けものフレンズ1話感想その7:サーバルの「聖母の微笑み」に隠された意味とは?

諸注意

前回記事 【1話 その6】アニメ感想「けものフレンズの謎」:サーバルの隠された能力

【A・Bパート中間 しんざきおにいさんのサーバル解説】

けものフレンズの特色でもある、フレンズのもととなった動物の生態解説部分です。初回は「たまどうぶつこうえん しんざきおにいさん」が、主要キャラクターであるサーバルの解説を行います。「サバンナに住んでいる・聴力に優れている・高いところが好き・ジャンプ力に優れる」といった、これから作品上で描かれるシーンの多いサーバルの特徴について触れています。

けものフレンズでは、動物の特徴を元にした演出が多数ありますが、こうした解説シーンが存在することでそうした演出が単なる偶然ではなく、意図的に行われているとわかります。たとえば、1話冒頭の狩りごっこシーンで、サーバルは「木の上で」休んでいるところ、「物音」に気づいて反応し、かばんちゃんを追いかけた後「ジャンプして」捕まえています。

【Bパート かばんちゃんが木登りに挑戦するシーン】

サーバル:あっそうだ!木登りができると逃げたり隠れたりするのに便利だよ。ちょっとやってみない?

(中略)

かばんちゃん:無理ですよぉ・・・。

サーバルがかばんちゃんに木登りの習得を促しますが、最初から高い木に挑戦するのは難しいので、低い木からチャレンジすることになります。一度は弱音を吐いたかばんちゃんですが、結局木登りを諦めることなく(サーバルがお尻を押してくれたとはいえ)成功させます。

ストーリー上は重要なシーンだが、演出が簡素なため初見ではまず気づけない

この「木登り」のシーン。全編を通してみると極めて重要なシーンであることがわかります。この後、かばんちゃんが木登りをするシーンが各所で見られますが、徐々に木登りが上達している姿を見せることで、かばんちゃんの成長を視聴者に示唆する意味があるからです。

ただし、それはあくまで話の続きを見ていった場合の話。ここまで見続けた初見の人にとって、第1話は「狩りごっこ→崖を降りる→川を渡る→セルリアン撃退→休憩→木登り」という、比較的単調なシーンの連続に見えるでしょう。そのため、退屈に感じられて「1話切り」してしまった人が少なくありませんでした。

【1話 その3】アニメ感想「けものフレンズの謎」:初見で退屈に感じる理由と、その後おもしろく感じられる理由

上のリンクにある過去の考察でも語っていますが、けものフレンズという作品は描写や演出に一切の無駄がありません。しかしそのために初見時から視聴者の目を引くような過剰な演出がなく、見続けていないとなかなか魅力に気づけないという弱点も抱えています。このあたりを両立させるのは非常に難しく、またどちらを優先させるかというのも難しい問題なのですが、少なくともけものフレンズにおいては「ストーリー上の整合性・必然性」を優先した演出方法が取られているといっていいでしょう。この傾向は全編を通して共通しています。

【Bパート 木登り後、水辺まで歩くシーン】

坂道で足を滑らせたかばんちゃんが、再び歩きだそうとするのをサーバルが優しく微笑んで見守るシーンです。この場面は、Aパートのセルリアン撃退時、自分に自信をなくしているかばんちゃんに手を差し伸べ、元気づけたシーンと合わせて、サーバルの優しさを強く印象づけるシーンとしてファンの間ではよく知られています。

なぜサーバルは「優しく見守る」だけだったのか?

実は今までのシーンと比較するとこのシーンには大きな相違点があります。Aパートにあった「崖を降りるシーン・川を渡るシーン・セルリアンに襲われるシーン」において、サーバルは難にあったかばんちゃんに対して必ず「手を差し伸べ、声をかけて」いました。ところが、今回のシーンではそのどちらも見られません。

なぜサーバルは今回に限って手を差し伸べたり、声をかけたりしなかったのでしょうか?理由は単純で「転んだかばんちゃんがすぐに立ち上がり、再び歩き始めた」からです。何気なく見ていればたったそれだけのシーンですが、このシーンがわざわざ描かれたということは、そこには何かしらの演出上の意図が隠されていると見るべきです。ではこのシーンは視聴者に何を伝えるために描かれたのでしょうか?

謎を解く鍵は、「サーバルが微笑んでいる点」にあります。「かばんちゃんが無事でホッとした」というのが普通の解釈だと思いますが、よくよく考えてみると坂で軽く足を滑らせたくらいでそれほど大事になるとは考えられません。「ホッとする」というのは、「何か心配なことがあったが、何事もなく無事に済んだ」ときに起こる感情です。ではなぜサーバルは、普通であればさほど心配する必要のない場面でかばんちゃんのことを心配したのでしょうか?

その理由は、かばんちゃんがまだ「生まれたてのフレンズ」だったからです。このシーンのサーバルの微笑みはファンから「聖母」と表現されることもあります。人間に例えたら、「赤ちゃんが上手に歩けるか心配しながら見守っていたお母さんが、上手に歩けた様を見て微笑んでいる様子」といえるかもしれません。そのように解釈すれば「聖母」という例えはまさにうってつけの表現でしょう。

以上のように考えてみると、このシーンの演出の意図がだいぶはっきりしてきます。たとえば、友人と一緒に坂道を歩いていたとしましょう。もし、友人が足を滑らせてつまずく様子を見て心配したとしても、そのとき「聖母のような微笑み」の表情はしないはずです。つまり、このシーンを描くことによって「サーバルは生まれて間もないかばんちゃんを、まるで母親が子どもも見守るような気持ちで見ている」ということを視聴者に伝えているのです。そのように考えれば、セルリアンという脅威について説明したことも、「逃げたり隠れたりするための方法として」木登りの仕方を教えたことも全て合点がいきます。

「あるキャラへの別のキャラの見方」をセリフや回想を使わず表現

こうした「あるキャラクターが別のキャラクターをどういう目線で見ているか」というシーンを描くのは、決して簡単なことではありません。一般的によく用いられるのは、

  • キャラAとBにそれぞれ、何らかの立場を与える(キャラAはキャラBの兄弟・姉妹)
  • キャラAとBの過去の回想シーンを入れる
  • ほかのキャラクターを使ってセリフで説明させる

といった方法でしょう。これらの方法は確実で、かつ多くの人にキャラクター同士の関係を伝えることができますが、同時に時間がかかる、演出が過剰になるといった欠点もあります。

それに対して、けものフレンズでは、こうした一般的な表現手法を使わず、ろくなセリフも喋らずに1分足らずのシーンとキャラクターの演技によって「サーバルから見たかばんちゃんの立ち位置」を表現しています。これは極めて高度な表現手法であるといえるでしょう。

ちなみにこの「生まれたばかりの保護すべき対象」という、かばんちゃんに対するサーバルの見方は、この後わりとすぐに変化してしまいます。その変化の理由や過程もなかなか面白いので、今後の考察の中で取り上げていきたいと思っています。

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