無料Webコミック「ヤングエースUP」の掲載作品「ヘテロゲニア リンギスティコ ~異種族言語学入門~」の感想、考察を行っていくシリーズです。今回は、主人公ハカバが魔界へ行き、初めて異種族と出会うシーンを描いた第1話の内容について考察していきます。
「 ヘテロゲニア リンギスティコ ~異種族言語学入門~ 」とは?
「heterogenia Linguistico」とは、スペイン語で「異種の言語学」という意味の言葉です。
舞台となるのは、ワーウルフやリザードマンなど、ファンタジー的な世界観の種族たちが住む「魔界」と人間たちが住む領域が存在する世界。言語学を学ぶ青年ハカバと、彼が魔界で出会う異種族たちのとの交流が描かれた作品です。
肝になるのは「見た目や文化がまったく違う異種族とどのようにコミュニケーション(対話)を図るか」という点。たとえば、「人間には出せない波長の声で会話する種族」と出会ったとき、どんな方法でコミュニケーションをとるべきか、といった点が物語のテーマになっています。
登場する異種族たちは、一般的なファンタジー作品ではコミュニケーションのとれない「モンスター」として描かれることも多い者たちです。この世界でも人間側からは「対話可能な相手」と見なされていないと示唆する描写も多く、現実世界の人種差別や異文化差別を風刺するような演出も随所で見られます。
しかし、そうした演出は「わかる人にはわかる」レベルに抑えられており、決して説教臭い作品には仕上がっていません。ほのぼのとした異世界での旅を楽しみながら、「異種族を理解するとはどういうことか」という深遠なテーマを、児童文学のようなわかりやすい雰囲気の中で感じ取ることができる作品です。
読み返すごとに「新しい発見」がある
特筆すべきは、「読み返すごとに新しい発見がある」という点でしょう。物語は主人公の視点で書かれているため「主人公がその時点で聞き取れなかった言葉」は黒塗りなどで表されます。しかし、物語を読み進めれば黒塗りの部分の意味も事後的にわかるようになるため、あとで読み返すと新しい発見が生まれるのです。Web連載で読み返しが容易であるという媒体の特徴によく合致した表現だと言えるでしょう。
P1(無題)
言語学の教授(グージ)を師事する青年ハカバ、教授は探検の帰りに腰を痛め、ハカバに調査の続きを依頼する。
導入の1ページめですが、この時点ではまだ行き先が「魔界」であるという点はふせられています。事前情報なしに読み始めれば、「現実に近い世界の話なのかな」と思ったところにどんでん返しがくる、という構成です。
P2(無題)
ハカバは調査のため、1年間「魔界」を 探検することに。
魔界は高い山々がそびえ立つ、一見荒涼とした世界でした。気球に乗って現地までやってきていることから、人間の住む世界からはかなり行きづらい場所にあることがわかります。現代であれば「アフリカの奥地に探検に行く」ような感覚でしょうか。
P3.魔界初日
現地ガイドと合流するため、ワーウルフの集落に向かうハカバ。一般的に「人を襲うモンスター」とのイメージがあるワーウルフに、ハカバは不安を覚える。
ハカバはまだ一度も実際の異種族に合ったことはなく、このページでは終始彼らを「モンスター」と呼んでいます。この時点ではこの「モンスター」という言葉の重みは読者にもまったくわかりませんが、「(ハカバに限らず)多くの人間たちは、魔界の異種族=モンスターと認識している」という点が物語上で非常に重い意味を持っていることが後に判明します。
P4.ダメだった
荷物の重みに耐えかね、ハカバは途中でへばってしまう。ワーウルフがハカバを発見。
ワーウルフが初登場するページです。彼らは喋らず、倒れたハカバの匂いを嗅いで様子をうかがっています。後にワーウルフは「嗅覚から言語と同等の情報を得ている」ことが判明しますが、この時点ではまだそれはわかりません。これも「読み返すことで初めて理解できる演出」の1つです。
P5.ネイティブ
教授に習った獣人後で、ワーウルフの会話が聞き取れることに安心するハカバ。彼の前に現地ガイドが姿を現す。
ハカバは疲労で会話できていないのにワーウルフがある程度事情を理解していることから、ここでも彼らが嗅覚から多くの情報を得ていることが示唆されています。ハカバがワーウルフ語を習得していることも示されますが、特に物語序盤においてはワーウルフ語をベースとしたコミュニケーションが行われていくことになります。
P6.現地ガイド
現地ガイドは、ワーウルフと人間のハーフの女の子「ススキ」だった。しかも父親は教授。
2人目の主要人物であり、ヒロインでもある「ススキ」が登場します。しかし、このページではススキは無表情に描かれ、感情を読み取ることができません。おそらく「人間とワーウルフのハーフで、しかも教授の娘」という事実をハカバが受け止めきれていない点(ススキの感情まで読み取る余裕がない)ことを表現しているのでしょう。
P7.調査開始
ススキに連れられ、ハカバは村の探索を始める。
このページで初めてススキの笑顔等、表情が描かれ、デフォルメされた表情も見られます。これによって、物語上ススキがハカバの対話相手となることが明確に示されたと言えるでしょう。
後に登場するキャラクターも含め、魔界の異種族たちは顔の作りが人間と違うため、表情による感情表現に自ずと制限が生じます。その点でハーフであるススキはハカバと同じく「人間らしい表情を表現できる」という貴重な特徴を持っています。
村に関して「人間が使っていた家屋をそのまま使っている」「人間が住んでいたころは」等の表現が見られることから「かつては人間がこの地に住んでいた」ということが示唆されています。「当時の人間とワーウルフの関係はどうだったのか」「なぜ今は人間がいなくなってしまったのか」など、多くの疑問が残ります。
P8.挨拶①
まず集落の長に挨拶しようとするハカバだったが、実は最初から自分についてきていた。
冬に備えて保存食を作るという描写から、ワーウルフの文明レベルがある程度推察できます。おそらく「原始的な生活を送る現実社会の部族」と同等の文明レベルは有していると考えていいでしょう。
「長がずっとハカバのあとを付いてきていた」という描写がなされますが、これにはいろいろな解釈が成り立ちます。「村に来た来客の様子をうかがっていた」「挨拶するタイミングを見計らっていた」など、いろいろな可能性が考えられます。
後に、ワーウルフにとっては「言語よりも嗅覚によるコミュニケーションが重要」ということが判明するため、ワーウルフたちがハカバがこだわっていたほどには「挨拶することに執着していない」という可能性もあるでしょう。
長としては、単純に歓迎の意を示そうとついてきていたのかもしれません。
P9.現地言葉
現地語で初めての会話を試みるハカバ。ワーウルフ語独特の発音の仕方から拙い喋りになってしまった。
「ワーウルフ語の多くは息を吸うときに発音する」という重要なポイントが示されます。後にはさらにコミュニケーションの様式が異なる種族が登場しますが、この時点においても「言葉をかわすというだけでもこれだけやり方が異なる」というハードルの高さを示唆しているわけです。
また、基本的に本作では、「人間の言葉は縦書きで、異種族の言語は横書きで」示されます。ビジュアル的にわかりやすいですが、仮にアニメ化するとしたら演出が難しい部分になるでしょう。
P10.挨拶②
ハカバは長から顔をなめられ戸惑う。
長が顔を舐めようと、大きな口を開けたところで「噛みつかれる!」と思ったハカバがびっくりするシーンがあります。一見したところギャグシーンですが「ただの挨拶が攻撃に見える」というコミュニケーションのすれ違いを描いたシーンでもあり、その意味は深いと考えています。
たとえば、かつて人間がこの地にいたころには、こうした行為を「攻撃」と解釈した人間がワーウルフに「反撃」しようとした、といったことも起きたかもしれません。
P11.身体的な
顔舐めはワーウルフの挨拶(ボディランゲージ)だった。どう返すべきか考えるハカバ。
毛だらけのワーウルフに、ボディランゲージを返すかどうか悩むハカバでしたが、覚悟を決めて実行します。日本人の中にも、欧米で挨拶として行われるキスやハグといったボディランゲージに心理的な抵抗感がある人はいると思いますが、それと同じような場面だと解釈できます。
「自分たちの文化と比較して抵抗があっても、それを返さないことは失礼に当たる」と考えて行動したハカバの努力は後の様子を見る限りプラスに働いたようです。
P12.更に上
顔舐めのしすぎでハカバは毛だらけに。「あの人(教授)は尻まで嗅いだ」とススキの母から聞かされる。
ススキの母(枯れ草)は横書きの言葉で、ハカバは縦書きの言葉で会話していることから、それぞれ聞き取りができるために母語で会話しあっているということが見て取れます。
枯れ草は流石に人間である教授と夫婦になったためか、ハカバが「無理をしている」ということを理解しており、人間側の文化・風習もある程度わかっていることが表現されています。見た目が違うだけで、かなり「人間の心理を理解した言動」ができるキャラクターだと言えるでしょう。
P13.物を持ちづらい
夕食の準備をしながらススキの母と会話。ワーウルフは人間に近いが物を持ちづらいらしい。
「ワーウルフは人間に近い種族だが、手の構造のためかものは持ちづらい」ということを示す場面ですが、会話の内容にも重要な示唆が含まれています。
枯れ草が「元々この村に居た人間は~」と語っているので、人間が村を捨ててどこかへ行ってしまったのは、それほど昔の話ではないのでしょう。
「かつて人間がワーウルフに剣を向けた」という発言は、人間とワーウルフとの過去の交流は決して平和的なものではなかったということを示唆しています。直後に枯れ草が包丁を落としたため会話は途切れ、ここはギャグシーンとなってしまいましたが、彼女がかつて敵対した「人間」と夫婦になっていることを考慮すると、実際はかなりセンシティブな会話であったことがわかります。
そのような過去があったにもかかわらず、ワーウルフたちは人間であるハカバに敵意を持っていないことを疑問に思う方もいるでしょう。私はこの点こそが、この作品のメインテーマであり、最も重要なポイントであると考えています。
後に登場する別の種族たちも、人間との関係に暗い過去を暗示させるものが複数登場しますが、それらの種族も皆人間を恨んだり、憎んだりしている様子がありません。
P14.人と獣の語
教授とススキの母(枯れ草)の出会ったころの話を聞く。ハカバは異種族間で家族になることの意味に思いを馳せる。
このシーンで最も重要なのは、ハカバが夫と同じ「言語学者」だということを知った後の枯れ草の言葉にある「じゃあ私達みんな一緒に暮らせるようにしてくれるのね」という発言でしょう。
まず、ここでいう「私達」「みんな」とは何を指しているのかという疑問があります。普通に解釈するのなら「私達・みんな=教授親子」となりますが、教授が腰を痛めるまでは(探検で離れている間を除けば)家族一緒に暮らせていたはずなので、これは当たりません。
そうなると次に考えられるのは「私達・みんな=人間と魔界の異種族」という解釈です。「過去に争いもあったであろう人間と魔界の異種族との融和」という意味であり、これはかなり壮大なテーマです。ハカバが冴えない表情をして、はっきり応えなかったのも、気が重くなったからでしょう。
ここまでの描写から見れば、ハカバ本人の意識としては「教授の代理として、言語学を学びに来た」という意識でいるはずです。しかし、自分の活動がひいては「異種族間の融和」という大きな問題の解決につながること、その責任を自分が負っているということを意識したからこそ気が重くなったのだと解釈できます。
そういったことを文章では一切説明せず、ハカバの表情のみで表現しているのが本作のとてもクールなところです。
P15.怖さの源
ワーウルフと会話できたことで、彼らへの恐怖心が消えていくのを実感する。
自身の中にワーウルフへの恐怖心があったこと、コミュニケーションできたことでそれが消えていくことを実感したハカバの様子が描かれています。同時に「見た目が違うことによる恐怖心」という極めて現実的な描写をギャグシーンとして描いているのも特徴的です。
考えるべきは、これをたとえば「現実の人間同士、異人種や異国の人間同士として描いたらどのようなシーンになるか?」ということでしょう。かなりシリアスかつセンシティブな表現になるであろうことは疑いありません。ファンタジー的な異種族に置き換えることで、そうした深遠なテーマをソフトに受け入れやすい形で描き、我々に考えさせるきっかけを与えてくれているわけです。
P16.ルール
ワーウルフと人間の「ルールの違い」を考えるハカバ。師の娘であるススキの顔を舐めるのにはどうしても抵抗があるらしい。
就寝前、ハカバは「人と違うものには人と違うルールがある」という教授の言葉を思い出します。彼自身はその日の体験を持って、そのことを強く実感したでしょうが、果たして彼の前にいる少女=ススキはどう思っているのでしょうか。
彼女もまた「顔を毛だらけにして挨拶しているところがお父さんに似ている」としてハカバに好感を持ちます。しかし、彼女はまだ幼いのでハカバや自分の父親が意識してるほどには「種族間の違い」というものを意識してはいないでしょう。「他のワーウルフたちと同じように、自分の顔も舐めてほしい」と無邪気に考えているのがその証拠です。
ハカバはススキに対しては、舐めることはせずなでるにとどめていましたが、その理由は「師の娘には抵抗を感じる」というものでした。つまり、「異種族だから」「ハーフだから」という理由でしなかったのではなく、相手との社会的な関係性を意識してしまって行動できなかったということです。
「種族」よりも「社会的な関係性」を強く意識しているという点で、すでにハカバの中でススキとの間の「種族の違い」を意識しなくなっている=対話が進んでいるという点が印象的です。