2019年に公開された、新海誠監督の劇場アニメーション「天気の子」。前作「君の名は。」のヒットで、公開前から話題を集めていた本作の感想をつづります。
天気の子の見どころ
映画の内容を語るときには色々な切り口がありますが、今回は「ストーリー・キャラクター・シーン」の3つに分けて、それぞれ気になったポイントを纏めていきたいと思います。
天気の子のストーリー:世界と大切な人のどちらを選ぶか?
本作の大まかなあらすじは、Wikipediaで詳しく解説されています。(ストーリーのネタバレを含みますので、未視聴の方は注意してください)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%B0%97%E3%81%AE%E5%AD%90
ストーリーの軸は「自分たちが住む世界と、自分にとって大切な人ひとり、どちらか片方を犠牲にしなければならないとしたら、どちらを守る道を選ぶか?」というものです。
こうした選択が強いられるストーリー自体は、創作の世界では決して珍しいものではありません。たとえば、「マトリックス・リローデッド」などが当てはまるでしょう。そうした作品では多くの場合、「主人公は苦悩するが『世界』を守る道を選び大切な人を失う」、「主人公は大切な人を選ぶが、奇跡が起きて滅ぶはずだった『世界』も助かる」といった展開になりがちです。
「天気の子」はそのどちらにも当てはまらず、「主人公は大切な人を助ける道を選び、世界は滅んだが、滅びた世界の中でも人々はそれなりに楽しく生きている」という結末が描かれます。
劇中には「主人公の行動で世界が変わったと考えるなど傲慢である」「主人公がどんな行動を選ぼうが、世界が変わろうが、これからも人々は変わらず日常を生きていく」といった考えを示唆するシーンもあり、その点がなかなか斬新だと感じました。
天気の子のキャラクター:主要5人物のキャラクター像
どの程度の範囲までキャラクター設定が深堀りされているかは、作品によって大きく異なります。たとえば、「スターウォーズ」シリーズは街中に一瞬だけ映り込む脇役に至るまで、詳細なプロフィール設定が用意されていると言われています。
逆に、深い背景が設定されているのは主人公やヒロインだけで、それ以外のキャラクターは単なる舞台装置として、与えられた役割を表面的にこなすことを求められる作品も少なくありません。
「天気の子」では、以下5人の主要キャラクターが登場します。
- 森嶋帆高:主人公、離島から家出してきた高校生。
- 天野陽菜:ヒロイン、弟と二人暮らし。気象を操る能力を持つ。
- 須賀圭介:編集プロダクションを営む男性。帆高を保護する。
- 須賀夏美:圭介の姪。編プロの仕事を手伝う傍ら就職活動中。
- 森嶋凪:陽菜の弟、小学生で女子にモテる。
本作において「内面や人物的な背景が明確に設定されている登場人物」はこの5人です。それぞれのキャラについて、私がどのように感じたか解説します。
森嶋帆高 :好きな人のためなら何でもする
帆高は家出少年ですが、「家の何が嫌だったのか」についてはまったく描かれません。おそらく新海監督は「見る人は誰でも一度は、今いる環境から『逃げたい』という気持ちになったことがあるはずだ」と考えてそのように描写したのでしょう。
帆高に関して私が気になったのは「大切な人(陽菜)を守るためなら、何でもやってしまう」という点です。本作で帆高は「陽菜を守るため」に法律違反を繰り返し、銃すら発泡してしまいます。実際にそこまでやるかどうかはともかくとして「大切な人のために他のすべてを投げ出す」という姿勢には、強く心を動かされました。
そして彼のキャラクター性について考えるときは「須賀圭介」も必ずセットで考えなければならないと思います。
天野陽菜: 視野狭窄の自縄自縛
ヒロインの陽菜は、5人の主要キャラの中では最も感情移入できるポイントが少ないキャラでした。ヒロインという立場上、どうしても内心にはミステリアスな部分を抱えていなければいけないと思うので、ある程度仕方のないことだと思います。天気を操る能力を持つに至った経緯や、帆高とのラブストーリーなどは正直よくある設定だな、と冷ややかに見ていました。
印象に残っているのは、警察から弟と2人だけで暮らしている点を問題視された際、「私達、誰にも迷惑かけてません」と答えたシーンです。実際、未成年の2人だけで暮らしているのは社会的にも問題ですし、天気を操る仕事を始めるまでは生活にも困窮していました。2人だけの暮らしにこだわる理由も「離ればなれになりたくない」という薄弱なものですし、「解決法は色々あるのでは?」と思えなくもありません。
ただ、親が亡くなったという衝撃的な出来事のあと、誰にも相談できずに過ごしてきたであろうこと、そうした状況の中で視野狭窄に陥っていたであろうことも想起されます。
「誰にも迷惑かけてない→だからほっといてくれ」というセリフには、きょうだい2人が誰の助けも受けられない中で懸命に生きてきた形跡が伺え、そのシーンだけは陽菜に感情移入することができました。「誰かに相談すれば解決できるのに、誰にも相談できない(そういう発想に至らない)」という状況で悶々とすることは、誰の身にも簡単に起こりうることだからです。
須賀圭介: 理想と現実の間で揺れるリアリスト
須賀圭介は、作中で最も共感できるキャラクターでした。自身も元々家出少年だったという経歴から、帆高に同情し序盤から彼を助けるも、「過去に大切な人(妻)を失っている」「今も大切な人(娘)とそばにいられない」という業を背負っています。
帆高の心情に誰よりも共感しつつも、自分は彼のように「大切な人のためなら何でもやる」という選択を取ることができない、という点に思い悩む姿には、とてもリアリティを感じました。
もう一つの圭介のキャラ像として「リアリスト」としての側面があります。圭介はオカルト雑誌に寄稿するライターでありながら、心霊現象をまったく信じていません。天気を操る陽菜の能力についても(自分が劇中でその恩恵を受けておきながら)信じる様子がありませんでした。
しかし、彼のそのリアリストとしての側面が、他の人物にとっては救いとなることもあります。姪の夏美が「天気の巫女」についての伝承を陽菜に伝えたせいで、彼女を心理的に追い詰めてしまったと嘆いているときも「そんなのはただの言い伝えだ」と励まし、帆高が「自分のせいで東京が水没してしまった」と悩む場面でも「お前の決断で世界は変わったりしない」と切り捨てていました。これはある意味、主人公の個人的な選択が世界全体を変える「セカイ系」の否定ともとれます。
個人的な都合と社会的な環境の間で心揺らぎながらも、自分はあくまで「現実」に基づいて行動・決断するというキャラクター像が作中で最も美しく見えました。
須賀夏美: 自分の強みに気がついて成長する
夏美は就活生としての側面が強調されたキャラクターです。様々な企業に「御社が第一志望です」と伝えながらも満足の行く結果が得られなかったシーンなど、共感できた人も多いのはないでしょうか。
しかし、彼女の思いが志望先に通じなかった理由は明らかです。彼女は明らかに「いい会社に入りたい」という動機で動いているだけで、やりたい仕事もなければ、自分の強みを活かせる仕事も見つけられていません。
そのことは劇中、帆高を助けてバイクで警察とチェイスするシーンでも描かれます。就活生として明らかにマイナスでしかないこの行動の中で、夏美はバイクの運転スキルという自分の長所に気づき、笑顔を見せます。
K&Aプランニング(圭介の会社)の仕事でも、オカルトを信じない叔父・圭介と比べてインタビュー対象の話を聞き出すのがうまいなど、自分で気がついていない長所がたくさんあるキャラクターです。詳しく描かれていませんが、劇中での出来事がきっかけとなって「いい会社に入る」といった、一般的な社会的成功を目指そうとする固定観念から解き放たれ、本来の自分が持つ魅力を発揮できる人物に成長することができたでしょう。
森嶋凪: 本音を語るときも明るく
凪は主要キャラの中ではどちらかというとコメディリリーフ的な立ち位置で、「小学生なのに妙に大人びていてモテる」という特徴を活かして、ギャグっぽいシーンで活躍する場面が目立ちました。凪の内面が描かれるシーンはそう多くありませんが、私には友達とサッカーを終えたあと、帆高と会話するシーンが印象に残っています。
凪はそこで帆高に「自分がいるから(生活のために)姉はバイトなどをしなければいけない」「母親が亡くなり、2人になってから姉は元気がなかったが、帆高と出会ってから笑顔を見せるようになった」などと本心を語ります。
きょうだい2人だけで生活していくという過酷な状況の中で、小学生の自分は何もできず、姉の世話になってしまっているという心情を吐露するわけです。本来、少しシリアスなシーンですが、描写事態が短く、凪も特に表情を暗くすることなく明るく語っているところが良かったなと思いました。
「明るいキャラにシリアスなトーンで本心を語らせる」というのがキャラの内面と外面のギャップを描く上では王道的な描き方ですが、「シリアスな内容も明るい表情でサクッと語らせる」ことで、凪がいかに精神的に大人びているかという点がより際立つ演出になっていたと思います。
天気の子の名シーン
私は、主人公とヒロインのラブストーリー的な展開や「晴れ女業」を描いた場面、そして本作の一番の盛り上がりであろう「帆高・陽菜・凪がホテルで楽しく過ごすシーン」などにはそれほど感動しませんでした。どちらかというと、前述した個々のキャラクターの内面ありきでシーンを見ています。そうした見方の中で特に気になったシーンをご紹介しましょう。
序盤:帆高が陽菜を助けるために発砲するシーン
この時点では、帆高にとって陽菜はまだ「ハンバーガーをおごってくれた女の子」に過ぎません。相手の名前も背景も知らない、ただ一度話したことがあるだけという相手です。その相手をたまたま街中で見かけ、助けようとして発砲にまで至るというのは明らかにやりすぎで、その後にも描かれる帆高の性格が良く現れています。
一般的に「男は一目惚れで、女は徐々に相手のことを好きになっていく」などと言われますが、この時点ですでに帆高は陽菜のことが好きだったのかもしれません。いかに好きな女の子のためとはいえ、実際にここまでやる男はほとんどいないと思いますが、だからこそ帆高のキャラが立っている、いいシーンだと思います。
中盤:帆高を送った後、ひとり酔いつぶれる圭介
警察に追われる帆高に、家に帰ることを促した後、事務所に戻って酔いつぶれる圭介を夏美が発見するシーンです。娘と面会するために我慢していたはずのタバコの吸い殻も大量にあり、彼にとって「若い頃の自分」とも言える帆高を送り出すのがいかに辛いことだったかというのが伺えます。
しかし、彼はこの後も現実的に行動し、逃亡を続ける帆高に自首を促すなどの行動を取りますが、無意識のうちに涙を流すなど、内心では葛藤が続いていたことがあらわされています。だからこそ逃亡劇の最後で帆高を助ける方に回ったときに大きな感動が生じるわけです。
終盤:3年後、坂で祈る陽菜と再会する帆高
本作のラストに当たるシーンですが、再会したことに感動するというより、いくつかの謎が残る場面であるという点に注目しています。
まず、帆高は3年前と変わらない姿で祈りを捧げる陽菜を見つけますが、「このとき陽菜は何を祈っていたのか」という謎が生じます。すでに能力は失っているが、それでも変わらず「晴れ」を祈っていたのか、それとも天気とは関係なく「帆高に会えますように」と願っていたのかなど、いろいろな解釈ができるはずです。
そしてその後、再会した2人を太陽が照らすシーンでこの作品は幕を閉じます。この「晴れ」の意味も、前段のシーンと合わせて考えると様々な解釈が可能です。
劇中には「天気には、人の心を動かす不思議な力がある」「(帆高は)陽菜に心を動かされてしまう」といった台詞があります。これは、天気とそれを動かす力を持つ陽菜を同一視して「天気が人の心を動かすように、自分(帆高)の心も陽菜に動かされてしまう」という意味ですが、つまり帆高にとっては陽菜は(能力を失おうが)変わらず「心を動かされてしまう存在」であると解釈できます。
そうすると、ラストシーンの晴れ間は、「本当に天気が晴れになったわけではなく、陽菜と再会したときの帆高の心象風景を描写したもの」と解釈することもできるはずです。
人の心が変わると、世界も変わる
「天気の子」の面白いところは、オカルト的な描写をすべて排除しても物語が成立するところです。「天気を操る能力は、すべて帆高たちの気のせいだった」「空の上など超常的な描写は、すべて妄想や幻覚によるもの」「東京水没は、異常気象によるもの」と考えたとしても、すべて辻褄が合うようにできています。
天気は単なる自然現象に過ぎません。「喘息持ちだから雨の日は外出できない」「お祭りだから雨だと花火があげられない」といった物理的な都合はともかくとして「晴れの日だと気分が晴れやかになる」といった現象は、すべて人の心が生み出すものです。
劇中で経過した3年の間に、東京(世界)は大きく様変わりしました。主要5人のキャラクターも、それぞれ置かれている状況は変化しましたが、それは周囲の環境変化ではなく劇中で描かれた一連の事件で、彼らの内面に変化が生じたのが大本の原因です。
「人の行動によって世界は変わったりしない」
「人の行動が他の人の心に変化を与え、それによって『その人にとっての世界の見え方』が変わっていく」
天気の子は、そのような価値観を描いた作品なのかもしれません。