2018年の大晦日、にじさんじCOO兼Vtuberのいわながちゃんが、2018年を振り返るライブ配信を行いました。その中でも特に多くの時間を費やして語ったテーマのひとつが、ネットやSNS上などオンラインでの人間同士のつながりを示す「コミュニティ」についてでした。この記事ではいわながちゃんが語った「コミュニティ」に関する内容を簡単に要約してご紹介します。
対象の配信:2018年をザザザーーーっと振り返る
再生時間:00:45:53~00:57:23(約12分)
Q18.コミュニティ設計に関する考え方を教えてほしい
コミュニティ設計についての考えや、実際にミートアップなどのリアルイベントで得られた手応えなど教えて頂きたいです
https://twitter.com/Franz2kfk/status/1079454035592110080
「嫌な情報は見なくていい時代」の到来
いわながちゃん:たとえばニコニコ動画であれば、動画カテゴリごとのコミュニティのようなものがあると思うが、時代が進むとともにコミュニティの細分化が進んでいると思う。
今までのネットの情報は質の高いものから低いものまで玉石混交だったが、今は「嫌な情報は見なくていい時代」になっている。ツイッターなどで「望まない情報をミュートにする」というような感覚が当たり前になってきている。この傾向が加速していって、細分化されたコミュニティの中で「そのコミュニティならではの情報」が存在するようになっていくと思う。
「自分に合った尖ったコミュニティに所属する時代」へ
DiscordやSlackのグループチャットのように「招待されなければ入れない」「見たくない情報は存在しない」コミュニティが、参加者からの出資によって運営され、かつ「個人が自分の感性に合ったコミュニティに複数参加する」という形になっていくだろう。
人々が限られたコミュニティに所属するようになると「特定の思想や考え方に支配されるようになるのではないか」と危惧する人もいる。自分は読んでいないがつい最近も「オンラインサロンは宗教か」といった記事がネットで話題になった。しかし、「特定の考えに支配されること」自体は他人に迷惑をかけない限り必ずしも悪いこととは言えないのではないか。
コミュニティ選びが人生の充実度を左右する
たとえば、日本には伝統的に「ムラ社会」というコミュニティが存在してきた。「ムラ」は1箇所にしか住めないが、オンラインのコミュニティは複数同時に所属できるという強みがある。
「自分の感性に合致するコミュニティに複数所属し、それぞれの中で精力的に活動している人」が「人生の充実している人」とみなされる・・・、そんな世の中になっていくという予感がする。
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