機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス)考察-第十話「イオマグヌッソ封鎖」

機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス)考察-第十話「イオマグヌッソ封鎖」の考察です。

※第十話放送終了後~第十一話放送開始前までに視聴した感想・考察です。

第十話の考察はこちら

機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス)考察-第九話「シャロンの薔薇」
機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス)考察-第九話「シャロンの薔薇」の考察です。 ※第九話放送終了後~第十話放送開...

イオマグヌッソ完成と、ギレン・キシリアの再会

「全地球環境改善用 光増幅照射装置 イオマグヌッソ」の完成記念式典に先立つセレモニーで演説する、サイド6大統領のペルガミノからのスタートです。キシリアの座乗艦パープルウィドウがイオマグヌッソに到着。マリガンが出迎えます。

キシリアとギレンは、父デギンの葬儀以来5年ぶりの再会となります。キシリアの口から語られる最近のギレンの様子は大変興味深いものです。「ズムシティにも姿を見せず、贔屓の秘書官と別荘に入り浸っている」「コロニー落としで人類の半分を殺した罪悪感でうなされ、今もよく眠れない」といったネガティブな一面が語られ、またキシリアと会うことを恐れてビグ・ザムをはじめとする国家親衛隊の戦力を多数、イオマグヌッソまで連れてきています。

「そんな凡人にこのイオマグヌッソは扱えない」と、キシリアは吐き捨てました。これは単なるキシリアの悪口というだけではなく、ソドンにもギレンの動向は連絡されていないようで、ラシットは「臆病すぎだ、兵の前で示しがつかん」と愚痴をこぼしています。

マチュはシャリアに付き添われながらジークアクスの操縦訓練に勤しんでいる様子です。あえてオメガサイコミュを使用せず操作していますが、ソドンへの着艦も難なくこなせるようになっており、イオマグヌッソが建設完了していることと合わせて、第九話の時点からある程度の日数が経過していることがわかります。

シャリアはシムスとの会話で「ギレンとキシリアが同席するこの時を待っていた」と発言。第七話で語っていたように、ギレン・キシリアの両名を同時に排除しようとしていることが確認できます。「彼女にこのことを話す」と言っているので、マチュも計画に参加させる目的でジークアクスの操縦訓練を行わせていたことがわかります。

シャリア、コモリと打ち解けたマチュ

マチュはクランバトルと同じパイロットスーツにニット帽、ハロを連れてジークアクスに乗っています。支給されたパイロットスーツを着るよう、コモリにたしなめられますが「こっちのほうが慣れている」と気にしない様子です。コモリがマチュに注意するという、前回と同じ構図ですが時間も経過しているため、以前ほどの緊張感はなく打ち解けている感じです。

なぜ彼女たちが仲良くなったのか、ある程度その理由をうかがい知ることができます。コモリが「軍人でもない子どもに最新MSを与えるなんて」とシャリアの考えに疑問を抱くと「コモりん真面目すぎ、ヒゲマンはそんなこと気にしないよ」とマチュは回答しました。

注目すべきは、このときコモリは思っただけで口に出していないのに、マチュがそれを読み取って返事をしている、という点です。また、コモリとシャリアの2人をあだ名で呼んでおり、それができるほど打ち解けているのだということがわかります。

おそらくはシャリアの意向で、マチュは未だ独房暮らしとはいえ、かなり行動の自由は認められているのでしょう。また、シャリアほどではないにしても、コモリもニュータイプの素養を備えており、そんな2人と暮らす中で徐々にマチュも心を開き、打ち解けていったのだろうと推測できます。このときのマチュは無重力で宙に浮き、コモリに対して逆さまの姿勢になっています。ちょうど、彼女がリラックスするために自室で逆立ちしていたときと重なる情景です。

マチュはなぜコモリに心を開いたか

マチュはコモリに付き添われ、独房に戻ります。ベッドの上にある私服を見て、コモリにお礼を言うとコモリは恥ずかしそうに「仕事だから」と応えました。この光景から「マチュもいろいろな経験をして、素直にお礼を言えるくらい丸くなった」と解釈する人もいるようですが、私はそうは思いません。

ソドンに来た当初、マチュはシャリアやコモリに対して心を開いていませんでした。アンキーとの決裂を通じて大人に裏切られた直後でもあり、またそのときの「大人はみんな嫌いだ」というセリフから、大人に対して心を開かず、壁を作っていたことがわかります。

しかし、シイコのように自分が認めた人に対してであれば、彼女はそうした姿勢を取っていません。おそらく「ありのままの彼女を認め、自由を奪おうとしない人」「本心を隠したり、嘘をついたりしない人」というのが、彼女が心を開く相手の条件なのでしょう。

その点、シャリアは最初の会話の時点で彼女に正面から向き合い、すべての疑問に応えています。コモリは表面上は委員長キャラですが、精神性はどちらかというと裏表がなく素直なギャルマインドを持った人物です。どちらも彼女にとって、フラットに接しやすい個性を持った人々だったのでしょう。

特に服の件は、コモリが私物を供与していることから本来は義務ではなく、彼女の善意で行われたいたのだろうと思います。だからこそマチュも、口では厳しいことをいいながら、実際には気遣ってくれるコモリに心を開いたのではないでしょうか。

自ずから、サイド6で彼女が置かれていた状況は(周りの人々に問題があったとまでは必ずしも思いませんが)少なくとも、当時の彼女にとっては不自由なものだったということが改めて明らかになりました。

シャリアとシャアの関係に興味を持つマチュ

ずっと「自由を求めること」がマチュの行動原理でした。しかし、それは第九話でのララァとの出会いを経て変化することになります。ララァはマチュについていけばカバスの館を出られたのにも関わらず、あえてそこに残るという選択を取りました。ララァは「赤い士官服の彼」に会わなければ、宇宙に出ただけでは自由になれないと考えていたのです。これによって、マチュは改めて自分が自由を得るためには「環境を変える=地球に行く」だけでなく「シュウジが隣りにいる」という条件を満たさなければならない、と考えたはずです。

そこから、彼女はシュウジの手がかりを求めてシャロンの薔薇を捜索。そこに「ララァとそっくりな人」が眠っていることに気が付きます。マチュは、シャリアとシャロンの薔薇について会話、そこからお互いに対する理解を深めていきます。シャリアとの会話の中で、マチュは初めて「キラキラを体験できる・ゼクノヴァの向こう側に気づける人間=ニュータイプ」という固有名詞を知ることになりました。(ただ、この際の会話ではなくもっと前にシャリアから説明があったのだろうと思います)

シャリアは、シャロンの薔薇に凍結されているララァを「向こう側からやってきたニュータイプ」と推測。「ゼクノヴァの中心にいたシャア大佐なら真実を知っているかもしれない」と続けました。

マチュはここで核心を付く質問をしました。「なぜザビ家に復讐しようとしていたシャアと友達だったシャリアが、ザビ家を守るために働いているのか」という問いかけです。焦点は、シャリアの過去である木星船団での出来事に移りました。

シャリアが語る「本当の自由」とは?

ファーストガンダムでも語られることがなかった、シャリア・ブルの木星船団での体験が、初めて本人の口から語られることになります。シャリアが語ったのは「本当の自由」を得た己の体験でした。

  • あれはくだらない旅だった
  • 旅立つ前、私には責任があった
  • スペースノイドの自由と独立のため、必要な物資を持ち帰ること
  • ジオン国民の期待を背負うその責任を崇高なものだと感じていた
  • 地球へ帰る直前、事故により帰還する術を失った
  • 崇高な責任を果たせないとわかったとき、私には何もすることが無くなってしまった
  • やるべきこと、やりたいと思うことも何も無い
  • いっそ自ら命を断とうかとも考えた
  • 他人や自分自身の期待にも応えることができない自分を自覚した
  • そのとき、初めて「本当の自由」が生まれた

そして、本当の自由を得たまま死ぬのも悪くないと、銃の引き金に手をかけたとき、船団のオートパイロットが復旧。英雄として地球圏に帰還を果たした、という経緯でした。

この体験は、シャリアの精神に大きな変化をもたらしました。崇高な責任と感じていた「スペースノイドの自立」や、人類の半数が死んだ一年戦争の惨状も「もうどうだっていい」と感じるようになっていたのです。

シャリアとマチュの共通点

シャリアの話を整理して、彼が語る「本当の自由」とは何なのか考えてみましょう。シャリアは木星への旅を通じて、自分に課せられた「責任・義務・期待」、そして「やりたいこと」を順番に失っていきました。

これはマチュがこれまでのストーリーを通じて辿ってきた足跡と重なります。お嬢様学校に通い、親の「期待」を一身に受けていました。「塾に通って勉強をする」「進路を決める」といった「責任」「義務」を課されていましたが、彼女は第七話までの己の選択でそのすべてを失っていきました。

マチュに残ったのは「シュウジといっしょに地球に行きたい」といった「やりたいこと」だけでした。しかしそれも「ゼクノヴァによるシュウジの消失」により果たせなくなり「地球に行く」「手がかりとなるシャロンの薔薇を見つける」という流れを経て、なくなってしまうことになったわけです。

シャリアは己のすべてを失ったうえで、さらに「死」を意識しました。結果的に死ぬことはありませんでしたが、この体験が彼をニュータイプへと覚醒させることになったのは間違いありません。マチュもまた、最初にジークアクスに乗ったときに「死」を意識したことで「キラキラ」を体験しています。

これらの体験の結果、シャリアは「本当の自由」が得られたと語っています。彼が言う本当の自由とは「すべてを失い、死を意識し、その結果空っぽになること」でした。マチュも同様です。第七話までの展開で、お尋ね者となり故郷にいられなくなって、好意を持っていたシュウジも、友達だったニャアンも失います。唯一残ったジークアクスと「シャロンの薔薇」を手がかりに地球に行きますが、そこにも彼女を自由にしてくれるものはありませんでした。

今、やりたいこともなく、シャリアと一緒にジークアクスの操縦訓練をしているマチュは「本当の自由」が得られた状態だと言えるかもしれません。ただ、あれだけ自由を求めていた彼女も、まったくそれを喜んでいません。彼女もまたシャリアと同じく「空っぽ」になってしまったのでしょう。

空っぽのシャリアと赤い彗星の出会い

自分が「空っぽになった」と自覚したそのタイミングで、シャリアは「赤い彗星」と出会います。シャリアが抱いたシャアへの印象は、

「若く、自信家で、大それた野望を持ち、それを自分に課された責任だとさえ思っている」

ここまで聞いたマチュは「だから惹かれたんだ」と考えますが、シャリアはそれを否定。「(空っぽの)私と似ているからだ」と答えます。

この答えの続きは、ここでは描かれていませんが、考えることはできます。

シャア・アズナブルが、シャリアと似ているということはシャアもまた、シャリアが木星で経験したのと同じような経験をした、と考えられます。シャアは、生まれたときから「ジオン・ダイクンの息子」としての責任がありました。それは「スペースノイドの自由と独立」を達成することです。彼もまた、そうした国民の期待、責任を崇高なものだと感じていたはずです。

しかし、父ジオンがザビ家に暗殺され、彼はすべてを失いました。その瞬間、キャスバル・レム・ダイクンは「死」に、「若く、自信家で、大それた野望を持ち、それを自分に課された責任だとさえ思っている」若い軍人「シャア・アズナブル」という仮面を被ることにしたのではないでしょうか。

このように考えると、心の中が空っぽになってしまったシャリアと、キャスバルだったころの自分が空っぽになってしまい、その上に仮面を被っているシャアは「似ている」といえるのかもしれません。

マチュの質問に応えていたのは、彼女に頼み事があったからでしたが「それはまた今度」と伝え、代わりに彼女に自分が木星に持っていった拳銃を与えました。

シャリアの木星との体験と、マチュとの会話からは多くのことが読み取れます。

ニャアンは恐怖心を失った?

舞台は変わって、イオマグヌッソ周辺で作戦の準備をするニャアンとエグザべに移ります。「作戦が長くなるかもしれないから」と食事の心配をするエグザべに、ニャアンは「カオマンガイを作った」と応えます。

「僕にも食べさせてくれ」と頼むエグザべに「好きな人のためにしか作らない」と応えるニャアンですが、その前に「キシリア様はエスニック好きかな」と呟いているので、彼女にとってキシリアはすでに「好きな人」に入っていることがわかります。また、毒殺をあれだけ警戒しているキシリアが、ニャアンの手料理は安心して食べるということは、キシリアもまたニャアンに心を許していることがわかります。

「初陣なのに怖くないのか」と聞くエグザべに「私、ディアブロなので」とニャアンは軽く返します。おそらく彼らの中で「ディアブロ」とはどのようなものなのかある程度共通認識ができてきたのでしょう。

第八話でニャアンをディアブロにしないために殺そうとしたミゲルは「人間の心を守ってあげるよ」と言っていました。そこから考えると、ディアブロとは人間らしい喜怒哀楽の感情を封印した存在、といえるかもしれません。実際、グラナダに行ってからのニャアンは、直前の第七話での振る舞いが嘘のように、自分が殺されそうになっていてもほとんど怖がる素振りを見せていません。

しかし、そう応えた直後、コンチを置いていくようにエグザべから言われると「これ、お守りなんです」とニャアンは回答しています。本当に恐怖心がなくなったのであれば「お守り」を必要とすることはないはずです。彼女が恐怖を感じなくなったのは、どこか別のところに理由がある、という描写でしょう。

「弱い自分」を捨て去ろうとしたニャアン

シャリア、マチュと同様、ニャアンもすべてを失いました。故郷のコロニーを戦禍で失った際に、元々一度すべてを失っていたのでしょうが、唯一「生き残る」というやりたいことだけは残っていました。

その後、逃げ込んだサイド6イズマコロニーで彼女はマチュ、シュウジという友達を得ます。しかしそれも、第七話までの展開で失われてしまいました。そこでエグザべに拾われ、キシリアという庇護者を得ることになります。

ニャアンはそれまで「卑屈で自信がない弱気な自分」と「生き残るためになら何でもする強い自分」という2つのペルソナを使い分けていました。しかし、キシリアが求めていたのは「強い自分」だけでした、ここからニャアンは「弱い自分」をまったく見せなくなります。

恐怖心がなくなったかのような描写は、これを表したものでしょう。ただし彼女は未だにコンチを離すことができません。それは唯一残ったシュウジとのつながりだからです。シュウジはキシリアとは違い「弱い自分」と「強い自分」両方を「好きだ」と言ってくれた存在です。だからこそ彼女も好意を持ち、特別な存在だと考えるようになったわけです。

表面上は良い関係性が築けているニャアンとキシリアですが「強い自分」しか求められていないという歪みは、どこかで表れることになるでしょう。

「側用人」セシリアとチャップマン

イオマグヌッソの会議室で、キシリアはチャップマン・ジロム大将、ギレンの秘書官セシリアと会話します。「連邦を威圧するだけなら(イオマグヌッソがなくとも)ビグ・ザムで十分」とチャップマンがキシリアに伝えますが、キシリアに変わってセシリアが「ビグ・ザムは22号機まで予算は降りている。イオマグヌッソもいざとなれば連邦への脅しに使える」と回答します。

チャップマンの発言は、キシリアへの牽制を目的としたものでしょう。彼は「地球環境再生のためのソーラレイ」という、イオマグヌッソの建造目的は表向きのものであり、実際は連邦への威圧を目的とした兵器だと捉えているはずです。だからこそ「サイド6に資金を出させてまでこんな物を作らせなくても、ビグ・ザムで十分」という意図を伝えた、ということです。

それは当然、キシリアの突撃機動軍がなくとも、自分たち国家親衛隊(ギレン派)だけで十分、という意味もかかっているはずです。

ギレンの秘書官であるセシリアが、キシリアに変わってそれに応えている点にも注目です。回答の内容も「ビグ・ザムには予算がおりている、イオマグヌッソもいざとなれば脅しに使える」というもので、チャップマンとキシリア、両方の顔を立てるものでした。これは両者の対立をなだめるとともに、自身が仕えるギレンをもう一段上に置き、両者よりも上位の発言権がある、と認めさせようとする一種のマウンティングでしょう。

そもそも彼女は単なる秘書官に過ぎませんが、それがチャップマンに意見できるような立場を有しているということは、江戸時代の将軍に使えた側用人が、身分ではそれよりも上の老中よりも上位の権力を有していたことを彷彿とさせます。

キシリアはなかなか姿を見せないギレンに苛立ちますが、セシリアは「お忙しい方なのです」とすました顔で対応しています。おそらく普段からこのように、ギレンへの取次を依頼する高官たちに対して、自身の優位な立場を盾に居丈高な態度を取っているのでしょう。

ギレンの運命を暗示する「出現」

ここでギレンが到着。席につきますが、彼の背後にはギュスターヴ・モローが描いた絵画「出現」が飾られています。

『出現』は、新約聖書に記された物語に基づく絵画で、王女サロメが継父ヘロデ・アンティパスの誕生日の宴で踊り、その美しさに感動したヘロデが「望むものは何でも与える」と約束する場面に端を発します。サロメは母ヘロディアの助言を受け、洗礼者ヨハネの首を皿に載せて持ってくるよう要求します。ヘロディアはヨハネの批判に深い恨みを抱いており、この機会を利用して彼を排除しようとしました。ヘロデは驚きながらも、宴の出席者の手前、約束を破れずヨハネを処刑し、皿に載せられた首がサロメを通じてヘロディアに渡されます。

https://note.com/tokyoartmuseum/n/n8b562113993d

この絵の中で描かれる、サロメは「ファム・ファタール」を表すモチーフとして知られています。

ファム・ファタール(仏: femme fatale、あるいはファム・ファタル)は、男にとっての「運命の女」(運命的な恋愛の相手、もしくは赤い糸で結ばれた相手)というのが元々の意味であるが、同時に「男を破滅させる魔性の女」のことを指す場合が多い[1]。

相手が魅惑的であることを示す言葉に英語では「チャーミング (英語: charming)」という言い回しがあるが、ここには魔法や呪いに通じる意味合いがある。日本語においても「魅」の漢字は「魑魅魍魎」といった怪物の意味合いでも用いられている。フランス語であるファム・ファタールも同様に両義性が含まれている[2]。

代表的なファム・ファタールとしては、サロメや妲己、褒姒などが挙げられる[2]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AB

この場面では、ギレンのこの後の運命を暗示するとともに、彼にとってのファム・ファタールの存在を示すためのもの、であるとも言えます。この場合、ギレンを破滅させる女とはキシリアに間違いないでしょうが、彼の隣りにいるセシリアも意味するダブルミーニングになっている可能性もあります。

また、サロメとヨハネの首を描いた絵画は他にもありますが、出現は「ヨハネの首が皿に載せられておらず宙に浮いており、首が本当に存在するのか、それとも幻影であるのか、といった解釈が分かれる点でも知られています。この点も、本物・偽物が対比されるジークアクスの構造に合わせたチョイスだと言えるでしょう。

キシリアとギレンの会話の意味は?

キシリアは挨拶もそこそこに「本国は危機感が足りない」「連邦はまだ宇宙への覇権を諦めてはいない」とギレンに進言します。同時に、連邦のサイコミュ兵器、ニュータイプへの警戒も促しますが、ギレンはそもそもニュータイプ兵士を「ヒトの革新」だとは信じていない様子です。「もしニュータイプとやらが正しい進化だとしたら、この愚昧な旧人類にも勝って生き延びてみせよう」「それもできないならそれまで、ヒトの革新など自然に任せておけば良いと思わんか」と続けます。

キシリアはこのギレンの見解を「小賢しいマチスモ」と一蹴。「まるで自然淘汰が神の差配のようなおっしゃりよう」と、ギレンに向かいますが、しかしギレンは「それも方便であろう」と返します。このあたり、抽象的な文言で会話しているので意味が少しわかりにくいかもしれません。

ギレン・ザビの思想と人物像

まず、ギレン・ザビという人物について理解しておく必要があります。ギレンはファーストガンダムにおける、黒幕的な存在でもあり、その後の宇宙世紀でも彼の思想が多くの人物に影響を与えてきましたが、その最大のものは「宇宙に進出した人類は、少数の優良なスペースノイドによって管理されるべき」というものでした。

選民思想に関しては裏の関心事として人口問題があり、「増えすぎた人口を合理的に運営できる数まで減らし(「密会」によるとギレンとキシリアは地球上の人口について西暦紀元年と同レベルの5000万人が理想と考えていたようであり、宇宙については不明だが、宇宙に移民した人口と特殊法人の技術も宇宙にあがっていれば人類が衰微することは無いともある)、優れた人間に管理させ、ひいては超長期的な視点から地球環境を改善する」計画が根底にあると思われる。

その為、戦争を起こしたのはあくまで『人口の間引き』そのものが目的で、彼にとって選民思想はそれを実行に移すための方便や手段に過ぎなかったと捉える説もある。

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また、ニュータイプに対してはキシリアとは異なり、積極的には信じていなかったとされていますが、次のようにも語られています。

ただし、一方で「戦争に勝利した後で人類のニュータイプへの覚醒をゆっくり待つつもり」とも語っており、ギレンはニュータイプ論を信じていなかったわけではなく、キシリアらニュータイプ信奉者達が発見した「ニュータイプ(=感応波と呼ばれる特殊な脳波を持ち、直感力・認識力に優れた人間)」が、ダイクンがジオニズムの中で提示した「ニュータイプ(=宇宙に適応進化した新人類)」とは異なる存在であると捉えていたとも取れる。

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ギレンの思想を踏まえた会話の真意

キシリアは最初「本国は連邦への警戒が足りない」と言っていますが、これはギレンが言うように「方便」であり、実際はその後に続く「ニュータイプの扱い」が本当に言いたいことだったということがわかります。だからこそギレンも「こんな設備まで作って、まだニュータイプなどと言っているのか」と呆れたように返したわけです

ギレンの考えは「特殊能力を持つニュータイプ兵士は、ジオン・ズム・ダイクンが予言したニュータイプ=宇宙に適応して進化した新人類ではない」「自分は地球圏を管理しながら、その誕生をゆっくり待つ」というものです。だからこそキシリアのように「現時点で出現しているニュータイプ兵士」を積極的に活用していこうとは考えていないわけです。

また、同時に1年戦争でやりたかった全人類規模での間引き(人口を管理しやすいレベルにまで減らす)のもすでに実現しています。だからこそ「ニュータイプが自分たち(ジオン)にとって代われるような存在なら、実力でやってみろ」という回答になります。

キシリアはこの「やれるものならやってみろ」という態度を「小賢しいマチスモ=マッチョイズム」、つまり単なる強がりに過ぎないと喝破したわけです。しかし、ギレンはそれにも動じず「それも方便であろう=とっとと本音を言え」とけしかけました。

毒薬によるギレン暗殺

ここでキシリアは意を決したように「生き残るために実の父を手に掛けた」と、デギンの死がギレンの仕業である、と訴えました。また「そこまでした男が、甘くなられたものだ」と、ファーストガンダムにおいて、自らがギレンを殺したときのセリフである「意外と兄上も甘いようで」に類する台詞を発しました。

私は、キシリアがギレン殺しを実行(毒薬を室内に散布)したのはこのときだと考えています。おそらくキシリアとしては、ギレンが自分の提案を飲むか、もしくは逆にこの場で自分を暗殺しようとしたのなら、受け入れる覚悟はしていたのではないでしょうか。

しかし、ギレンはそのどちらも選ぶことはありませんでした。だからこそ、父殺しを指摘し自ら兄に引導を渡す決断をしたのだと考えています。

セシリアとチャップマンは、話題を変えようとキシリアのマスクは軟弱の現れ、というわかりやすいすり替えに出ましたが、まもなく毒薬によって死亡。ギレンもまた、すぐに後を追うことになりました。「これからはゆっくりとお眠りなさい。兄上」という言葉を残して、キシリアはその場を後にしました。

キシリアがギレンを殺したのは、ファーストガンダムのときと同じ「父デギンを殺したこと」に対する復讐が理由でした。最後に兄に送った手向けの言葉といい、キシリアはファーストガンダム同様に家族愛の強い人物として描かれています。

ギレンにキャラ崩壊は起きていたか?

ジークアクスにおけるギレンの描写について、わずか1分少々で退場したこともあって残念に思う視聴者もある程度いるようでした。ただ、そこで描かれたギレンの人物像は、ファーストガンダムにおけるそれを踏襲しつつも、新しい解釈も加えた面白いものでした。

まず「秘書官と別荘に入り浸っている」という点について考えてみます。今回登場した秘書官のセシリア・アイリーンは主に小説版に登場し、ギレンの愛人でもあったという設定がありますので、そのあたりを踏襲したと見ていいでしょう。また、チャップマンは小説版でソーラ・レイの責任者として登場しています。

先に述べたように、ギレンが戦争をおこなった目的は主に「人口を支配しやすい人数まで減らす」ことが目的でした。そのため、人類の半数を死に至らしめた時点で実は目的は達成できていることになります。もちろん、そのままジオンが勝つことを望んでいたのは疑いありませんが、ファーストガンダムでは果たせず、ジークアクスではそちらも達成できたことになります。

同様に、戦後の「人類の(ジオン・ダイクンが語った意味での)ニュータイプへの覚醒をゆっくり待つ」という姿勢も、彼の人物像から外れるものではありません。

私の場合、晩年の豊臣秀吉を想像すると解像度が高まりました。美しい側室や有能な奉行に囲まれ、仕事は部下任せでも自分は最高権力に君臨していられる状態です。どれほど鋭敏な頭脳を持っていたとしても、立場も勢力も盤石なのですから、まったく油断をしないというのは困難な状態です。

実際、豊臣家が徳川家に天下を奪われてしまったように、ギレンもまたキシリアに付け入る隙を与えてしまいました。

ファーストでも罪悪感に苦しんでいたギレン

「人類の半数を殺した罪悪感で眠れない」という点についてはどうでしょうか。ギレンは独裁者ではありますが、人並みに罪悪感を覚える人物としてファーストガンダムでも描かれています。第三十九話にて、シャリア・ブルと対面する際、戦争で犠牲になった人々について自ら語りながら、落ち着かない様子で目線をそらし、ペンをいじる様子が確認できます。

キシリアとの会話に見える頭の冴え

最後に、先程も触れたキシリアとの会話です。「秘書と別荘で暮らして政治は部下任せ」「罪悪感で不眠に苦しんでいる」とは言われていても、キシリアとの会話では常に彼女の発言のポイントを抑えつつ、巧みに本心を聞き出そうとしています。ア・バオア・クーで作戦式の最中だった、ファーストガンダムでのキシリアとの最後の会話と比較しても、純粋に会話に集中している点を加味してもIQ240とされる鋭敏な頭脳の片鱗を十分に感じ取れるやり取りです。

ファーストガンダム同様、自らの油断からキシリアに暗殺されるという結末は同じですが、それもまたギレンがキシリアを甘く見ていたこと、彼女の家族愛を軽視していたことなど、同じ理由から招いた結果だと言えます。

これらのことから、私はギレンはファースト同様の人物像を保ちつつ、様々な因縁で同様の末路を辿らざるを得なかったのだと考えています。あえて付け加えるなら、キシリアにフォーカスが当たってより掘り下げられた本作においては、相対的に出番を減らさざるを得なかったという評価が性格なところではないでしょうか。

ジオン内戦の幕開け

キシリアは部屋を出ると、マリガンと会話。「本国の舞台もすでに動き始めている」という話から、ジオン本国においても突撃機動軍が国家親衛隊を襲撃し、クーデターを行おうとしていることがわかります。すでにギレンが亡くなっていますので、独裁国家であるジオンではギレン派が対抗することは難しいでしょう。

キシリアはイオマグヌッソの封鎖を指示。付近の国家親衛隊の部隊を排除するようマリガンに命じます。ギレン派の拠点であるア・バオア・クーについては、別の手を用意していることが示唆されています。

パープルウィドウからは、ニャアンやエグザべ、その他の兵のギャンの部隊が出撃します。不意を突かれたとはいえ、ギレン派も交戦しますがジフレドやギャンの攻撃の前にビグ・ザムやグワランが次々に撃破されていきました。特に、ギャンのハクジなど白兵戦用の装備は、ビグ・ザムとの戦いを念頭に準備されたものでしょう。

母子として描かれるキシリアとニャアン

ニャアンはキシリアから密命を受け、手紙を渡されていました。回想の中で、より親密になった彼女とキシリアの関係性が描かれています。第八話の時点で、キシリアが手料理を振る舞ったり、ニャアンが彼女に良い感情を抱いていることが示されるなど、それらしい描写はありましたが、今回のそれはともにバスローブ姿で、キシリアがニャアンの髪を乾かすというものです。これは疑いなくキシリアが彼女の「母」として描かれている描写でしょう。

キシリアは世界一高級とされるバラ、ダマスクローズの香水をニャアンに与えました。地球産のそれが今後手に入らなくなるであろうこと、「地球に住む古い大人たち」がニャアンが自由に生きることを邪魔するであろうことを伝え、ニャアンに父デギンから譲られた拳銃を与えました。

家族愛、特に父に対する思いが強いキシリアが、自ら父の形見をニャアンに渡したのは彼女を実質的に「我が子」のように考えているからでしょう。もしかしたら、本当に戦後はニュータイプであるニャアンを後継者として育成するつもりがあったのかもしれません。

これらの描写から、キシリアがイオマグヌッソを使って地球を攻撃しようと考えていること、そのためにニャアンに働いてもらおうと考えていることがわかります。地球に住む人を「大人」と表現しているのは、「大人」を嫌うマチュと合わせた言葉選びになっています。子ども=ニュータイプ、大人=オールドタイプとして表現することで「子どもの自由を奪う大人」を排除するよう、ニャアンに求めているわけです。

「強くなりたければためらうことなく撃て」
「どれほど優れた力を持っていても、淘汰されてしまうならそれは強さではない」

というセリフから、キシリアの思想が垣間見えます。

ニャアンの最優先事項は「生き残ること」です。そのためには、友達を盾にすることも、他人を殺すことも厭わずに生き抜いてきました。そんなニャアンを見て、キシリアは自分の理想を託せるシンパシーを感じたのでしょう。

同時に、ニュータイプの可能性を信じようとしないギレンや、地球の「古い大人たち」に苛立ちを感じ、それらを力ずくで排除することで「神の手によらない自然淘汰」を実現し、新しい時代を作ろうと考えているのでしょう。

ファーストガンダムにおいて、キシリアは「ニュータイプの可能性を信じてはいるものの、戦力として利用しようとしている人物」として描かれていました。なので、ニャアンに優しくしたり、彼女の力を利用しようとする描写はキャラクター像にあっています。

しかし「ニャアンを娘のように扱う」「障害をすべて力で排除しようとする」という側面は、ジークアクスにおいて初めて描かれたものだと感じます。なにか彼女にこうした変化をもたらしたのでしょうか。

「死」の意識がキシリアを変えた

キシリアは1年戦争の末期、ソロモン落とし未遂を経験しています。シャアの作戦は失敗し、ゼクノヴァによってグラナダへの落下は免れたものの、それまでは死を覚悟していたはずです。マチュやシャリアのように「死」を意識することがニュータイプへの覚醒を促すこと、サイド6でゼクノヴァ時に頭痛を感じているなど「ニュータイプへ目覚めつつある描写」が見られることなどから、私はキシリアを変えたのはこの「死」を意識したことが原因だと考えています。

おそらくキシリアはこの経験によって、ニュータイプによるヒトの革新をより強く信じるようになったのでしょう。また、死を強く意識したことで「生き残るために、障害はなんとしても排除する」といった信念を強く持つようになったと考えられます。

その信念は、たまたま出会った少女ニャアンが持っているそれと一致するものでした。彼女が優れたニュータイプであったことも重なって、彼女にシンパシーを持つようになったのでしょう。だからこそ、彼女を娘のように思い、彼女を強くするために「強さとは、生き残ろうとする意思である」という己の信念を伝えなければならないと考えたのだと思います。

ただし、シャリアのように「責任」「義務」「期待」を失ったり、やりたいことがなくなったりする経験があるわけではないので、本人がニュータイプとして覚醒するまでの条件は満たしていない、ということでしょう。

逆に、ギレンは戦争がジオン優位に進んだ結果、ファーストガンダムにおけるア・バオア・クー防衛戦のような前線での戦いを経験することがありませんでした。これもまた、戦後の5年間における両者の「強さ」の差を広げる結果につながってしまったのだろうと考えます。

シャロンの薔薇を救うため、マチュの出撃

ニャアンはもはや戦闘でもまったく恐怖を感じていません。キシリアの特命を受けてエグザベらとわかれ、イオマグヌッソに侵入します。シャリアの部隊はまったく状況を知らされていなかったようで、懸命に情報の把握に務めています。これまで黙して語らなかった操舵士のタンギが浮かない顔で「戦争が始まった」と呟いていますので、彼もシャリアの目的に一枚噛んでいるのかもしれません。

シャリアはキシリア麾下で、ギレンのスパイという容疑も晴れているとはいえ、ニャアンやエグザべなど本当の側近と比べれば距離がありますから、情報は知らされていなかったのでしょう。「ギレンとキシリアを同時に排除する」という目的が破綻したシャリアは、キシリアを止めるべくマチュに「あなたには、あなたが望むことをやってもらいたい」と依頼しました。

同時に、シャリアはイオマグヌッソの正体について「シャロンの薔薇が起こすゼクノヴァを利用した戦略兵器」であると語ります。イオマグヌッソが破壊に使われる前に、シャロンの薔薇に囚われた少女=向こう側のララァを救い出してほしいというのが、依頼の内容でした。シャリアはマチュによってシャロンの薔薇を発見し、引き上げた際、彼女が「向こう側のララァ」の存在に気づいていたことを知っていました。

おそらくどこかの段階で、イオマグヌッソを止めるために「向こう側のララァ」を奪取する必要があること、マチュがジークアクス世界でのララァとの出会いから、彼女もまた「向こう側のララァを救いたい」と考えていることを理解して準備を進めていたのでしょう。

マチュはソドンのカタパルトから「マチュ、ジークアクス出ます」と、明確に自らの意思でイオマグヌッソを止めようと出撃しました。

イオマグヌッソの開発責任者、レオ・レオーニ

イオマグヌッソの中心部に近づいたニャアンは「もう一度、キラキラ(ゼクノヴァ)が起こせればシュウジを呼び戻せる」とつぶやきます。彼女はイオマグヌッソがゼクノヴァを利用した破壊のための兵器であることを知らず、シュウジと会うためにゼクノヴァを起こそうとしているのがわかります。

イオマグヌッソの中央には、不思議なケーブルを付けられたシャロンの薔薇がありました。そばにはそれを眺める、開発者であるレオ・レオーニ博士、ティルザ・レオーニの親子の姿もあります。

レオ・レオーニはイオマグヌッソを「絶対悪ではない抑止力」と表現しています。開発責任者ですから、当然これが地球環境再生のためだけでなく、破壊にも仕えることは理解しているのでしょう。おそらくは、シャロンの薔薇がない限りは「地球環境修復用のソーラ・レイ」以上のものではないのだろうと考えられます。

ティルザは懸念している様子ですが、シロウズは「それで大きな戦争が避けられるなら」とレオ・レオーニに同意を示します。

そのとき、ジフレドがシャロンの薔薇=攻撃システムに接近してきたの気が付きます。レオ・レオーニは警告しますが、ニャアンはこれを無視。排除システムを作動させようとした彼らがいるデッキをジフレドで叩き潰しました。

レオ・レオーニの言葉の中で、ギレンの名前が出てきていること、キシリアに対して「女に権力を与えるとすぐこれだ」と語っていることから、彼もまたギレン派であり、開発責任者を自派の人物が務める計画だからこそ、ギレンも許可を下したのであろうことがわかります。

ただ、レオ・レオーニの言葉通り、ギレンはあくまでもイオマグヌッソを抑止力として考えていて、積極的に連邦に対して使用しようとは考えていなかったことが、キシリアとの決定的な違いでした。

「嫌な匂い」とは、自分を嫌う相手に感じるもの

ニャアンはレオーニ親子を排除する際、「嫌な匂い」と、かつて黒い三連星に向けたのと同じ言葉を発しています。彼らの共通点は「素人だと考えていたジークアクスのパイロット」や「女の身で権力を握るキシリア」を侮り、見下しているところです。こうした、自分を侮り・見下してくる相手をニャアンは「嫌な匂い」だとニュータイプ的な感性で表現しているのでしょう。

同様に、第七話でサイド6を訪れたキシリアは「ここの匂いは好かん」と語っていますが、その際会合していたのは、表面上はうやうやしく接しながら、心の底では彼女を見下すペルガミノ大統領でした。キシリアもまた自分を侮り、見下す人物を「嫌な匂い」だと感じているのでしょう。

ニャアンがキシリアを「私のことを嫌っていない」と表現し、かつ彼女からもらったダマスクローズの香水を「いい香り」と表現しているのは、彼女たちの精神的なつながりが表面的なものではなく、内実を伴ったものであることを裏付けています。

シロウズ=空っぽになってしまったシャアの目的とは?

シロウズはひとり攻撃を避けて部屋から脱出。どこかへと行方をくらまします。

シロウズの正体は、シャアでほぼ間違いないでしょう。ただし、仮面を被っていませんから今の彼は中身である「空っぽのシャア」だと言えます。彼はゼクノヴァで「向こう側のララァ」と感応を経験しています。今「空っぽのシャア」が何を考えているのか想像してみましょう。

シャアはゼクノヴァで消失する直前、「刻が見える」と言っています。これはジークアクス世界のララァが夢に見て「向こう側のララァ」が体験したとされる「何度繰り返しても赤い士官服の彼が、白いMSの彼に殺されてしまう」という流れではないでしょうか。もしそうなら、それを知ったシャアは何を考えたのでしょうか。

今のシャア=シロウズは、キャスバル、シャアという2つの人生を生き、それぞれで「死」を経験しました。木星から帰ってきたシャリアと同じく、やりたいことももはやなく「もうどうだっていい」という心境になっているのではないでしょうか。

だとすると、今イオマグヌッソの中にいるのは、キャスバル・シャアとしての責任から解き放たれた「本当の自由」を得た人物だということになります。今のシャアは「本当にやりたかったこと」をしようとしているのだと思います。

ア・バオア・クーの崩壊

ニャアンは攻撃システムにジフレドを接続。キシリアから指示されたコードを入力し、ゼクノヴァを発生させようとします。ただし、彼女の目的はあくまで「シュウジを呼び戻す」ことであって、それが危険な戦略兵器であるとは考えていません。

第一目標は、月の裏側にあるア・バオア・クーでした。国家親衛隊の主力艦隊が駐留していますが、本来は月に隠れて届かないはずのそれらすべてがゼクノヴァの光に飲み込まれ、イオマグヌッソの周囲に転移させられたうえで何処かへ消し去られてしまいました。

再開するマチュとニャアン

そばにいたマチュは「シャロンの薔薇が泣いている」と憤り、イオマグヌッソへ突入しようとしますが、エグザべらギャンの部隊に阻まれます。すんでのところでキケロガが到着。シャリアに彼らを抑えてもらい、マチュはイオマグヌッソへと向かいました。

エグザべから真意を問われると、シャリアは「ニュータイプがニュータイプとして生きられる世を作りたいだけ」と応えます。

ゼクノヴァを起こしたニャアンは、気持ち悪さを訴えていましたが、これはファーストガンダムにおけるソーラ・レイの照射で、一度に大量の人間の死の感情を感じ取ったアムロが動揺していたのと同じことでしょう。

マチュはジフレドを発見し、両者が退治するところで物語は次の回へと続きます。