けものフレンズ11話感想その18:セルリアンとの決戦に臨むサーバルの気持ち

諸注意

けものフレンズ11話感想その17:自分自身の生き方を決めたかばんちゃん
【Bパート かばんちゃんのセルリアン撃退作戦】 ハンターたちと合流したかばんちゃんは、フィルターにより自己修復能力を封じた...

【Bパート 決戦前の最後のひととき】

黒いセルリアンを撃退するための作戦を皆に疲労したかばんちゃん。かばんちゃんの作戦とは、「夜になった後、ジャパリバスのライトと火の明かりで誘導し、船に乗せて海に沈める」というものでした。当初はヒトという動物はどんなふうに生きるべきか、答えを探すためにパークの外へ行こうと考えていたかばんちゃんでしたが、パークとフレンズたちのために奮闘するミライさんに影響を受け、船を犠牲にしてでも自分も同じように生きたいとかんがえるようになったのです。

ヒグマ:すまん、お前が使うはずだった船を・・・。

かばんちゃん:いえ、僕も最近知ったくらいですから。

キンシコウ:面目ない・・・ハンターでもないあなたたちを危険に巻き込んで・・・。

フェネック:なーにいってるのさー、パークの危機はみんなで解決しないと。

サーバル:今まで見えないところで頑張ってくれてたんだね。ありがとう。

アライさん:かばんさんも言ったそうなのだ。困難は群れで分け合えと。

かばんちゃん:えっ、僕そんなこと言ったっけ?

アライさん:それにかばんさんに加えてアライさんまで、完璧な布陣なのだ。

ヒグマ:えっ?お前特技ってあるのか?

フェネック:明後日の方向に全力疾走ができるよー。

ヒグマ:大丈夫かそれ?

一同:あははははは!!!

他人のために危険をいとわない7人(と1体)の仲間

黒いセルリアンとの戦いに望むメンバーは、今日偶然知り合っただけの混成チームです。もう一度個々の面子を振り返っておきましょう。

まず、かばんちゃんと一緒にさばんなちほーから旅を続けてきたメンバーが3人。かばんちゃん、サーバル、ラッキービースト(ボス)の3人です。今回の作戦はそもそもかばんちゃんの発案なので、作戦を主導するリーダー的な役割を果たさなければなりません。かばんちゃんのほか、船を動かすことのできるラッキービーストも替えが効かない存在です。かばんちゃんはすでに作戦の基本的な指示を済ませているため、万一途中で活動できなくなってしまってもほかのメンバーで作戦の続行は可能ですが、ラッキービーストがやられてしまえば船を動かすことはできなくなってしまいます。

サーバルはほかの2名とは違い、特に彼女にしかこなせない役割というものはありません。戦闘能力も決して高いとはいえないため、今回はサポートの役割に回ることになるでしょう。

サポート役のアライさんとフェネック

続いて、かばんちゃんたちを追いかけてきたアライさんとフェネックの組をご紹介します。彼女たちはジャパリパーク中を旅しており、博士や助手とも知り合いで顔が広いのが特徴です。あくまでも普通のフレンズにすぎないので戦闘能力は高くありませんが、アライさんの行動力とそれを御するフェネックの冷静な判断力・知識などは頼りになります。

かばんちゃんによって、彼女たちはほかのフレンズを近隣に近づけない役割が課せられました。作戦の中ではサポート役に当たる立場ですが、後に重要な役割をはたすことになります。

ジャパリパークの軍人、セルリアンハンター

最後の3組目が、セルリアンハンターの3人です。ヒグマ、キンシコウ、リカオンはセルリアンとの戦いに長けたプロフェッショナル。サーバルが語ったとおり、今まで人知れずセルリアンの脅威からフレンズたちを守るために日夜戦いに明け暮れていたのでしょう。

動物だった頃とほぼ変わらない暮らしを続けるフレンズも少なくない中、彼女たちはジャパリパークの安全を守るという役割を持っていること、そして自分自身のためではなく、ほかのフレンズたちのためにその仕事をしている、という点に特徴があります。

今までもヒトに近い、文化的な活動を行うフレンズはいましたが、こうした「他人のためなることをする」というフレンズは非常に珍しい存在だといえるでしょう。ほかには自主的に「渡し船」を営業していたジャガーや、図書館でさまざまなフレンズに知恵を授けている博士と助手がいますが、どちらも命の危険に身を晒していたわけではありません。そういった意味でハンターたちの活動はジャパリパークにおける警察や軍隊に相当するといっていいでしょう。

ヒグマとキンシコウが、自分たちだけで事態を収拾できず、かばんちゃんたちに協力してもらわざるを得なくなったことを詫ていたのは、「民間人」を守るべき「軍人」が、逆に民間人に助けられているという現状を申し訳なく思ったからだと考えられます。この行動からも、ヒグマが初登場時、協力を申し出たサーバルに冷たい言葉をかけていたのは「民間人」を危険に晒したくなかったための行動だったことが裏付けられました。

ハンターたちは戦闘力に優れているため、作戦では矢面に立つ危険な役割を請け負います。ただし、キンシコウが昼間の戦いで消耗していること、船までセルリアンを誘導することが目的なことなどから、攻撃よりも回避や守備を優先して行動することになるでしょう。

「動物」が本能に逆らい、命を危険に晒せるのはなぜか?

今回揃った3組メンバー、いずれにも共通することは「たとえ自分の命を危険にさらしてもほかの誰かのために役立ちたい」という強い意志を持っているということです。人間社会の中で、かつ軍隊や警察などのように危険に晒されるリスクがある環境にいる人であれば、こうした覚悟を持つことは当然かもしれません。しかし、忘れてはならないのは、彼女たちフレンズがあくまで「野生動物がヒトの姿になっただけの存在」であるということです。

つまり、本来の彼女たちの価値観からすれば、自分の命を危険に晒してまで他人を助ける必要はないばかりか、むしろ自分の命を守るためにセルリアンから逃げることのほうが優先されるべきなのです。

にもかかわらず、この場に揃った3組・7名のフレンズたちは皆「ほかの誰かを守るために自分の命を危険に晒すこと」にまったく疑問を持っていません。これは極めて珍しい事態だということに留意しておく必要があります。たとえば、同じようにパークにいるフレンズをランダムに7名集めたとしても「パークとほかのフレンズたちを守るためにセルリアンと戦おう」という結論には至らないはずです。おそらく、皆散り散りに逃げてしまうだけでしょう。

ハンターたちにしてみれば、パークとフレンズを守るためにセルリアンと戦うのは、いつも果たしている役割をこなすことと同じです。彼女たちひとりひとりがどのようにしてハンターになったのかは気になるところですが、セルリアンに立ち向かう理由は最も想像しやすいかと思います。

アライさんは「かばんさん」に会えてテンションが上っていた

アライさんとフェネックは元々フレンズの中でも「変わり者」と言っていい存在です。たったひとつの帽子を(たとえそれがどれだけ珍しいものだとしても)追いかけてパーク中を旅したり、その旅にずっと付き合い続けたりする彼女たちの行動原理は、ほかのフレンズたちとはかなり異なっています。そういった意味で「明後日の方向に全力疾走ができる=ひとつの目的を達成するまで、諦めずに邁進する」というアライさんの資質は極めて稀有なものである、と以前の考察でもご紹介してきました。もちろん、彼女に付き合い続けているフェネックの資質も同様にほかのフレンズには見られない特異なものです。

けものフレンズ11話感想その11:かばんちゃんとアライさん・フェネックの出会い
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アライさんが今回の作戦に協力してくれた理由は、おそらく「ずっと憧れていたかばんさんの活躍を目の前で見られる」という状況にテンションが上っていたからでしょう。今回の作戦会議でのアライさんのセリフはほとんど「かばんさん絡み」になっていますし、かばんちゃんのことを「あのかばんさん」、「聡明なのだ」と持ち上げています。憧れのかばんさんの手伝いができる、という状況に舞い上がっていたのでしょう。

フェネックの方は、アライさんに付き合うといういつもの行動原理はもちろん、基本的に人助けをするのが好きなのだと思います。へいげんでライオンとヘラジカがサッカーをしている場面に出くわした際、パスを頼まれたときもすぐに返していましたし、「方位」がわからず困っていたかばんちゃんにもすぐに助け舟を出しています。

サーバルは何のために戦うのか?

残る一組、かばんちゃんとサーバル(とラッキービースト)がなぜ自分の身を顧みず作戦に参加しようとしているのかも簡単に確認しておきましょう。かばんちゃんについては、すでに述べたように「パークとフレンズのためにできることをする」という、自分自身の生き様を見つけたことが大きな理由になっていると思います。この点については過去の考察でも取り上げましたし、この後のシーンでも再び触れていく予定です。

ラッキービーストについても同様で、再び「ロボットキャラ」としての側面に注目しながら、活躍するシーンが描かれるのに合わせてその内心を考察していく予定です。

今回の考察は、サーバルだけ「なぜ作戦に参加したのか?」という理由が明確に描かれていない、という点に触れて終わりたいと思います。過去の考察でも何度か触れてきましたが、サーバルは準主役ともいえる主要キャラクターであるにも関わらず、その内心がほとんど描かれていません。特に、「サーバル自身の口から、自分の気持ちを表現するシーン」がほとんど存在しないのです。これがこのけものフレンズという作品の大きな謎のひとつになっています。

そして、この「サーバルの気持ち」が物語のフィナーレにおいて重要な意味を持つようになるのです。