機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス)考察-第十一話「アルファ殺したち」

機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス)考察-第十一話「アルファ殺したち」の考察です。

※第十一話放送終了後~第十二話放送開始前までに視聴した感想・考察です。

第十話の考察はこちら

アルファ殺しとは?

イオマグヌッソを起動させ、ア・バオア・クーに発射したニャアンは、シュウジと体験したキラキラとはまったく違う気持ち悪さに襲われていました。より大きなゼクノヴァでシュウジを取り戻そうと、キシリアからの指示に従い地球に座標を合わせますが、次の発射には冷却の時間が必要でした。

ジークアクスとジフレド、揃った2機を見たシロウズは「アルファ殺しが2機揃ったか」とつぶやきます。

ニャアンはジークアクスが自分を邪魔しに来たと判断。エスビットで攻撃を行います。マチュはシャリアとの訓練を通じて、オールレンジ攻撃への対策を学んでいたようで、通常操作ですべての攻撃を回避します。

ここでの戦闘描写は、明らかに第四話「魔女の戦争」で描かれたシュウジ・シイコの戦闘を意識したものになっています。エスビットとジフレド自体のビームライフルで挟撃しょうとするニャアンに対して、マチュはジークアクスの胴体をひねって攻撃を回避するという、シュウジのような芸当を見せています。

また、わざとビームライフルを投げて囮にし、それにつられて動いたエスビットを掴むなど、ビームサーベルを囮にしてシイコの攻撃を回避したシュウジを彷彿とさせる動きを見せます。お互いの機体が接触したことで、マチュとニャアンは相手の機体のパイロットがかつての友達であることを知りました。

イオマグヌッソの外では、エグザべらニュータイプ部隊とシャリアが戦闘。オールレンジ攻撃に対応できず、エグザべ以外のギャンは次々に撃破されていきます。イオマグヌッソとの通信がつながらず、状況を把握できないソドンは、ラシットがシムスにシャリアの本心を尋ねます。シムスは「来たるべきニュータイプの時代のためにキシリアを排除しようとしている」と答えますが、それを聞いたコモリは「本物のニュータイプならそんなことはしない」と否定します。

「第四の壁」を破壊しメタフィクションの要素が織り込まれる

この後の展開を見ていけば明らかですが、第十一話は徐々に作品世界内というよりも、メタ的な視点を含んだ演出・会話が多く見られるようになっていきます。したがって「作品内において、このセリフや演出はどういう意図だろう」というふうに解釈すること自体が、徐々に意味をなさなくなっていきます。

どちらかというと「作者のどういう意思が反映されているんだろう」と考えるほうが素直に作品を理解できると思います。

このコモリのセリフについては、これまでニュータイプに対して懐疑的だった彼女がなぜ急にこんなことを言いだしたのか、という点にまず疑問が浮かびます。もちろん「マチュとの交流を通じて徐々にニュータイプに対する理解を深めていた」といった解釈もできますが、そこは劇中では描かれていません。

そのように劇中描写からどういう背景があるのかを読み取ろうとするよりも、ここでコモリにこのセリフを言わせるのは、作者が視聴者にどういう点に気がついてほしいからだろうか、と考えるほうがわかりやすいと思います。端的に言うなら、このコモリのセリフは「これから第四の壁を破る」という宣言にでしょう。

第四の壁(だいしのかべ、だいよんのかべ、英: fourth wall)は、舞台と客席を分ける一線のこと。プロセニアム・アーチ付きの舞台の正面に築かれた、想像上の見えない壁であり、フィクションである演劇内の世界と観客のいる現実世界との境界を表す概念である。

第四の壁は、舞台上の虚構の物語と観客の間に存在している。通常、観客は第四の壁の存在を意識することなく受け入れており、あたかも現実の出来事を観察しているかのように劇を楽しんでいる。第四の壁の存在は、観客が舞台上の虚構の物語を観劇する際、最も良く確立された約束事の一つである。ただし演出上の効果のためにその存在を直接意識させる場合がある。例えばA.R. Gurneyの『The Fourth Wall』においては主婦ペギーが自宅の何もない壁に対して強迫観念を抱き、そこに4人の登場人物が関わることになる。彼らは次第に演劇上の様々な約束事に引きずり込まれ、舞台の上の家具や行動はいわゆる第四の壁に対するものになっていく。

西洋演劇において「第四の壁を破る」という言葉は、人物や何らかの舞台装置の働きで、役者達が観客に見られていることを「自覚した」ときに用いられる。この用語が初めて用いられたのはベルトルト・ブレヒトが、コンスタンチン・スタニスラフスキーの演劇理論を元にして(また、対比的に)作り上げた「叙事演劇」の理論の中である[2]。最もよく見られるのは人物が観客に呼びかけることで第四の壁を破るものだが、それ以外にも演技を止めて素の役者の立場に戻ることや、会話によって、また人物が物語の状況の外にある事物と関わること(例えば人物が小道具を舞台係から受け取ったり、歌舞伎において観客を地蔵に見立てていじるなど)によって為される場合がある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E5%9B%9B%E3%81%AE%E5%A3%81

つまり、ここからのジークアクスは「本当のニュータイプとはどんなものか」を説明するプレゼンテーションになったと言い換えることもできます。

なぜこうなったのかわからないニャアン

鍔迫り合いをしながらのマチュとニャアンの会話にもそれは現れています。アニメではよくある「戦闘中に敵味方がお互いの気持ちをぶつけ合う演出」ですが、ジークアクスではこれまでほとんど描かれてきませんでした。例外はキラキラで感応した第四話のシュウジとシイコですが、マチュはサイコミュを起動していないため、ニュータイプ感応ではなくMS同士の接触通信による会話です。

「なぜ何も言わずにいなくなったのか」「なぜジオンでパイロットをやっているのか」とマチュは問いかけます。ニャアンの答えは「私にもわからない」「しょうがない」というものでした。ニャアンとしては「生き残るため」の選択で、表面的にはうまくいっているようにも見えましたが、客観的に「友達」の眼から見たらなぜそうなっているのかまったく理解できないでしょう。

ジオンによって故郷を失ったニャアンが、そのジオンでパイロットになり、戦略兵器を動かして大勢人間を殺しているわけですから、大きな矛盾を抱えているように見えます。ニャアンの回答は要約すれば「生き残るために仕方なかった」という言い訳ですが、マチュはさらに「さっきの悲鳴が聞こえなかったのか」と続けます。

ゼクノヴァで消滅したア・バオア・クーの将兵たちの悲鳴は、ニャアンには聞こえておらず「気持ち悪さ」として感じられたのみでした。これは生き残るために他人を犠牲にすることを躊躇しなくなっている「ディアブロ」になったニャアンを風刺したものでしょう。他者を思いやり、共感する気持ちを失ってしまっては、優れたニュータイプ能力を持っていたとしても意味はないという「ニュータイプの本質」に迫るものです。

マチュも一歩選択を間違えていたら、ニャアンのような状況に陥ってしまっていた可能性はありました。しかし、マチュは短期的な是非はともかく、すべての選択を自分の意志で主体的に決めていました。そのことが彼女の運命を切り開いてきたとも言えます。

他人のために本気で行動できるマチュ

ニャアンが「シュウジのため」にこんなことをしていると聞いたマチュは「向こう側のララァ」を救い出せばイオマグヌッソも使えなくなり、ニャアンも止められると理解します。「向こう側のララァ」を助けることは元々マチュの目的でもあったので、2つの目的が一本の道につながりました。

マチュはオメガサイコミュを起動。シャリアからもらった銃でリミッターデバイスを破壊します。アンキーに銃を向けたときは震えていた手も、今回は狙いを外すことはありませんでした。「ララァを助ける」という、利他的な目的のために自分のリミッターをも外して行動できるという、マチュの人間性を表現する演出です。

ジークアクスの両肩・両腿にある装備が起動し、4つのゼクノヴァのような光が発生。シャロンの薔薇に接続されていた、イオマグヌッソの発射コントロール用の設備を取り外すことに成功します。シャロンの薔薇が発した光で、ジークアクスとジフレドは吹き飛ばされてしまいました。

戦い続けるシャリアとエグザべは、ニュータイプ同士の感応で会話します。エグザべは「キシリアはニュータイプの未来を考えている(だから殺してはならない)」と伝えますが、シャリアは「そのために地球に住む人々を滅ぼしてはいけない」と応えます。エグザべはイオマグヌッソの正体と、それを用いたア・バオア・クーの破壊などを事前に知らされていなかったため、この問答で迷いが生じてしまいます。

気を取り戻したマチュの眼の前には、思念体となったシュウジの姿がありました。オメガサイコミュでシャロンの薔薇に干渉した結果、姿を表したものでしょう。マチュはシュウジの導く方向へと進んでいきます。ニャアンもシュウジに気が付き、その後をジフレドで追いかけるのでした。

シャアが考えるニュータイプとは

イオマグヌッソの中に何故かある小劇場のステージ上で、シロウズ=シャアはキシリアと対峙します。機動戦士Zガンダム第五十話「宇宙を駆ける」にてシャア、ハマーン、シロッコの3人が対峙するシーンのオマージュになっています。

キシリアはシャアに、

・この作戦を始めればシャアに会えると思っていたこと
・自分がシャア=キャスバルだと知っていること
・ザビ家への復讐心と同時に父ジオンが唱えた理想も信じていたはず
・宇宙にヒトの革新があるのなら、それを潰えさせてはならない
・そのために地球に固執する旧人類を一掃する
・シャアもそれを望んでいたはず

銃を向けながら尋ねるキシリアに対するシャアの答えは、

・私は「洞察に満ちた優しさを持つもの」をニュータイプと理解している

というものでした。

キシリアは重ねて「ジオンはすでに手中にある」「ともに新しい時代を築こう」とシャアに手を差し伸べますが、シャアは「この世界にはあなたの知らない理がある」とこれを拒絶します。

キシリアは「(赤いガンダムとシャアの代わりに)ガンダムフレドとそのパイロット(ニャアン)がいる以上、もはやシャアがいなくとも構わない」と再び銃を向けます。

そのとき、頭上からマチュが壇上に落下。ジフレドが部隊の後ろを突き破って出てきたこともあって、その隙にシャアはマチュを連れてその場から逃げ出します。

ジークアクスのキシリア=Zガンダムにおけるハマーン

キシリアとシャアの会話を順番に読み解いていきましょう。最初のキシリアのセリフは「自分の計画はシャアのためのものでもあった」というものでした。自分自身がジオン、そして地球圏の覇権を握りたいという気持ちはあったのでしょうが、それはまたヒトの革新を信じるシャアの理想とも重なるはずだとして、シャアに協力を求めています。

オマージュ元であるZガンダムのシーンでも、キシリアの役割をハマーンが担ってほぼ同じやり取りが行われます。ハマーンはシャアに銃を向けながら「ザビ家に協力して世界を手にするか、死か」の2択を強いています。

ここからわかることは、ジークアクスにおけるキシリアは、Zガンダムでのハマーンの役割をそのまま引き継いだ存在だということです。言い方を変えるならば「ファーストガンダムでキシリアが死なず、そのまま生き延びていたら」というIFを体現するキャラクターとしてZに登場したのがハマーンである、という言い方もできます。

実際、今回のキシリアは兄ギレンを毒殺していますが、Zにおけるハマーンはギレンの思想に心酔していたジャミトフを、青酸ガスで毒殺しようとしています。

したがって、キシリアの心情を理解する補助線としてハマーンを使うと、かなり背景を理解しやすくなります。ハマーンは目的のためには手段を選ばない女傑でしたが、自身の理解者となってくれる可能性もあったシャアに対しては愛憎入り交じった感情を抱いていました。その気持ちがそのままキシリアにも投影されていると考えるとわかりやすくなります。

Zガンダムにおけるシャアのハマーンへの回答は、

・自分は世界を誤った方向へ持っていきたくないだけ
・自分が手をくださなくてもニュータイプへの覚醒でヒトは変わるので、そのときを待つ

というものでした。この回答は一部ジークアクスのシャアの行動にも反映されています。

Zガンダムではこの後、乱入してきたカミーユとシロッコの会話が続きますが、ジークアクスでは別の展開がおこります。

「仮面のシャア」への変身

危機を脱したマチュはシャアと会話、「シュウジと似た匂い」を感じます。劇場への落下→舞台上のスッポンから落下して脱出というふうに、「マチュが新しいステージに進んでいくときは常に下に向かう」という描かれ方は統一されています。

そのとき、シャロンの薔薇が光を発し、赤いガンダムが姿を表します。同時にシャアの姿も「向こう側のララァ」にとって馴染みのある「赤い士官服」の姿に変えられてしまいました。しかし、シュウジは姿を見せず、シャアはシュウジについて自らが知っていることを語り始めました。

・シュウジは自分が見込んだ以上のニュータイプだった
・おそらく自分の前に現れたのも偶然ではない
・シュウジは薔薇の中で眠る少女に取り憑かれてしまった

というものです。そしてシュウジやララァのように「一方的な想い」が相手を追い詰めることもあるとして、本来この世界にいてはいけない「向こう側のララァ」を「自分が消滅させる」と宣言しました。ララァを助けたいと思っているマチュは、シャアと分かれ彼を止めようとします。

シャアがシャロンの薔薇を消滅させたい理由

シャアがなぜララァを消滅させようとしているのか、このシーンだけではわかりにくいかもしれません。第十話で描かれた「シャリアから見たシャア」を思い出すとわかりやすくなります。

シャリアは木星で任務が果たせなくなるような事故に会い、死を覚悟しますが、直前で機器が復旧し地球圏へ帰還を果たしました。しかしそれは自分の意志や実力でやったものではなく、完全に偶然によるものでした。その結果、彼は「自分が空っぽになってしまった」のを自覚します。

こうした経験があるシャリアは「空っぽの自分」とシャアを「似ている」と評しています。ジークアクス世界のシャアは、彼を死なせまいとするララァから様々な干渉を受けてきました。おそらくはそのことをなんとなく感じ取っていて、ソロモンでゼクノヴァを体験し「刻」を見たときに、自分の実力ではない他人の意思によって運命が決定されているということに気がついたのでしょう。

シャリアと同じく、自分の意志や努力でどうにもならないものによって自らの運命が決まっていくことを感じていたシャアは、その過程で「空っぽ」になってしまったのではないでしょうか。

計画が成功しても本当の自由は得られない

場面が移って、今度はニャアンとキシリアの会話です。ニャアンはキシリアに駆け寄り、自分が感じた気持ち悪さのこと、シャロンの薔薇に乗っている少女のことを尋ねますが、キシリアはこれには応えず「ことが済めば本当の自由が手に入るのだぞ」と叱咤するのみでした。

しかし、ニャアンはキシリアが言うようにこの計画が成功しても「本当の自由」は手に入らないということに気づいてしまいました。

ニャアンが得たかった「本当の自由」とは何か考えてみましょう。難民であったニャアンは「生き残ること」を目標に掲げ、他人の顔色を伺いながら自分を抑えてサイド6で暮らしてきました。マチュやシュウジとの出会いを通じて、それまで得られなかったかけがえのない友達を得て、シュウジとのキラキラで「自分が世界に合わせなくて良い自由」を体験します。

同時にシュウジは周りに合わせてしまう「弱い自分」と、周りを気にせず生き残ることを優先する「強い自分」の両方を「面白い」と言ってくれた初めての人でした。それが彼女の恋心につながっていきます。

その後、ニャアンはキシリアに拾われ「母子」のような関係を築くものの、キシリアが求めるのは「強い自分」だけでした。キシリアはニャアンに「強さとは生き残ろうとする意思」だと伝え「ニュータイプに正しさなどいらぬ。ただ強くあれば良い」と自身の思想を伝えていきましたが、ニャアンはそれに心の底から納得していたわけではなく「弱い自分」を認めてくれるシュウジを求める心はより強まっていきました。

実際、第十話、第十一話のほとんどでニャアンはシュウジとのつながりであるコンチを常に頭に載せています。グラナダに移り住んだ直後はそこまでではありませんでしたが、キシリアとの仲が親密になればなるほど、シュウジへの想いはより強くなっていく、という作りになっています。

ちょうど、母タマキや学校から進路への圧力が強くなっていくのに比例して、自由を求めようとしたかつてのマチュと重なります。

したがって、この時点でニャアンが考えている「本当の自由」とは、

・「弱い自分」と「強い自分」の両方を認めてくれる人=シュウジといっしょにいることで始めて得られるもの

という理解になっているわけです。

ニャアンにとってのシュウジは、そのままキシリアにとってのシャアの役割でもあります。だからこそ「そのシャアのために始めたと言っていた計画が、シャア本人に拒絶されている」という有り様を見たニャアンは、キシリアの言葉を信じきれなくなってしまったのです。

キシリアを撃つニャアン

再び劇場を通りかかったマチュを、シャアの仲間と考えて撃とうとしたキシリアを、思わずニャアンは彼女自身からもらった拳銃で撃ってしまいます。ニャアンはもちろん、撃たれたキシリア自身、理由を理解できず戸惑っている様子ですが、それも当然です。

ニャアンはキシリアに裏切られたと思ったわけでも、騙されていたと思ったわけでもありません。「キシリアの計画に従ってもシュウジは帰ってこない」ということが、ニュータイプ的な直感でわかったから、というのが理由でしょう。また、キシリアを撃ってマチュを助けたのも、それが「本当の自由」を得るために必要なことだと無意識に感じ取ったからではないでしょうか。

ゼクノヴァが発生する原因

シャロンの薔薇に近づいたシャアは、視聴者にもわかりやすくゼクノヴァが発生する原因を説明してくれます。前述の通り、ここはすでにミュージカル的(または小説などの登場人物の内面描写)な演出になっていますので「なぜ独り言を言うのか」といった疑問は野暮なことです。

・赤いガンダムとシャロンの薔薇
・世界に一つしかないはずのアルファ型サイコミュが2つ存在している
・2つのサイコミュの共鳴の不安定さが、ゼクノヴァの原因である

シャアはララァを消滅させること、そのためにイオマグヌッソを建造したことも合わせて語りました。イオマグヌッソは人為的にゼクノヴァを発生させる装置ですから、それを使ってシャロンの薔薇を「向こう側」に返そうというのがシャアの目論見ではないでしょうか。

そこに「向こう側のララァ」を守ろうとするマチュがジークアクスで駆けつけます。さらに2人の間を割って入るようにシュウジが姿を表したところで「向こう側のララァ」がかすかに目を覚まし、その影響で3人を巻き込んだキラキラが発生しました。

本物のゼクノヴァを理解するコモリ

ソドンの艦橋では、すべてを理解したコモリが、今から起ころうとする「本物のゼクノヴァ」について解説を始めます。同時に、戦いを続けているシャリアとエグザべもまた「本物のゼクノヴァ」によるキラキラを観測していました。

・向こう側から流れ込む、ミノフスキー粒子と反応したエネルギーが光として認識される
・ゼクノヴァによって起こるこの現象の中なら、ニュータイプの認知能力は極大になる

シャリアはそう説明しながら、早速ゼクノヴァで高まった自身の認知能力を活かし、チベに乗り込もうとするキシリアの位置を特定していました。少し遅れてエグザべもそのことに気づき、シャリアを止めようと戦闘を継続。認知能力が高まった2人のニュータイプによる戦闘は激しさを増していきます。

キシリアはマリガンら、他の部下と合流。「この光はなにか」と尋ねますが、周囲には誰もゼクノヴァによるキラキラを観測できるものはいませんでした。

ソドンのブリッジでは、ミノフスキー粒子の相転移から「ゼクノヴァが起こっているのは間違いない」とセファが分析します。しかし、コモリは「このゼクノヴァは今までのものとは違う」として、次のように続けました。

・ゼクノヴァは「別宇宙との境界が破れ、エネルギーが交換される現象」
・過去3度のゼクノヴァではこちら側の質量エネルギーが向こう側へ流出している
・今回は向こう側のエネルギーがこちら側に流れ込んでいる

コモリが急に、ゼクノヴァの本質について理解し始めたのも、彼女がニュータイプであり、キラキラの中で認知能力が極大になったことを示す演出でしょう。

ニュータイプではないはずのラシットも、向こう側から「なにか」がこちら側にやってくる、という気配を感じ取っていました。

ゼクノヴァの向こう側からやってきたもの

マチュ・シュウジ・シャアはキラキラの中で、会話を続けていました。シュウジは「僕はただ、彼女(向こう側のララァ)に傷ついてほしくないだけ」と語ります。シャアはそれに同意しつつも「薔薇の少女が世界を歪め続けているのなら、それは正さねばならない」と返します。

シュウジは「それも貴女を守るためなのに」とさらに続けますが、シャアは「だからこそだ」と、自分の意志が変わらないことを伝えます。やはりシャアは、シャロンの薔薇によって自分の運命が歪められてしまっていることで「本当の自由」が得られないことを、何よりも解決したいのでしょう。

しかし、シュウジは「それももう終わる」と、シャロンの薔薇による世界への干渉が終わりのときを迎えると語ります。シャアの問いかけに合わせて、シュウジは自分の正体と目的を語りました。

・自分は向こう側からやってきた
・「向こう側のララァ」が作ったこの世界を終わらせるために

ゼクノヴァによって向こう側から現れたのは「機動戦士ガンダム」に登場したときの姿そのままの「RX-78-2 ガンダム」でした。

シュウジの正体は?

シュウジの正体は、おそらく「向こう側における白いMS=RX-78-2のパイロット」ではないでしょうか。「向こう側のララァ」が見ている世界は「そのすべてで、白いMSのパイロットにシャアが殺される」と言われていますので、ファーストガンダムの世界観とは異なっています。

そのため、白いMS=ガンダムに登場するのがアムロ・レイではなく、シュウジである世界なのではないかと考えます。シュウジは本物のゼクノヴァで、向こう側から自分の本来の乗機であるRX-78-2ガンダムを呼び寄せ、それに登場して「ジークアクス世界の全てを巻き込むゼクノヴァ」によって世界すべてを書き換えようとしているのではないでしょうか。

ジークアクスも、残すところ後1話となりました。ラストの展開も目が離せません。

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Webライター・マーケティングコンサルタントとして活動しています。実務を通じて学んだマーケティングに関するノウハウや最新情報をわかりやすく提供していきたいと思っています。 また、時事に関わるニューズをマーケティング・ライティングといった切り口から解説してみたいと思います。

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