですが、ストーリーの展開が速くテンポが良いため、日本のドラマほど演出がくどくなかったからです。
作品を彩る独自の映像美
次は、ネタバレのなしの感想の方で軽く触れた、独特の絵作りについてご紹介したいと思います。本作では、普通にやってしまうと似たような絵の繰り返しになってしまいがちな「密室での事件捜査」を、美しい背景描写と細やかな場面の切り替えによって動きのあるものにしています。
たとえば、ポアロたちがオリエント急行に乗り込むイスタンブールでは、列車が出発する際、あえて近くの建物の上、それも列車に向かって手を振る人々の上というかなり離れたアングルから撮影しています。そうすることによって、アジアとヨーロッパの文化が融合した美しいイスタンブールの風景をスクリーンに映し出す機会を意図的に作り出しているのです。
映像的な山場のひとつである、オリエント急行が雪崩に巻き込まれるシーンでは、雪山に雷が轟き、山から雪崩が列車に向かって襲いくるシーンをこちらも遠巻きにとらえています。
「見せたい場面を効果的に見せる」独特のカメラワーク
これらに加えて特筆したいのがカメラワークです。まず取り上げたいのが、ポアロが被害者の遺体を発見するシーン。列車の通路を、天井から見下ろす形で捉えるというアングルで撮影しています。映像的な斬新さも去ることながら、鍵がかかったドアを杖を使ってこじ開け、中に入るポアロの手際の良さも心地良いシーンです。
部屋に入ったポアロは、変わり果てた被害者の姿を発見します。このとき、続けて「医者の先生を呼んでくれ」、「被害者はいかがですか?」、「12箇所もいろいろな方向から刺されている」というふうに、犯行現場の状況が説明されていくのですが、カメラは屋内に移動せず、廊下の外を映したままなのです。そのため、視聴者は言葉だけで犯行現場の状況を想像しなければなりません。
そして、そのまま場面が切り替わり、犯行現場が映されることなく、数人の容疑者への事情聴取が行われます。その後、再びポアロが現場を調査する場面で、先ほどと同じように天井から床を見下ろすアングルで、ようやく犯行現場の様子と、被害者の姿が映し出されるのです。
わざわざポアロが被害者を発見するシーンと、視聴者に被害者の様子を見せるタイミングを分けることによって、インパクトのある絵面をより効果的に演出しているのです。もちろん、ポアロが部屋に入るときと、被害者の様子を映すカメラアングルが一致しているのは意図的なものでしょう。
もうひとつ、特徴的な絵作りとして、ポアロが列車に同乗していた、旧知の仲である鉄道会社の重役から事件の捜査を依頼されるシーンをご紹介しましょう。このシーンは、社内の窓から外を眺めるポアロと、その後ろから説得を行う重役の姿を、窓の外側から映すアングルで撮影されています。
カメラの焦点は最初、ポアロの方に合っていて、「休暇中だ、警察に任せればいい」と捜査協力に難色を示すポアロの表情が映し出されます。その後、一旦背後にいる重役にカメラの焦点が移動し、ポアロを説得する様子が映し出された後、焦点は再度ポアロの方に戻ります。このような演出を行う意図は、その後のポアロの表情の変化に注目させるためでしょう。
「警察に任せたら、彼らは予断と偏見で犯人を決めてつけるだけだ。過去に犯罪歴のあるものや、黒人の乗客が犯人に仕立て上げられるかもしれない」という重役の言葉を聞いたとき、ポアロの表情が一変します。犯罪捜査においては、善と悪をきっちり区別するのが本作のポアロです。「無実の人間が罪を着せられるかもしれない・・・」という可能性から、一転して捜査にやる気を出した瞬間のポアロの表情を見せるための実に効果的な演出です。
随所に織り込まれた緊張感のあるアクションシーン
本作のポアロは犯人に「罠」を仕掛けて逃走を妨害するなど、頭脳だけでなく肉体も駆使して積極的に犯人を捕まえようとします。原作のポアロは頭脳労働がメインで、荒事はあまり行わないイメージがありますが、この映画ではアクションも積極的にこなしています。
事件が起きたあとは、基本的に「ポアロが捜査を行う→有力な容疑者が浮かび上がる→ポアロが容疑者を問い詰めていると、新たな事件が発生する」という流れで展開していきます。つまり、捜査の途中で次々と新たな事件が発生し、そのたびに有力な容疑者が別の人に変わっていくため、最後まで退屈することがありません。
証拠隠滅を図り、列車外に逃走した容疑者とそれを追うポアロの追走劇、逆上した容疑者に銃を向けられ、命の危険に晒されたポアロの格闘シーンなどもあります。
小ネタ:なぜかたびたびディスられるアメリカ
本作にはシリアスなシーンばかりでなく、コミカルなシーンもあります。ポアロがチャームポイントである立派な髭の形が崩れないように髭にマスクをして寝ているシーンなどもそのひとつでしょう。
私の印象に残ったのは、なぜかところどころでアメリカをサゲてヨーロッパを上げる発言が出てきたことです。
「人種差別があるアメリカでは結婚できないから、ヨーロッパまでやってきた」
「アルコール依存だから、禁酒法のあるアメリカでは生きにくかった」
「アメリカに行ったことは?」「いいえ、一度も」「それは嘘ですね?」「・・・はい、生活のために仕方なく」
というように、随所で「アメリカはダメ、ヨーロッパはいい」というようなセリフが織り交ぜられていました。あれは多分欧米では自虐(あるいは皮肉)の要素が入った笑えるシーンなのかもしれないと思いましたが、日本人の私の感性ではよくわかりませんでした。
2017年版「オリエント急行殺人事件」のテーマ:善とは何か?悪とは何か?
原作を既読の方はご存じだと思いますが、オリエント急行殺人事件では「正義のための復讐を是とするかいなか」について、ポアロに最終的な決断が任される展開が待ち受けています。
本作のテーマはこうした原作の要素を活かしつつ、「善とは何か?悪とは何か?」を、見る人に問いかけるものになっています。
私が原作小説を読んだのは随分昔のことですが、そのときは作品にこうした哲学的なテーマが込められているようには感じませんでした。
たとえば、日本には「忠臣蔵」というお話があります。非業の死を遂げた主人のために、元部下の武士たちが仇討ちを行う話ですが、この話が作品化されるときには、ほぼすべて悪に復讐する勧善懲悪の物語として描かれます。
忠臣蔵が映像化されるときは、見る人に対して「いかに相手が悪人とはいえ、私的な復讐を行うのは正しいのか?」といった哲学的な問いかけがなされることは稀です。私が「オリエント急行殺人事件」の原作を読んだときの印象もそれと同じで、劇中の登場人物たちの行動や、最終的なポアロの決断は「善」として描かれていたと記憶しています。
それに対して、「劇中の行いは善か悪か?」という問いかけを行ったのが、ロンドン・ウィークエンド・テレビ(London Weekend Television)制作のテレビドラマ版「オリエント急行殺人事件」でした。
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LWT版の「オリエント急行殺人事件」は、全体的に暗くシリアスな雰囲気が漂っており、ポアロは最終的に原作と同じ決断を下すものの、それは苦渋の決断であり、本人の心にも暗い影を落とす・・・というお話になっています。
では、本作はどうかというと、「哲学的な問いかけはあるものの、LWT版ほど暗い形で示されるわけではない」というのが私の印象です。すでにご説明したとおり、本作のポアロは「善は善、悪は悪」というはっきりした性格の持ち主です。そのため、真実にたどり着いたとき、果たしてどうするべきか、LWT版のポアロと同じく苦悩することになります。
ただし、本作のポアロは今回起きる殺人事件の直接的な原因となった、過去に起きた事件に「自分自身が関わっていた」という設定になっています。はっきり言ってしまうと、「事件が起きたとき、被害者の家族から捜査を依頼されたが、間に合わず最悪の結果を招いてしまった」というものです。
そのため、本作のポアロにとっては「オリエント急行で起きた殺人の真相を突き止めることは、過去自分が解決できなかった事件に決着をつけることになる」という意味を持つことになります。そんなポアロが最終的にどんな決断を下したのかは、原作を知っている方なら説明しなくても予想できるかと思います。
2017年版「オリエント急行殺人事件」のラストシーン
本作のラストでは、ポアロの心の中の声が流れます。それは、「オリエント急行殺人事件」の引き金となった過去の被害者たちに対する手向けの言葉であり、同時に「自分は過去の事件に決着を着けるために、今回こういう決断を下しました」という、ポアロ自身の独白にもなっているのです。
そしてすべての謎解きが終わったあと、オリエント急行は乗り換えの場所であるカレーに到着。ただひとり、ポアロだけが下車して乗客たちと分かれることになります。このときの映像描写も圧巻です。カレー駅の周辺には数センチほど雪が降り積もり、赤い太陽の光が反射して輝いています。駅に降り立ったポアロの元には、新たな事件の発生と捜査の依頼を告げる使いの者がやってきます。
使いの話を聞きながら、発車して次の駅に向かうオリエント急行に目をやるポアロ。彼の目線の先には、同じ列車の中で同じときを過ごし、そしてこの先二度と会うことのない乗客たちの顔が映し出されています。
彼らを見送ったあと、ポアロは使いの者に「ネクタイが曲がっている」と伝えます。これはなんでもバランスが整っていないと気がすまない、彼の性格を表す特徴です。オリエント急行で起きた事件について、何が前で何が悪か、彼自身の良心に従って判断を下したポアロでしたが、すべてが終わった今でも彼の中の善悪の天秤は変わっていないということが示されたのです。
ここで列車は画面の奥側に、迎えの車に乗ったポアロは画面の手前側に向かっていく中でエンドロールが流れます。事件の関係者たちとポアロの進んでいく方向がそれぞれ真逆の方向なのも印象的でした。