前回記事:
【Bパート サーバルがジャパリバスに轢かれるシーン】
ジャパリバスが動き、興奮する一同。特にコツメカワウソとサーバルのテンションは高くバスの周りで大いにはしゃぎます。そんなとき、バスの正面で「動けー!」と叫んでいたサーバルに向かってバスが動き出し、なんとサーバルは轢かれてしまいます。
本編ではギャグシーンとして流されたこの場面ですが、多くの視聴者が何とも言えない「闇の深さ」を感じたシーンだと思います。今回はそうした「闇」の側面に注目して考察してみましょう。
サーバルが轢かれるシーンには「裏の意図」がある
前回の考察で、私はこのサーバルがジャパリバスに轢かれるシーンの演出上の意図を次のように分析しました。
- 普通の人間なら交通事故になるところをギャグにする「ブラックユーモア」
- フレンズの丈夫さ、頑丈さを視聴者に見せる
- この程度なら「サーバルは無事」とほかのフレンズも考えるという「共通認識」の伏線
おそらく、表面的にはこの解釈で間違いないと思います。しかし、多くの視聴者は以上のようなことはなんとなく理解した上で、このシーンを見た後何とも言えない不安な気持ちがうまれたのではないでしょうか?今回の考察ではそうした「不安な気持ち」の正体を探りたいと思います。
動物が犠牲になる交通事故「ロードキル」
サーバルがジャパリバスに轢かれるシーンの「闇」を考察するには、ロードキルの話をしなければいけません。野生動物を人間が乗り物で轢き殺してしまうことを「ロードキル」といいます。下記のデータによると、
http://www.nilim.go.jp/lab/bcg/siryou/tnn/tnn0393_0395pdf/ks039304.pdf
平成14年には高速道路だけで35000件ものロードキルが発生しているとのことです。
ロードキルは、人間の活動域と動物の生息圏が重なるのが原因でおきます。ヒトと動物が出会うことは必ずしも双方にとっていい結末を導くとは限らないということです。
ヒト(文明)と動物(フレンズ)の出会い
サーバルはフレンズ化しており、幸運にもジャパリバスに轢かれたくらいでは傷一つ負いませんでした。しかし、人間とは異なり「車は走っていると危険なもの」という認識がないという点は動物と共通しています。だからこそ、動くバスの正面で無邪気にはしゃいでいたわけです。
けものフレンズ3話は、トキとアルパカ・スリという2人のフレンズが「仲間を探す」のをかばんちゃんが助けるというストーリーでした。その結果、アルパカとトキは友達同士になり、二人はこれから幸せに暮らしていけるのではないか?と示唆されるところで終了しています。
これは「ヒトの関与が動物にいい影響を与えた例」であり、同時に「異なる種族同士が仲良くなれた例」でもあります。しかし、ヒトが動物とかかわるとき、すべてがいい結果に結びつくとは限りません。ロードキルのように悲しい結果をもたらす「ヒトと動物との出会い」も世の中にはあるからです。
ジャパリバスは機械、つまりは人間の文明の象徴です。3話はヒトの文明とフレンズとの出会いを描いた物語でもあったのです。トキとアルパカの2人を描くことで「ヒト(文明)との出会いが動物(フレンズ)を幸せにする例」を描き、サーバルがジャパリバスに轢かれるシーンを描くことによって「ヒト(文明)との出会いが動物(フレンズ)を不幸にする例」を暗喩した、と私は解釈しています。
視聴者だけが闇に気づく、けものフレンズの構造
けものフレンズは、見る人が悲しい気分になるようなシリアスな展開はあまりありません。しかし、今回のように「一見ギャグのように見えるシーンの裏に隠された深い意図がある」といった演出はよく用いられます。こうした演出はよくよく考えてみないとその深い意図はわかりません。しかし、「何か裏があるんだろう」ということは何となく伝わるため、見る人はその「裏の意図」を理解できないことで不安な気持ちになってしまうのです。
視聴者は、はっきりと理解できるかどうかは別として、バスに轢かれるサーバルを見てなんとなく不安な気持ちを抱きます。しかし、ジャガーやかばんちゃんなどの登場人物はそういった不安をまったく感じていません。これがさらに視聴者の不安な気持ちを大きくする効果を生んでいるのです。
例えるなら、危険なものがあるすぐそばでそれに気づかず無邪気に遊ぶ子どもを見守るような気持ち、とでもいえるでしょうか?登場人物は気づいていない不穏の陰に、視聴者だけは気づいてしまうのです。そのため、かばんちゃんやサーバルのその後が気になり、ついつい続きを見てしまうことになります。
この傾向が最大限に爆発したのが、最終話である12話の直前にあたる、11話の放送終了後でした。そのときの考察はまた改めて行いたいと思います。