【Aパート 死亡フラグを立てるラッキービースト】
サーバル:でも、どうしてお話してくれたの?
ラッキービースト(ボス):ヒトの緊急事態対応時のみ、フレンズへの干渉が許可されているんだ。生態系の維持が原則だからね。
サーバル:うーん、よくわかんないけど、ボスも大変なんだね。
ラッキービースト:とにかく、かばんをよろしく。日の出が近い。こっちは任せて。
サーバル:わかった。よーし、やるぞー!
ヒグマ:お前らは船を。
リカオン:オーダー、了解です。
キンシコウ:気をつけて。
ヒグマ:万一のときは、逃げろよ。
ラッキービースト:サーバル、3人での旅、楽しかったよ。
サーバル:ん?当たり前じゃない。かばんちゃんを助けてまた色んな所行くんだから。
第三の旅の仲間、ラッキービースト
今回取り上げるシーンの主役は、ラッキービーストです。今まで本編を解説するときは、基本的に「かばんちゃんとサーバル2人の旅」という形で紹介してきました。しかし、ラッキービーストもまた、彼女たちとともに旅を続けてきた仲間であることにかわりありません。今まではパークガイドとして日陰の存在だったラッキービーストも、最終話ということもあって主体性を発揮することになります。
今回、ラッキービーストはサーバルの問いかけに応えるという、初めての行動を見せました。理由を尋ねるサーバルに対して「ヒトの緊急事態対応時のみ、フレンズへの干渉が許可されている」と答えています。ここでいうフレンズへの干渉とは、サーバルたちに対してかばんちゃんの救出を促すことをいうのでしょう。
ここでラッキービーストの口から、今回の作戦の概要が確認されたため、ラッキービーストもしっかり作戦を理解した上で行動しているということがわかります。おそらくは単に口にしていなかっただけで、今まで周囲で行われてきたフレンズたちの会話はおおよそ理解できていたのだと思われます。
キンシコウとリカオンに戦う力は残っていない
サーバル、ヒグマはここでかばんちゃんの救出に向かい、キンシコウとリカオンはラッキービーストとともに港に残ることになりました。作戦に不可欠なものである船とラッキービーストを守るという目的は当然あるでしょうが、すでに時間も限られている現状で2人も船のもとに残しておくというのは合理的とは言えない選択かもしれません。
もしかしたら、キンシコウとリカオンは昼間の戦闘で消耗が激しく、ほとんど戦える力が残っていないため、あえて後方待機を命じた、という可能性もあるでしょう。キンシコウはおそらくセルリアンの攻撃を受け、昼間の戦闘では倒れている様子も見せていました。リカオンの方はダメージこそ追わなかったものの、ほかの2人に対する態度や武器を持っていないことなどからキャリアが浅いハンターだと考えられるため、これ以上前線でセルリアンに対峙するのは難しいと判断されたのでしょう。
また、ヒグマが2人に対して「万一の場合は逃げるように」と指示していることから、日の出までに超巨大セルリアンを倒せなかった場合、ハンターも対峙するのを諦めて撤退する方針でであることが確認できます。その場合、巨大セルリアンによってパーク中が蹂躙されるような最悪の結果も想定されるでしょう。「かばんちゃんの救出」という奇跡と、巨大セルリアンの撃退という大仕事の2つを、日の出までの限られた時間でやり遂げる・・・。サーバルとハンターたちには非常に厳しい条件が課せられているといえます。
ラッキービーストにも感情があった
サーバルが港を離れる直前、ラッキービーストは「3人での旅、楽しかったよ」と意味深なセリフを発しました。パークガイドロボットということもあって、ラッキービーストはこれまで自身の感情を外部に伝えるような行動はとっていません。なぜ今回に限ってこのような行動を取ったのでしょうか?
すぐに分かる理由は、「ヒトの緊急事態」という状況を利用して、「今まで伝えられなかった想いをサーバルに伝えた」というものでしょう。これまで、ラッキービーストは感情があるようにも、ないようにも見える素振りを繰り返してきました。たとえば、2話のじゃんぐるちほーを始めとして自分に記録されている地形と、実際の地形が違っているときなどフリーズしてしまいましたが、これは傍から見ると「うまくパークをガイドできず、落ち込んでいる」ようにも見えるシーンです。
つまり、ロボットとしての単純な反応(想定外の事態に対するエラー)としてフリーズしてしまっているのか、気分的に落ち込んでいるのかあえて区別しづらいように表現されていた、ということです。
もちろん、こうした演出は意図的なものでしょう。ラッキービーストが初めて登場したときに解説したとおり、ロボットキャラには「感情表現に乏しい」という特徴があります。そして、その特徴を逆に利用して視聴者に感動を与えることも可能です。
今回のシーンはそうしたラッキービーストの立ち位置が、最も効果的に活かされた場面だといえるでしょう。
「これまで一見、感情を持たないように思われていたロボットが、突然『今まで楽しかった』と自分の気持ちを伝えてきた・・・」
実際に視聴していて、このシチュエーションに感動を覚えた方も多かったのではないでしょうか?
ラッキービーストは己の死を予見していたか?
このシーンについて、残る問題がひとつあります。それは、ラッキービーストがサーバルにこのタイミングで自分の気持ちを伝えたのに「他の意図はなかったのか?」ということです。もっと単刀直入にいうなら、「ラッキービーストはこの後、自分の『死』を覚悟していたのかどうか?」と表現したほうがわかりやすいかもしれません。
ラッキービーストがこのセリフを語ったとき、この後彼に悲劇的な結末が訪れるのではないかと予想した方も多かったでしょう。今回のように、今までろくに自分の気持ちを伝えられなかったキャラが、重要な場面で急に気持ちを伝えてくるのも一種の「死亡フラグ」だと考えられるからです。
http://dic.nicovideo.jp/a/%E6%AD%BB%E4%BA%A1%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%B0
ニコニコ大百科に記載されている死亡フラグの例の中から、今回のシチュエーションに近いものを取り上げると次のようなものがあります。
今まで脇役だったキャラの出番が突然増える(そのままレギュラー化する場合は除外)
これまでの苦悩・葛藤が解消され、心が満たされた状態で戦闘を行う(もう何も恐くない)
ラッキービーストは主要キャラクターのひとりではありますが、11話までは明らかに「脇役」として描かれてきました。すでに述べたようにその心情が描かれたのも今回が最初です。これはかなり濃厚な「死亡フラグ」だと言っていいでしょう。
無邪気なサーバルのセリフが不穏の影を落とす
ですが、それ以上に決定的だったのが、それに続くサーバルのセリフでした。これまでパークガイドとしての役割の制限から、かばんちゃんやサーバルに自身の気持ちを伝えられなかったラッキービースト。そんな彼が今回の特殊な状況を利用して初めて自分の気持ちを伝えられたわけですが、サーバルにはそんな難しい事情はわかりません。
「そんなことは(いちいち言わなくても)当たり前で、わかっている。それにかばんちゃんを助けたら、これからもその『楽しい旅』は続けられるはずだ・・・」
サーバルのそうした応えは、ラッキービースト自身のセリフよりもより濃厚な死亡フラグになってしまいました。先のニコニコ大百科にある例から引用すると、
戦闘の前に恋人と約束を交わしたり、出撃命令で何かをやり損なったりする。結婚だとほぼ確実
また、未来の願望を語るのも非常にデンジャラス
「俺…この○○(戦争・戦い等)が終わったら、○○するんだ…」は最早死亡フラグのテンプレと化しつつある(ただしイタリア人のみ、生存フラグ)
このように、数ある死亡フラグの中でも最も濃厚なものといえる「俺、この戦争が終わったら~」に当てはまるような台詞になってしまったのです。
少し説明が長くなってしまいましたが、このシーンの残された疑問に関してまとめましょう。「ラッキービーストは、自身の死を予感していたのか?」という疑問についてですが、「演出上はどちらとも取れるように描かれている」というのが正確な捉え方だと思います。物語の世界観の中で言うならば「ラッキービーストは自身の死も覚悟した上で作戦に臨んでいる」といえるでしょう。
そして、視聴者がそうした気配を色濃く感じるのは、ラッキービーストとサーバルのセリフが死亡フラグになっているからにほかなりません。特に、サーバルという他者の口を通じて死亡フラグを立てることで、「ラッキービースト自身は、己の運命を予見しているが、周囲はそれに気づいていない」という状況が生まれ、それによってこのシーンの悲劇性がより高められているのです。
ラッキービーストの感情の有無については、壊れたアンイン橋を発見した時よりも、バスの後部を見つけて「やった!」と喜ぶシーンの方がわかりやすいかもしれませんね(。・ω・。)
負の感情を描いたシーンについては、サーバルがビーバーの材木を川に流してしまったあとでサーバルやかばんと一緒に視線を落として俯いている描写がありますね(感情が無いロボットなら真っ直ぐ正面を向いているはず)
ラッキービーストの感情については、「彼の内面にどれだけ情動があるのか」と「自身の役割の中でそれをどれだけ表出させられるのか」という要素もあると思います。
たとえば、かばんちゃんは「自分が何の動物か知りたい」と言ったときに、「君はヒトだよ」と伝えることもできたはずです。そうしなかった理由は役割によるものか、それとも感情によるものなのかは謎ですね。
なので、バスを見つけて喜んでいるシーンはそういった束縛とは関係なく、純粋に喜んでいる場面なのかもしれません。