けものフレンズ3話感想その16:3話は「サーバルの修行回」だった?

諸注意

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【Bパート カフェの目印が完成する】

除草の途中、ロープウェイ下り場の方向を見つめていたラッキービースト(ボス)はしばらく作業を中断したいとかばんちゃんに申し出ます。一同の元を離れてロープウェイ下り場に向かいますが、その後何をしているのかは描かれません。

かばんちゃん、トキ、アルパカの3人はついに草を除草して作った「カフェの目印」を完成させます。トキに抱きかかえられ空中から地面の様子を確認したアルパカの目に入ったのは、ティーカップの絵とカフェの方向を指す矢印のマークでした。「これならみんな気づいてくれる!」とトキとアルパカは喜び、興奮に胸を高鳴らせます。

鳥のフレンズに気づいてもらえる仕掛けが完成

ラッキービーストが一同の元を離脱した理由は、後のシーンで明らかになります。ロープウェイ下り場(乗り場)に向かっていったことから、何をしに行ったのかはこの時点である程度見当がつく方も多いでしょう。

かばんちゃんは、少し高い丘の上から一同に指示を行っていたので、どのようなマークができるか確認しながら作業を進めていたはずです。一方、除草作業に集中していたトキとアルパカは空中から確認するまでどんなものができるか想像もしなかったはずなので、「カフェの目印」を見たときの感動が大きかったのもうなずけます。

前回の考察でも説明したように、今回のかばんちゃんのアイデアはあくまで「空を飛ぶ鳥のフレンズに向けてのもの」です。これがどのような効果をもたらすのかは後に明らかになってきます。

数時間かけて山を登りきったサーバル

一仕事を終え、安堵するかばんちゃんの後方で怪しげな物音がします。振り返ったかばんちゃんの足を何者かの手が掴みますが、それはなんと別行動をとり、崖を登ってきたサーバルのものでした。

この直後、電池の充電が完了した描写があるので劇中のシーン描写が時系列通りだとするなら、少なくともサーバルは1時間以上崖を登り続けていたことになります。(電池の充電に必要な時間が1時間とされているため)

しかも、サーバルは途中で落下し、再び登っているはずですから、トータルでは2~3時間近くも崖を登り続けていたのではないかと推測されます。サーバルは「山登りがこんなに大変だったなんて」と言っていましたがどう見ても山なんてものではない「崖登り」ですから、これまで見せてきた活躍と同様、サーバルの身体能力の高さに驚かされるばかりです。

3話ではずっとかばんちゃんと別行動を取っていたため、サーバルの登場シーンはそれほど多くありません。しかし、私は実は3話で最も重要な活躍を見せたのはサーバルだったのではないかと考えています。

先に結論から言ってしまうと、けものフレンズの3話は「サーバルの修行回だった」といえるのです。

けものフレンズ3話はサーバルの修行回だった?

アニメや漫画では、登場キャラクターが実力を高めるため、仲間と分かれて修行をする展開がよく見られます。ドラゴンボールZなどでたとえると、

強敵に打ち勝つため、主人公の悟空が仲間の元を離れて厳しい修行に打ち込み、ついに新技を体得する。悟空が戦線を離れている間は、ほかの仲間が敵と戦うが、次第に敵に圧倒され、ひとり、またひとりと倒されていく。もう駄目かと思われた瞬間、修業を終えた悟空が現れ、強敵を倒す。

というような展開は「定番」ともいえるでしょう。

私は3話におけるサーバルの山登りもこうした「修行」の一種だったと考えています。思い返してみると、2話のラスト、及び3話冒頭におけるサーバルの挙動は明らかに不自然でした。かばんちゃんが眉をひそめるようなこうざんの断崖絶壁を目の当たりにして、闘志を剥き出しにした表情を見せていたのです。

山登り=修行と考えていたサーバル

私は過去の考察の中でサーバルの性格を「強さに対するあこがれを持っている」、「未知の課題をクリアすることに燃えるタイプ」と分析しました。

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そうした見方に基づいて考えると、今回の「山登り」はサーバルにとって願ってもない「強くなるための修行」であったと言えるでしょう。

サーバルには山登りに挑戦する強い動機があった

ドラゴンボールの場合であれば、強敵の出現が予測された時点で悟空が苦戦を予想し「今のままでは勝てないから、さらに強くなる必要がある」などと言って修行に出かけます。しかし、けものフレンズにおいてサーバルは劇中で「強くなりたい」という己の意志をほとんど言葉に表すことはありません。

ですから、サーバルが劇中で山登りに挑戦した理由は厳密に言えば「謎」です。サーバル自身がセリフで明言していませんし、かばんちゃんやトキが「麓で待っていればいい」と勧めても「ヘーキヘーキ」と断った明確な理由は不明なままです。

一応「どっちが先に(山頂に)つくか競争だよ」などとかばんちゃん相手には言っていますが、それも結局は「なぜ山頂まで2人が競争しなければならないのか?」という当然の疑問が湧くので、結局説明にはなっていません。「なぜサーバルが数時間掛けてまで、山登りに挑戦したのか」という理由を考えるには、サーバルの性格を考察する以外に方法がないのです。

多くの視聴者はこういったシーンを見て「どう考えても大変で、しかも大して意味のない山登りに挑戦するサーバルは、よく言えば能天気で楽天的、悪くいえば計画性のないお馬鹿さん」だと思ったことでしょう。

しかし、内面にそれ相応の強い動機がなければ、数時間かけて断崖絶壁を登りきるような挑戦を達成することは不可能です。仮に身体能力の面で問題がなかったとしても、そもそもそこまでする動機がありません。ですから、私は山登りを達成したサーバルの背後には「今より強くなりたい」という明確な意志があったと考えます。

「修行」を終えたのに、活躍の場が全くない

けものフレンズという作品の奇妙なところは、このサーバルの「修行」の意義とその成果を、完全に視聴者の目から隠そうとしているところです。仮に私の解釈どおり、3話が「サーバルの修行回」だったとしましょう。奇妙なことにサーバルが「どんな辛い修行を乗り越えたか」、「どれだけ強くなったか」といった部分がほとんど描写されていないのです。

サーバルの山登りが描かれたのは「木の根っこを掴んで調子に乗って勢い良く登っていたら、途中で根っこがちぎれて落ちてしまった」というギャグシーンくらいです。また、山登りを達成したサーバルが以前と比べてどれほど強くなったのか、劇中で描かれることは全くありません。

ドラゴンボールで例えるなら、「悟空が修行を始めたはいいものの、途中コミカルな失敗をするシーンばかりを描き、修業で新技を身に着けて仲間のもとに帰ってきたと思ったら、敵はすでに仲間が倒したあとだった」という展開になるようなものです。

セリフを抑えることで、キャラの魅力が際立つ

けものフレンズという作品について考えるとき、私はいつもサーバルというキャラクターの特殊性が強く印象に残ります。サーバルは一見表情豊かで明るく優しい性格に見えますが、自分の意志や考えをセリフで表すことがほとんどありません。

そのため、表面上の行動やリアクションなどだけで解釈すると、裏表のない純真な性格に見えます。しかし、個々のシーンを細かく見て行くと、それだけでは理解できない深い内面を持っていることがわかってくるのです。

サーバルの魅力は、そうした極めて複雑な内面を持っているにも関わらず、それを表に出さず絶えず明るく振る舞っているところです。いわば、「キャラクターの内面の魅力がセリフに勝っている」と表現できます。

アニメの視聴者は、セリフや表情と言った演技からキャラクターの内面を読み取ろうとします。

「セリフの情報量>キャラの内面」という作りになってしまうと、視聴者の目からは「何か、誰かに言わせたいセリフがあるからそういうキャラクターを用意したんだな」と見えてしまいます。少し乱暴な言い方をすれば、キャラが薄っぺらく感じられ「ここでこういうキャラにこういうセリフを言わせとけばお前ら感動するんだろう?」と制作陣に言われているように感じられてしまうのです。

逆に「キャラの内面>セリフの情報量」という描き方がされていると、セリフだけでは理解できないキャラクターの言動や表情がそのままそのキャラの「魅力」になります。視聴者は「このキャラは何を考えてこんなことを言ったんだろう」と、セリフや行動の深読みをするようになるでしょう。

けものフレンズはことごとくセリフの情報量が抑えられ、キャラの魅力が際立つような見せ方がされています。なかでも、主要キャラクターであるサーバルはセリフの情報量が極限まで抑えられているために、キャラクターが非常に魅力的に見えるよう描かれているのです。