機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス)考察-第一話「赤いガンダム」

機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス)- 第一話「赤いガンダム」の考察です。

※第一話放送終了後~第二話放送開始前までに視聴した感想・考察です。

劇場版「機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス) -Beginning」視聴後の考察・予想はこちら

機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス)考察 -Beginning-劇場版の内容からTVシリーズの展開を予想してみた
2025年1月17日に全国の劇場で公開された『機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス)』。特別映像が追加されたものを含めて...

スマホに届くメッセージの意味

劇場版ではBeginningパート→0085年パートという流れでしたが、TV放送ではいきなり0085年パートからのスタートとなりました。

実際に見てみると「ジオンが勝利した世界らしい」「舞台はサイド6」といったことがセリフや映像から伺えるようになっており、特に違和感は覚えません。

スマホに届く謎のメッセージ(=Let’s get to the Beginning.)とともに、主人公のマチュが登場します。
このメッセージの意味についてGrokで調べたところ、次のような回答でした。

「Let’s get to the beginning.」は、「最初に取り掛かろう」「始まりに戻ろう」「スタート地点に行こう」といった意味です。会話や物語、プロジェクトなどで「最初からやり直す」「原点に立ち返る」ことを提案するカジュアルな表現です。

例えば:
「話が複雑になってきたから、最初から説明してよ!」(”Things got complicated, let’s get to the beginning!”)

「このゲーム、最初からやり直そうぜ!」(”Let’s get to the beginning of this game!”)

また「Beginning」の頭が大文字になっている点にも、意味が隠されている可能性があります。
同様にGrokに尋ねたところ、次のような回答でした。

  1. 「Beginning」の大文字の意味
    英語では通常、文中の単語の頭文字を大文字にするのは固有名詞(人名、地名など)や強調、特定の文脈を指す場合です。「Beginning」を大文字にした場合、以下の可能性が考えられます

    強調や象徴的な意味: 「Beginning」を単なる「始まり」ではなく、何か特別な、重要な「始まり」として扱っている可能性があります。例えば、物語やプロジェクトの「原点」「起点」を象徴的に表現している場合。「The Beginning」は「すべての始まり」「重要なスタート地点」といったニュアンスを持つことがあります。

    例: 映画や小説のタイトルで「The Beginning」と大文字で書かれる場合、単なる始まり以上の、壮大なストーリーの幕開けを意味することが多いです。

    特定の文脈やタイトルへの参照: 「Beginning」が大文字なのは、特定の作品、章、イベント、テーマを指している可能性があります。例えば、アニメ、ゲーム、音楽、または物語の中で「The Beginning」という名前の章やエピソードがある場合、それを意識的に引用しているのかもしれません。
    例: 「Let’s get to the Beginning.」が、特定の物語の「始まりの章」に戻ることを意味している場合。

外部からの観測・メタ視点を前提にした世界

先の考察・予想に記載したように、私はこのジークアクスの世界を「何らかの作中作、またはバーチャル世界」だと考えています。

「Let’s get to the Beginning.」とは、まさにその作中作・バーチャルの世界がスタートしたことを意味しているのではないか?と予想します。同じような文脈で「ジークアクス世界では、マチュがループする構造になっていて、今回は何周目かの状態である」と予想している人もいるようです。

「Beginning」の頭が大文字になっているのは、これが一つの物語の「始まり」であることを明示的に示すためだと考えられます。この点も「この世界が作中作・バーチャルな世界である」というひとつの根拠になります。

つまり「ジークアクス」という物語を、その外部から観測している何者かの目線に立ったとき、この時点が「始まり」である、ということを示していると考えられるからです。世界よりも外側にいる外部の観測者の視点を前提としている以上、メタ的な構造を含むことが色濃く示唆されていると言っていいでしょう。

難民街(ジャンクヤード方面)に集められる人物たち

マチュは、メッセージを受信→改札でニャアンと衝突→インストーラーデバイスを入手という流れで、
その後の運命が大きく動かされることになりました。

そのきっかけが最初のメッセージの受信であったことは興味深い点です。

赤いガンダム(シュウジ)は軍警に追われ、ジャンクヤード方面に逃走します。
ジャンクヤード方面とは、工業港がある方面とされていますが、おそらくその性質上、難民街も同じ方面だと考えられます。

工業港がある側は大量のジャンクヤードが外側に増設され、歪な形となっている。
コロニーの壁内部(住民にとっての「地下」)には整備用のトンネル等が走っているが、管理の手が行き届かず、シュウジ・イトウが大量にペイントアートを描いていたり自分の機体である赤いガンダムを隠していたりと非合法な形で利用されているものもある。

https://dic.pixiv.net/a/%E3%82%A4%E3%82%BA%E3%83%9E%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%83%BC

シュウジ:軍警から逃れて自身のねぐら(ジャンクヤード方面)に帰ろうとしている
マチュ・ニャアン:カネバン有限公司(難民街・同方面)に向かう

という形で、主要キャラクターたちが一つの場所で出会う舞台が整いました。

本心を語らないシャリア・ブル

シャリア・ブルは部隊指揮官であるにも関わらず、艦橋の隅の微妙な位置に佇んでいます。
コモリ少尉が話しかけたときも、必ず背中越し、または横向きで回答しており、部下たちに対して正面から向き合おうとしていません。

Beginningパートを見ていれば、これは彼が本心(シャアとともに新しい世界を作ること)を隠しているからだとわかります。

ストーリーは「マチュとニャアンの初会話」「エグザべと赤いガンダムの戦い」と続いていきます。
エグザべは初陣にしてはうまく戦いますが、旧式である赤いガンダムに押されてしまっているのはオメガサイコミュを起動できなかったからでしょう。

その点「赤いガンダムに対抗できるのは同じサイコミュを持つジークアクスだけ」と考えたシャリアの判断は間違ってはいないと言えます。結果的にエグザべがオメガサイコミュ起動できなかったため、強引にコロニー内部での戦いに持ち込むことになってしまいましたが・・・。

個人的な動機から、他者への関心へ

カネバン有限公司を訪れたマチュの前に、2機のガンダムが現れます。
このとき、マチュは恐怖よりも興味のほうが勝っている様子ですが、あとから現れた軍警が難民に乱暴を働くと、難民(ニャアン)を守るために戦うことを決めます。

このあたりのマチュの気持ちの切り替わりは少しずつ、前のシーンから描写されています。

学校のプールで逆立ちするシーンでは「コロニーという人造の環境に疑問を持つ」という、彼女の日常的・個人的な動機がクローズアップされていました。

その後、ニャアンとの出会いを通じて「なぜ自分と同じくらいの歳の子が、非合法の密輸品を運ぶというきけんなことをやっているのか」「難民街とはどんなところか」「クランバトルとはどんなものか」というふうに、彼女の日常よりも外側の他者に対する興味・関心にシフトしていっていることがわかります。

それを受けてこのシーンで「ジオンが戦争に勝ってもスペースノイドは自由になれない、いつまで経っても苦しいままだ」というアンキーのセリフにつながります。

直前の「宇宙って、自由ですか?」というマチュの質問に対する婉曲的な回答になるセリフではありますが、マチュの関心の変化(自分の日常のことから、非日常・他社のことへ)に合わせた回答にシフトしている、ということです。

マチュをジークアクスに乗せたのはハロ?

「宇宙って、自由ですか?」という質問に、最初に直接的に応えたのはハロでした。
しかも、そのときにマチュのそばにいってから、軍警が暴れているシーンでも、ザクにマチュが乗り込むシーンでも勝手についてきています。さらに、インストーラーデバイスを挿入する位置までマチュに教えています。

ジークアクスに乗り込む際にも、マチュが連れて行ったわけではなく、ハロが自分から彼女を追いかけています。彼女とは初対面のはずなのに、なぜこのような行動を取るのでしょうか?

オメガサイコミュの軌道シーンでは「ロックが外れる」と発言していますが、英語など他国語版の字幕では「Unlocking.」という字幕が出ているようです。

これは「ロックが(自動的に)外れる」という意味よりも「(私が)ロックを解除しています」という意味合いに近く、そこから「ハロがマチュを選び、ジークアクスに乗せた上でオメガサイコミュのロックを外した」と考察できます。

ハロは(ファーストガンダムの設定のままであれば)市販品のロボットであり、当然サイコミュと連携する機能などは備わっていないはずです。

劇場アニメ『機動戦士ガンダムF91』などのガンダムシリーズの設定考証を担当したサンライズ(当時)の井上幸一による後年の設定[注 3]によれば、SUN社によって宇宙世紀0078年頃に発売された製品であり、フラウが所有する個体はアムロの手によってさまざまなカスタマイズがほどこされていたとされる。もとの製品は、内蔵のコンピューターに初歩的なAIを搭載し、耳の部分に内蔵されたスピーカー兼マイクと目の部分のカメラで常にユーザーを認識し、その問い掛けに答える。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AD_(%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%A0%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA)

注目すべきは「AIが搭載されている」という点でしょう。

私は、マチュのスマホに送られたメッセージや、一連のハロの行動などは「シャロンの薔薇」、もしくはジークアクス自体のサイコミュによって遠隔操作されているものだと考えています。「ジークアクス自身がマチュを自分のパイロットとして選び、乗るように導いている」と予想します。

(2025/04/13追記)

このハロの行動は「けものフレンズ」におけるラッキービースト(ボス)の言動とも酷似しています。ラッキービーストは、主人公であるヒト=かばんちゃんには話しかけますが、それ以外の登場人物(フレンズたち)とは会話しません。詳しくは以下の記事もご参照ください。

けものフレンズ1話感想その16:ラッキービーストの謎と「ロボットキャラ」の役割
前回記事 【1話 その15】アニメ感想「けものフレンズの謎」:サーバルが爪を研ぎ過ぎて木を切り倒してしまった理由 【B...

オメガサイコミュの正体は?

オメガサイコミュ起動による「ジークアクス、大地に立つ」シーンでは、特に姿勢制御バーニアのようなものをふかしている様子は見受けられません。この点は白いガンダムと対象的ですが、ジークアクスは各種関節などの駆動系だけでバランスを保ち立ち上がりました。

マチュはオメガサイコミュの操縦桿を握っただけで、宇宙に出るまでは特に操作らしい操作もしていません。それなのにジークアクスは軍警ザクの銃撃に対して自動でガードしています。マチュが「武器」と考えただけで、自動的に落ちているトメノスケ・ヒートホークを画面上で示しています。

完全に「マチュがやりたいと考えたことを、自動的にジークアクスが読み取って実行している」という描写です。

私はこれと同じ「パイロットが操作していないのに、自動的にMSが動いて戦う」という描写を一つ知っています。ファーストガンダムの「ラストシューティング」です。

「必死に最後の力を振り絞って放った一撃」という印象が強いが、実際のシーンではシャアの不意打ちを予感したアムロ・レイが、自動操縦機能に委ねてガンダムを乗り捨て、捨て駒同然に特攻させるという扱いであり「思ってたのと違う」という印象を抱かれることも。

しかし、自動操縦に任せたのはあくまでも先に進めという指令を入れたことのみであり、姿を現す前に一旦止まり、一気に飛び出して直上のジオングの居るであろう位置を正確に狙ってラストシューティングをかましたのはアムロと共に戦いその技術と行動原理を吸収して成長してきたAI独自の判断であり、その集大成である。

https://dic.pixiv.net/a/%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0

私はこれらの描写から、ジークアクスのオメガサイコミュは「ガンダムの教育型コンピュータとサイコミュを合わせたもの」だと予想しています。

さらにいえば、そのサイコミュはどちらかというとZガンダムにおけるバイオセンサーに近いものだとも考えています。

ΖΖガンダムに搭載されたバイオセンサーは改良型で、このデバイスはΖガンダムに搭載されたバイオセンサーと呼ばれる簡易サイコミュの発展型であり、パイロットの思惟を機体制御に反映させることが可能となっている。本機のシステムは双方向通信機能を有する武装としてのサイコミュとは異なり、純粋に機体のコントロール・システムの補佐を行うデバイスとして機体管制に導入されている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%A5#%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%BC

マチュはそもそも訓練を受けていませんし、操縦法も知りませんのでジークアクスを動かすことはできないはずです。また、もし動かすことができたとしても、おそらくは1年戦争で実戦経験があるであろう軍警のパイロットを倒すほどのスキルは間違いなくないはずです。

それが勝手に動き、かつ軍警ザクを撃破できている以上「マチュの脳波をオメガサイコミュが読み取り、それを元に『マチュがやりたいこと』を教育型コンピュータ(AI)が自動的に機体制御に反映させている」と考えるのが、最も合理的ではないでしょうか。

元々教育型コンピュータは、シャアが白いガンダムを奪取した際に連邦からジオンに技術がわたったと考えられます。

その後、ガンダムの教育型コンピュータはシャアの戦闘のデータを蓄積し続けたはずですから、それらがジークアクスにもたらされているであろうことは予想できます。それが、素人のマチュが動かしても高い戦闘力を発揮できる理由ではないでしょうか。

シロッコが名指しで言及された理由

余談ながら、ジークアクスの舞台設定は「本当はもっと後年にしたかったが、シロッコを登場させないために0085年に設定した」との話が、鶴巻監督からありました。なぜシロッコだけが名指しで言及されているのか、いろいろな予想がされていましたが、私は「シロッコは自力でバイオセンサーの開発に成功したから」だと考えています。

バイオセンサーは、アナハイム社が開発したものですが、シロッコも独自に同様の技術の開発に成功していました。ジークアクスでは「ジオン勝利によってアナハイム社はジオニック社に合併され、存在していないのではないか」との説もあります。

そのため、シロッコさえ出てこなければ「オメガサイコミュ≒バイオセンサーである」という点を伏せておきやすくなります。特に、オメガサイコミュが今後ストーリーの根幹に関わってくる場合、「シロッコも同じようなもの作れるはずだけど、あれはどうなったんだ」という疑問が当然、ファンの間にはわいてくるでしょうから、そういったノイズを消す効果も期待できます。

それがシロッコが名指しで言及された理由ではないでしょうか。

マチュは「シャアの意思を継ぐもの」として選ばれた?

ジークアクスが「自分でマチュをパイロットとして選んだ」とするなら、決め手になったのは何だったのでしょうか?
私は「マチュが『シャアの意思を継ぐもの』となる素質があったから」ではないかと考えています。

TVシリーズでは、1話が「赤いガンダム」、2話が「白いガンダム」という0085年パート→0079年パート、という順番になっています。この流れだと、マチュが1話で辿った足跡が、2話でシャアが辿る足跡ととても良く似ていることがわかりやすくなるのではないでしょうか。

シャアは「ひらめき」によって、眼の前にあった未知のMSに乗り、初めての戦闘で敵を撃破、その後の運命を大きく変えました。
マチュも1話でこれとほぼ同じ流れを辿っています。また、前述した流れで「スペースノイドの自由」を意識するようになっていたことも興味深いです。

ニュータイプ能力によるものなのか、それとも性格や資質など人格面の部分なのか、あるいはその両方か。いずれにしても「ジークアクスから『シャアの意思を継ぐもの』として選ばれた可能性があると考えます。

オメガサイコミュの起動シグナルを確認した際、シャリアは「動いた?」と以外そうな表情を見せています。エグザべにオメガサイコミュを起動できる可能性は元々低いと考えていたからではないでしょうか。

シャリアもまたシャアとともに「新しい時代」を作ると語り合ったものです。もしかしたら「シャアの後継者を探す」というジークアクスの目的に一枚噛んでいる可能性もあるのではないでしょうか。

シャリアはファンの二次創作などでは「シャアに執着している」といった印象を持たれがちなキャラですが、私はそこにも少し疑問を持っています。たしかにシャア本人が生きていれば一番なのでしょうが、それが無理だった場合には、シャアの代わりに自分のマブ(同士)となってくれる人を探している、というのが本当の目的ではないでしょうか。

EDはマチュたちが目指していく理想の世界?

初公開となったEDシーンも、様々な新しい情報を与えてくれます。
細かな点はともかく、私は「マチュとニャアンの二人」と「ハロとコンチ」が登場している点に注目しました。第1話はマチュとニャアンの出会いの物語です。

マチュはサイド6の富裕層の家庭に生まれた「本物」のJK。ニャアンは危険なバイトで食いつないでいる難民の「偽物」のJKです。彼女たちが、ハロやコンチなど機械の導きによって今後の様々な運命に巻き込まれながら、最終的には「同じ家で、同じように楽しく暮らせるような世界」を作っていけるか、が今後描かれていくのではないか、と期待しています。