機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス)- 第六話「キシリア暗殺計画」の考察です。
※第五話放送終了後~第六話放送開始前までに視聴した感想・考察です。
第五話の考察はこちら
マチュを褒め称えるポメラニアンズ
黒い三連星とのバトルから帰還したマチュを、興奮した様子でケーンとジェジーが出迎えます。実際には戦っていたのはニャアンであり、バレないように入れ替わって帰ってきたわけですが、今回は文句なくジークアクスの活躍による勝利のため、2人はマチュを褒め称えます。自分の活躍ではないことで褒められて、マチュはバツが悪そうな様子です。
少し離れたところから見守っているナブは、2人ほど興奮した様子は見せていません。マチュに元気がない様子を見て、彼なりに気を使ったのかもしれません。ナブの目線からは、マチュはついにクランバトルで殺人を犯してしまったように見えているはずです。実際にはジークアクスがやったオルテガ機の撃墜はニャアンがおこなったのですが、ナブは入れ替わりに気づいていないため、第五話と同じく「人の死に直面してテンションが下がっているのだ」というふうに見えるはずです。
私はナブはもちろん、ケーンとジェジーも同じように思っていて、あえて明るく振る舞ってマチュを元気づけようとしていたのだと考えています。これまで基本的にマチュに対しては憎まれ口しか叩いてこなかったジェジーでさえ「(ポメラニアンに)気に入られたみたいだな」と優しげな目線を向けていたことからも裏付けられます。
キシリアのサイド6訪問
ソドンの中では、キケロガを運んできたシムス大尉がシャリア、コモリと面会しています。サイコミュを搭載したキケロガは、動かすだけでも大事だと指摘するシムスに、コモリは「そこまでする必要があるのか?」と疑問をぶつけます。シムスはシャリアの顔色をうかがったうえで「3日後に開かれる会合」についての情報を伝えます。
- 総帥府ですら知らされていない非公式会合である
- サイド6からは、ワンナバルの全首席議長であり現サイド6大統領・ペルガミノが出席
- ジオンからはキシリアが出席
シムスは「(ジークアクスの件だけでなく)キシリアの護衛も兼ねてキケロガが必要だったのだろう」と自身の予測を伝え、コモリは次のように考えます。
- サイド6はどちらかというとギレン派寄り
- ジオニックやアナハイムに匹敵する造船企業連合のワンナヴァルがキシリアに付くなら状況が変わる
- シャリアは赤いガンダムの調査以外にこの目的もあってサイド6に来ていたのか
ジークアクスでは珍しく、説明ゼリフや心の中の声が長いシーンです。基本的に鶴巻作品でこういった演出がある場合、特に引っ掛けなどはなく視聴者は文字通り受け取って問題ないことが多いです。
シムスとシャリアは、コモリを放置して2人で「キャリフォルニア産のワイン」の話をし始めました。蚊帳の外にされたコモリは不満そうな表情ですが、シャリアもコモリにすべての情報を伝えているわけではなく、裏で色々と動いていることが伺えます。
シャリアはギレン派?
エグザべとアセットが、電車の中で会話するシーンに移ります。軍警が自分を尾行していることを訝しがるエグザべに、アセットはキケロガがサイド6まで運ばれてきたことを伝え「キシリア様が訪問されるこのタイミングでなぜ?」と疑問を伝えます。
先程のシーンで、シムスやコモリはシャリアがキケロガを持ち込んだ理由を「キシリアの護衛のため」と解釈していました。ところが、キシリアの部下であるアセットはそのことを疑っていることがわかります。キケロガの搬入は、シャリアの独断であると言うことでしょう。
アセットは「シャリアは元々ギレンの配下であり、キシリアを狙っている可能性もある」とエグザべに注意を促します。さらにアセットは「キシリアからの特命」をエグザべに伝えようとします。
赤いリンゴはマチュからニャアンの手に
大量のリンゴを抱えてシュウジの隠れ家を訪れるマチュですが、餃子を作るニャアンと戯れるシュウジの姿を見てしまいます。ニャアンはキラキラを発現させたときの自分を「本当の自分じゃない」と否定しますが、シュウジはそれを「ありのままでいい」「どっちのニャアンも好きだ」「と、ガンダムがいっている」と肯定しました。
ニャアンは顔を赤らめていますが、これは異性としてシュウジを意識しているのではなく、単に「いつもの自分とは違う一面を友達に見られた」ことを恥ずかしがっているだけでしょう。(後のセリフでよりこの点は明確になります)
しかし、覗き見していたマチュの目には2人の様子はそのように見えなかったのでしょう。黙って立ち去ったマチュのことを悟ったニャアンは、クランバトルの後のことを思い返していました。
初めて体験したキラキラの興奮を伝えるニャアンに「そこは私の場所だろ!」と感情をそのままぶつけるマチュ。盗んだMSのコックピットを「自分の場所」という彼女の歪んだ認識が浮き彫りになります。そしてそれは、異性として意識しているシュウジのマヴ、という立場についても同様です。
立ち去ったマチュを思うニャアンの片手には、赤いリンゴが握られていました。「赤いガンダムのマヴ」という、友達にとってかけがえのない立場をはからずも奪ってしまった彼女自身の立ち位置をよく象徴するシーンです。
マチュとニャアンは「友達」
帰宅したマチュは、自室のベッドで逆立ちします。そんなマチュに、ハロはニャアンの気持ちを代弁します。「怖いけど友達のために乗る」、おそらく劇中で初めてニャアンがマチュを「友達」と認識していることが言語化されたシーンでしょう。同じくマチュからニャアンに対しては第五話の、軍警から職務質問をされたシーンで「この娘、友達で」というシーンで描かれています。これで2人の関係性が明確な形で言語化されました。
そのとき、タマキから三者面談の日程を尋ねるメッセージが。忙しい母親はこないだろうと考えていたマチュは「ありがとう」と素直な気持ちを伝えます。タマキの仕事の役職が、会計監査局外交3部の部長であることが描かれます。すでに外は暗くなっているのに、オフィスの電話は鳴り止まず、社員も大勢が残って仕事をしています。これもまた、キシリアの訪問を控えているというタイミングによるものでしょう。
年頃の娘にちょうどいいプレゼント
場面は変わって、いつも通り運び屋の仕事でマーコからデバイスを受け取ろうとするニャアンですが、マーコはどこか挙動不審。「相談がある」と、ニャアンに春雨を奢ります。相談とは「娘の発表会のご褒美に、何をプレゼントしたら良いか」ということでした。
なんと答えたのかは描かれていませんが、ニャアンの表情に「金、とか言うなよ」「夢、とか言うなよ」とマーコは答えています。マーコ自身は名前から、おそらく日系人と思われるので難民ではないのでしょう。しかし、難民であるニャアンに仕事を斡旋していること、裏の仕事に手を染めなければならない状況からも、彼らが置かれた事情はよく理解しているはずです。
「金」という回答は、マーコにとっては即物的にすぎるわけです。それは生きるために最も必要なものであって、発表会のプレゼントとしては不適切です。
一方「夢」は抽象的に過ぎます。ただ、ニャアンが「仕事を増やしてくれ」とオーダーしていたことから「生きるためだけでなく、金を貯めてなにかやりたいことがあるのだろう」ということは察することができたのでしょう。
ただ、それが長期間かけて達成を目指すようなものだとしたら、それもまたプレゼントにはなりえません。マーコが求めていた答えは「ある程度の金額で、娘が喜んでくれるようなもの」であり、それが果たしてニャアンのアドバイスで選択できたのかは、第七話で明らかになるでしょう。
「自分の娘が望んでいるものでさえわからない」という、父親の悲しい姿を象徴しています。
自室に投影されたニャアンの夢と目的
食事を終え、自宅に帰ったニャアンの様子から、彼女が普段どんな暮らしをしているのかが初めて明らかになりました。ワンルーム・ユニットバス付きのアパートで、色味は白と黒、レイアウトは直線が主体です。なにもかもマチュとは完全に対象的なのが面白いところです。
後のシーンで出てくるマチュの塾出席簿などと照合すると、彼女の「在留資格変更許可申請書」の提出期限は0085年6月5日であることがわかります。
窓には割引のチラシやカレンダー、ごみの分別表や在留資格変更許可申請書のフォーマットなどが掲示され、生活に必要なもの以外は微塵もありません。右下にはJOB FAIR(就職説明会)のポスターも見えます。すべてが「生きるため」という目的によって最適化されている空間で、まさに彼女の心の中が表現されていると言えます。
次に写るのは彼女の本棚です。乃木坂46メンバーの本棚がモデルになったとされているので「元の本棚になかった要素」が重要なポイントであると考えられます。ざっと見たところでは「永住権許可の申請ガイド」「ジオン工科大学の赤本」や日記、それらの前に置かれたものなどが見て取れます。
おそらくマチュと出会う以前には「永住権を取得する」「勉強していい大学に行く」といった夢を持っていたのでしょう。ただ、直近でそうした夢からは遠ざかっていたであろうことは、本の前にものが置かれていることからも伺いしれます。
偽物の制服を着ている理由も、第一話の時点では「学生だと目立たないから」と語っていましたが、本当は高校生活への憧れもあったのかもしれません。
お風呂から上がったニャアンは「マチュとシュウちゃん、3人で食べたかったな」と、餃子を作っていたときのことを思い出します。手作りの餃子は、たこ焼きなどと同じく、基本的には大勢で食べるものです。エンディングの映像でもマチュとニャアンの2人でピザを分け合い、食べていますが符号としてはこれと同じ意味合いです。
ニャアンはシュウジを異性として意識しているわけではなく、マチュとシュウジの2人を「サイド6で初めてできた友達」として大切に思っていることが伺い知れるシーンです。
世の中をシニカルに眺めているアンキー
カネバンの面々が引き止めるのも聞かずに、ひとりで工事現場に赴いたアンキーはシャリアと対峙します。2人のいる場所は、再開発でシェルターを拡大している現場。アンキーは「戦争の準備さ」といいますが、第五話のガイアとオルテガの会話からも分かる通り、民間人でも戦争が近づいていることはひしひしと感じ取っているようです。
「このコロニーも築70年を過ぎた、当時の連中が夢見た未来はもう消えちまったよ」と語るアンキーに「以前はジオン国籍だったとか」と尋ねるシャリア。アンキーは「今はもう、ジオンもサイド6も信用しない」と回答します。
このやり取りで、かなりアンキーの人物像がはっきりしました。冒頭、シムス大尉が登場したことで、一部視聴者の間で語られていた「アンキー=シムス説」の可能性もなくなりました。しかし、アンキーの背景が深堀りされる第六話でシムスが登場するのは決して偶然ではなく、最初からそのように誤解するよう仕向けられたミスリードだったと考えます。
アンキーは第一話の時点で「ジオンが戦争に勝ってもスペースノイドは自由になれない、いつまで立っても苦しいままだ」と語っています。どこか厭世的でもあるような、諦観がこもった言葉でしたが、なぜ彼女がこのような発言をしたのか、今回の描写からある程度読み取れます。
おそらくアンキーは最初は夢と希望に燃えて宇宙にやってきたのでしょう。しかしそこでスペースノイドの現実を目の当たりにし、生きるために他人を信用せず、ドライな生き方を選んだのではないかと思います。
第一話で、カネバンにやってきたマチュを警戒し銃を持っていたのをナブにたしなめられていたのも、彼女の疑り深い性格を示す演出だったのでしょう。
アンキーはシャリアの本心を誤解する
そんなアンキーは、当然シャリアのことも信用していません。「ボタン一つでジークアクスを爆破できる」と伝え、シャリアを牽制しますが、彼は「むしろ感謝を伝えに来た」と意外な言葉を口にします。
「ジークアクスを返却してくれるなら謝礼を払っても良い」「ランキング1位になるところを見せてほしい」と、虫が良すぎるシャリアの提案に、アンキーは警戒を緩めません。次の敵クラン「トゥエルブオリンピアンズ」のオーナーが対戦前に変わったこと。オーナー会社の「アマラカマラ商会」の正体が読めないことなどを挙げて「あんたとつながってるんじゃないだろうね?」とシャリアへの疑いを強めます。
私は第五話までに考察で、登場人物がお互いを誤解しながらコミュニケーションをとっていくのがジークアクスの特徴だと考えました。そのフォーマットに則ると、このシーンでのシャリアはアンキーに嘘はいっておらず、正直に本心を伝えているのに、過去の経験から他人を信用しないアンキーに疑われている、というふうに見えます。
同じころ、イズマコロニーの工業港へ、巨大な空調機が運び込まれます。表向きは、コロニー公社がアマラカマラ商会に発注した空調機ということですが、露出した一部からサイコ・ガンダムであることがわかります。
再びアンキーとシャリアへ場面は移り、アンキーは納得した様子で鉾を収めました。シャリアはジークアクスのパイロットについて質問しますが、アンキーは「お嬢ちゃんさ」と答えます。これは当時の状況から「ジオン側にも(エグザべを通じて)最低限伝わっているであろう情報=制服を着た女学生」という程度の、最小限の情報を伝えるのに留めるリスクヘッジです。
しかし、シャリアは「2人とも?」と続けて、これにアンキーは訝しげな表情を見せます。アンキーがマチュとニャアンの入れ替わりに気づいていたかどうかは劇中では明確ではありませんが「自分たちですら把握しきれていないことをなぜこの男は知っているのか?」と、アンキーの視点からはシャリアに対する疑いを強くするには十分な発言だったでしょう。
マチュは母親との別れを予見していた?
三者面談の日、クラスで先生とともに母親を待つマチュですが、寂しそうな表情です。「ニャアンにひどいことを言ってしまった」と、先日のことを思い出していると、タマキが教室にやってきます。6/5日以降、マチュが塾に言っていないことを問い詰め、進路のことを真剣に考えるよう伝えますが、マチュの答えは「地球の海で泳ぎたい」というものでした。
娘が真剣に答えていないと考えたタマキは「そういうのは進路じゃない」と言いますが、マチュはそのまま教室を出ていってしまいます。このシーンを巡っては「悪いのはマチュか、タマキか」といった議論もなされましたが、私はここで重要なのはそうしたポイントではないと考えています。
マチュはジークアクスに乗ることで初めて「自由」を実感し、それまでの生活では得ることのできなかった充足感に満たされました。それ以来、塾にいかなくなってしまったのもそれが理由です。また、シュウジとともにスペースグライダーを買って地球に行こうとしていたのも「シュウジに惹かれていること」「ジークアクスに乗れること」だけが理由ではなく、根本的には「地球の海で泳ぎたい」という理由があったのでしょう。(第四話で、シュウジの目的が地球に行くことだと知ったときにテンションが上っていた様子からも、これが伝わります)
ただ、そのために「どのように母親を説得するつもりなのか」についてはこれまで答えがありませんでした。おそらくマチュは母親が理解してくれないであろうことを予測し、家出するつもりだったのでしょう。三者面談に来ることがわかったとき「ありがとう」と伝えたのは、その場を母親との別れの挨拶にするつもりだったのかもしれません。
また「進学校とはいえ、2年の夏の段階ではまだ明確に進路を決める必要はない」「それなのにそこが問題になっているのは、マチュの家庭(特に父親との関係)に問題がある証左である」との説もあります。(以下の動画で詳しく解説されています)
役割を終えたカネバンの今後
カネバンの事務所を訪れたマチュは、鍵がかかっていないことに驚きます。事務所に入るとアンキーとナブが「シュウジの隠れ家を見つけ、通報しようとしていること」「ジークアクスは置いていき、そのままジオンに引き渡そうとしていること」について話しているのを聞いてしまいます。
アンキーが出ていった後、知らない素振りでナブに話しかけるマチュでしたが、ナブは「もうクランバトルには出るな」「明日からは普通に学校に行って、普通に勉強しろ」と伝え、バツが悪そうにマチュの元を去りました。
鍵がかかっていないことにマチュが驚いたシーンから「アンキーはわざとこの会話をマチュに聞かせようとしたのだ」と考える人もいます。アンキーはシャリアとの会話で、シャリアが特にジークアクスのパイロットに興味を持っていることを疑っています。自分たちやジークアクスだけならともかく、マチュにまで危険が及ぶような事態を避けようとした、と考えると十分合理性はあると思います。
ただ同時に「かつては夢を抱いていたが、今は夢も破れて疑り深く、他人を信用しない」というアンキーのキャラクター性も同時に描かれた直後です。実際、表面的には「自分たちの安全が最優先される行動」をとっているのもの事実です。「自分たちの安全を確保したうえで、マチュにはヒントだけは与え、そのうえでどう行動するかは本人に任せる」という道を選んだのではないでしょうか。
ナブが提案したように、最後のクランバトルに出なくても違約金は赤いガンダムの懸賞金で賄えます。なのでマチュはこの時点で「自分の日常に帰る」という選択肢も残っているわけです。
カネバンの中では、最もマチュに辛辣だったナブでさえ、アンキーのこのやり方には憤りを隠せませんでした。表面的にはジェジーやケーンのようにマチュに優しい言葉をかけることはありませんでしたが、十分彼女を「仲間」として認めていたことが、このシーンでわかります。カネバンの面々もまた、タマキやマーコと同じようにキャラクター像が明確に描かれきりました。第七話で彼らに不幸な展開が待っているのではないかと予想します。
追い詰められたマチュの選択は
マチュは、キラキラ・シュウジのマヴという特別なポジションもニャアンに奪われ、母親との対話もうまくいかず、カネバンという居場所も失ってしまいます。行くところもなく、ジークアクスのコックピットに入った彼女は、どうするべきか今後の方策を考えます。
「シュウジにこのことを話したら、きっとどこかへ行っちゃう」「そうしたら二度と会えない」「赤いガンダムを一緒に隠せる場所が必要なんだ」「どうすればいい・・・」と考え続けた結果、なにかアイデアが閃きます。
マチュが思いついたアイデアは何だったのか、現時点で予想するのは簡単ではありません。サイド6の中が安全でなくなるなら、コロニーの外に脱出しようと考えているのかもしれません。
シャリアを「キシリア派」と疑うコモリ
ソドンの周囲を飛び回る軍警のザクは、通常よりも距離を詰めている様子です。第四話でサイド6住民による反ジオンでもが描かれていたように、心中では皆、コロニー内に駐留し続けるソドンを快く思っているわけがありません。そうした感情が軍警にも伝わっているのでしょう。
艦の中では、館長のラシットらがアマラカマラ商会について調べています。おそらくシャリアから指示が出ていたのでしょう。「極東の島国で登記されている」「近くには連邦の人体実験を行う研究施設がある」「それをやらせている連邦情報局は毒ガスを使うような輩」といったキーワードが出てきます。冒頭のコモリと同じく、こうしたシーンで語られることは基本的に嘘はないと考えて問題ないはずです。
ベノワはこっそりと「中佐はどこでこんな情報を仕入れたのか」とコモリに尋ねますが、コモリも把握していない様子で、疑わしそうにシムス大尉のほうを見つめます。
私はコモリのことを「ギレン派であり、シャリアの監視役としてつけられた副官」だと解釈してきましたが、彼女の目線から見ると「シャリアやシムスは、キシリアの会談がうまくいくように自分に隠れて裏でコソコソやっている」ように見えるのでしょう。
エグザべの視点からは、これとはまったく異なる視点で見えるのが対照的です。そのような意味で、2人は鏡のような関係にあると言えます。
ゲーツ、バスクの登場と日常の終わり
ホテルの一室から、双眼鏡でソドンを見つめる金髪の青年、ゲーツ・キャパが登場します。数多くのカラスだけが舞う廃墟の一角にある、アマラカマラ商会の事務所に向かうと、そこで彼はバスク・オム少佐と会います。
シャリアをはじめとするジオンのニュータイプに対抗するために強化人間を育てた、というセリフから、彼らが連邦情報局の人間であり、ゲーツは連邦の研究施設で育てられたことが伺えます。
会話の内容から、彼らがキシリアの命を狙っていること、ジオン内部からのリークでキシリアの訪問を知っており、その機会を狙って襲撃する計画であることがわかります。彼らはいずれも機動戦士Zガンダムにも登場したキャラクターですが、細かい説明は省きます。
ゲーツ・キャパ
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バスク・オム
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特にバスクは、毒ガスを使った大量虐殺などを厭わないキャラクターであり、そんな彼がサイド6に姿を表したことで、マチュたちの日常が大きく崩れさる予兆を感じさせます。
強化人間・ドゥーはマチュのアンチテーゼか?
「貴様があの子どもをうまく使えさせすればこの計画は成功する」
そうバスクが語った少女がドゥー・ムラサメでした。作戦前日だというのに戦闘用の服をわざわざ着ようとするなど、普通の少女とは明らかに違う様子です。空調機に偽装してコロニー内に運び込んだサイコ・ガンダムを「本当の体」と呼び、自身はその「心臓」だと表現する彼女を、同じ強化人間であるゲーツは「普通じゃない」と感じるのでした。
ゲーツは公式サイトによるとオーガスタ研の所属であり、同じ強化人間でもドゥーが所属するムラサメ研とは背景が異なることがわかります。ドゥーについては、今回は顔見せ程度の登場ですが「MSが本当の体」「早くキラキラで遊びたい」という表現など、マチュへのアンチテーゼとなるようなキャラクターとして登場したのではないか、と伺わせます。
モビルスーツは兵器であり、たとえクランバトルであってもそこでは人が死ぬこともあります。そのことを第四話・第五話で色濃く描いておき第六話で「自らそれを率先して楽しむ、マチュと同じような少女」を描くことで、彼女がいかに危険な道に踏み込もうとしているかはっきりさせたいのではないでしょうか。
再び「ゼクノヴァ」が起こるか?
ニャアンと初めて会話した神社を訪れたマチュ。お祈りを済ませると、後ろにはニャアンがやってきました。「話がある、シュウジと赤いガンダムのこと」と、マチュは自らの計画をニャアンに打ち明けようとしているのでしょう。
一方、隠れ家でグラフィティの一部を書き換えようとしているシュウジはコンチと会話します。「そうだよ、世界はいつも変わっていく」「また書き換えなきゃ」と呟く彼の視線の先には、白いスプレーで塗りつぶされたキラキラが映っていました。
次回、再びゼクノヴァが起きて彼や赤いガンダムが消失するという展開を暗示しているのかもしれません。
シャリアを「ギレン派」と疑うエグザべ
軍警のワードとチャイチに追い詰められ、銃を向けられるエグザべ。彼らはキケロガの搬入を察知しており「シャリアの部隊がサイド6を戦場にしようとしている」と考えたためでした。もしかしたら「シャリアがイズマコロニーにやってきたキシリアを襲撃しようとしていて、その準備をしている」と疑ったのかもしれません。これもまた「誤解」に基づく行動だと言えます。
すんでのところで、ジェットパックを背負ったシャリア・ブルが空から2人を射殺。エグザべは命を救われることになりました。軍警2人の死体を「ギレン総帥のシークレットサービスに連絡して隠蔽してもらおう」と語るシャリアに、エグザべは疑いを強めます。
とはいえ、このシーンは間違いなくミスリードでしょう。キシリアから密命を受けてシャリアを監視しているエグザべの視点から見れば、シャリアは「ギレンの意を受けて、キシリアの命を狙っている」とうふうに見えます。ちょうど、逆の疑いを持っているコモリと対になっていることがわかります。
「中佐は本当にキシリア様の命を狙っているのか」「もしそんなことになったら、僕は本当にこの人を殺せるのか」、というエグザべの自問は、前半のアセットとの会話につながるものでしょう。「キシリア直々の命令」がなんだったか、前半では描写はありませんでしたが、このシーンから察するに「もし本当にシャリアがキシリアの命を狙ったのなら、シャリアを殺すように」という命令をエグザべが受けていたことを暗示するものでしょう。
そこから「シャリア・エグザべ」の関係はそのまま、1年戦争当時の「シャア・シャリア」の関係に対比させられていることがわかります。シャリアがわざとらしくギレンの名前を出したのも、あえてエグザべの疑いを強め、彼の気持ちを試そうとしているからではないでしょうか。
シムス大尉が持ち込んだ「キャリフォルニア産のワイン」を、シャリアが誰と飲もうとしているのか、次回の展開に注目です。
月をバックに、シャトルでイズマコロニーに到着するキシリアを映しながら、物語は次回へ進んでいきます。
「ジークアクス」の作品構造とは?
物語も折り返し地点を迎え、ジークアクス全体のテーマや作品構造についても、当初よりもかなりイメージが明確に掴めるようになってきました。そのいくつかを書いてみようと思います。
人間同士のコミュニケーションは「誤解」を伴う
この点はすでに何度も述べてきていますが、ジークアクスでは主要キャラ同士が会話する際、「真意が通じ合う」ということはほとんどありません。第六話だけで見ても、次のような誤解が生じています。
- マチュ:ニャアンとシュウジが惹かれ合っていると誤解
- コモリ:シャリアを「キシリア派」と誤解
- エグザべ:シャリアを「ギレン派」と誤解
- アンキー:シャリアが自分たちに危害を加えようとしていると誤解
- ケーン・ジェジー・ナブ:マチュが人を殺してショックを受けていると誤解
- タマキ:マチュが進路を真面目に考えていないと誤解
誤解はそれぞれの属性・環境の違いから生じる
マチュは「お嬢様」で、ニャアンやカネバンの面々は「難民」という属性を持っていて、それによって取り巻く環境や、行きてきた人生が違います。その違いがそれぞれの価値観や物事の考え方の違いを海生み、それが誤解の原因になっています。
「親」であるタマキが、「娘」であるマチュを理解できないのと同じように、アンキーとシャリアの相互に理解し合うのは困難です。
これはジークアクスの中だけの話ではありません。現実社会でも、様々な属性を持つ人々がそれぞれの艦橋の違いに根ざした価値観の際から「分断」に陥っています。ジークアクスは、物語を通じてこうした、今日の社会問題である分断に真正面から挑もうとしているのかもしれません。その意味では疑いようのない「ガンダム作品」です。
機械を通じると本当の気持ちが伝わる
では、人間同士の誤解とそれによる分断はどうすれば防げるのでしょうか。ジークアクスではいくつかの解が示されています。
これは直近で気がついたことです。人間と人間同士のコミュニケーションが「機械を経由することでより真意が伝わりやすくなる」という描き方がなされています。例としては次が挙げられます。
- マチュがハロを通じて「怖いけど友達ために乗る」というニャアンの真意を知る
- タマキがスマホのアプリを通じて「ありがとう」というマチュの真意を知る
もちろん、より根本的にはジークアクスや赤いガンダムに乗ることや、それを通じて体験するキラキラも「本当の気持ち」に触れられる体験だと言えます。マチュやニャアン、シュウジはもちろん、第四話におけるシイコがラストでシュウジ・マチュと感応したキラキラもそれに該当するでしょう。
実社会でも「いずれAIが人間同士のコミュニケーションの仲介をするようになる」という仮説が唱えられることもありますが、そういった可能性も加味しているのかもしれません。
「3人」いると本当の気持ちが伝わる
機械以外にも、第三者である人間が橋渡し役を務める場合もあります。マチュとニャアン、シュウジは、3人揃っているときは誤解を完全に防ぐことこそできていないものの「クランバトルに出る」「地球に行く」といった共通の目的を持つことができていました。これも「分断」に対する一つの回答であると考えられます。
ただ、この点に関してはまだ十分に描かれていません。シャリア・エグザべ・コモリが3人で話し合っているシーンがないのも不可解で、そうしたシーンが今後出てくるようならより明確な証拠が集まってくるでしょう。
視聴者も属性・環境によって作品の「見え方」が分断される
属性・環境によって考え方が分断されているのは、物語内の世界だけではありません。
ジークアクスの視聴者は「ガンダムを知っている・知らない」というように、それぞれの属性によって同じキャラクター・シーンを見るにしても、異なる見方をしています。
「シイコの死に対する解釈」「黒い三連星の扱い」「マチュの母親は毒親か」といった問題はもちろん「乃木坂46が元ネタになっている要素をどう見るか」といった解釈に至るまで、視聴者はそれぞれの属性をバックボーンに、様々な視点で千差万別の感想を抱いています。
私はこうした「見る人によって多様な見方ができる」という構造は、意図的に作られたものだと考えています。劇中では今後「分断」を解消する方法が描かれていくと考えられますが、それによって見る人に「現実世界の分断を解決するヒント」を与えようとしているのではないでしょうか。
そういった意味でも、ジークアクスは「機動戦士ガンダム」シリーズの最新作として評価されるべき作品だと考えています。後半戦の6話も、引き続き注目していきます。