けものフレンズ7話感想その14:ジャパリパークと料理

 

けものフレンズ7話感想その13:博士と助手が犯した凡ミス

 

【Bパート お鍋と火で「煮る」】

作るメニューを「カレー」に決めたかばんちゃんは、いよいよ調理に取り掛かります。

 

かばんちゃん:あのー、おなべっていうのが必要らしいんですが?

アフリカオオコノハズク(博士):よし、きたです。

ワシミミズク(助手):ついてくるです。

博士:ここを使うといいのです。

助手:ラッキービーストらによってたまに手入れされているようなので、使えるです。

サーバル:うわー!なにここー!

 

かばんちゃん:あっ。(お鍋を見つける)

サーバル:これをどうするの?

かばんちゃん:材料と水を火にかけて、「煮る」らしいんだけど・・・、火ってありますか?

博士:いいところまで来てるですねぇ。

助手:やりますねぇ。

博士:火はおいそれと渡せないのです。自分で調べるのです。

 

料理には調理器具、調理場が必要

作るメニューが決まり、すでに材料はあるわけですから、ついに「料理」がスタートすることになります。ただし、これだけではまだ十分ではありません。水道や加熱器具、その他の調理器具がなければ材料を切ることも加工することもできないからです。

 

ジャパリパークで料理ができる場所は限られている?

かばんちゃんはまず「お鍋」について博士たちに尋ねました。カレーを作るわけですから、材料と水を入れて火にかける必要があります。材料を切るのはサーバルがいればなんとかなるとして、お鍋はなければどうしようもありません。

 

この問いかけを聞いた博士と助手は、2人を有る場所へと案内します。その場所とはまるでキャンプ場にある調理場のようなところでした。たしかに、料理を作る設備がある場所ではありますが、通常は屋内にあることの多い調理場が屋外にあるわけですから、これはむしろ例外的な設備だといえるでしょう。

 

そもそも、ジャパリパークはヒトを楽しませるためのテーマパークでした。しかも、動物やフレンズとのふれあいのための施設であったこともわかっています。動物はともかく、直接会話してコミュニケーションも取れるフレンズたちとヒトが一緒に暮らす上で、料理というのは問題になる場合もある行為です。

 

たとえば、オーロックスなどウシの仲間のフレンズがいたとして、ともに過ごすヒトが動物のウシの肉を食べていたとしたらどう思うでしょうか?少なくともあまりいい気持ちはしないでしょうし、ヒトの方もかえって気を使ってしまうかもしれません。

 

つまり、ジャパリパークにいる間はヒトもあまり料理を食べないか、あるいは食べるとしても植物性のものだけに限るなど、ある程度食生活に配慮しなければならない可能性もある、ということです。

 

そうはいっても、3話に出てきた「ジャパリカフェ」のように飲食を前提とした施設もありますし、6話で合戦をするフレンズたちが持っていたのぼりにも「アイスクリーム」の文字が書かれていました。従って、料理が全くない、というわけではないものの、そもそもがテーマパークなわけですから、「お客さんが調理をする必要はなく、そのための場所も限られている」と考えたほうがいいでしょう。

 

かばんちゃんたちが案内された調理場は、そうした限られた「お客さんがフレンズと一緒に料理を楽しめる施設」ではないかと考えられます。もしかしたら、本当にしんりんでキャンプ楽しむための調理場なのかもしれません。

 

ラッキービーストは、パーク内の設備を整備している

調理場についてもう一つ気になるのは、「ラッキービーストによって整備されている」というセリフです。これまでのふるまいから、ラッキービーストはジャパリパークを訪れたお客さんをガイドする役割を担っているということがある程度推測できています。しかし、博士たちの口から語られたのは、それを超えてラッキービーストが「パーク内の設備を整備している」という事実です。

 

また、「ラッキービーストら」と語っていることから、ラッキービーストは複数体おり、パーク内のさまざまな場所にいて役割を果たしていることがわかります。これまで出会ったフレンズたちも、基本的にラッキービーストのことを知っているものが多かった理由もこれで裏付けられました。

 

博士と助手はなぜ自分で料理を作らないのか?

今回最後の謎は、「火」についてです。かばんちゃんが「火」について言及したとき、博士は「いいところまで来ている」と発言しましt。これは「料理の成功に近づいている」という意味だと解釈できますが、少し気になることもあります。

 

それは、「そんなに料理が食べたいのであれば、博士と助手が自分で作ってたべればいいのではないか?」という疑問です。しかも、かばんちゃんがお鍋が必要だと言ったり、火が必要だと尋ねるたび、博士と助手は料理の前進を喜ぶような発言をしていました。ということは、博士と助手は「作り方がわからないから料理を食べられない」のではなく、「作り方はわかるが、自分たちで料理ができない何かの事情を抱えている」と考えられるのです。

 

もしかしたら、この博士と助手が自力で料理ができない理由は、「火」に関係したものかもしれません。なぜなら、お鍋については簡単にありかを教えた博士と助手が、なぜか火については「出し惜しみ」をしているからです。火は彼らにとってそれだけ貴重、あるいは特別な存在である可能性があります。

 

この疑問は、さらに続くシーンによってある程度解決を見ることになります。次回の考察をお待ちください。

 

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Webライター・マーケティングコンサルタントとして活動しています。実務を通じて学んだマーケティングに関するノウハウや最新情報をわかりやすく提供していきたいと思っています。 また、時事に関わるニューズをマーケティング・ライティングといった切り口から解説してみたいと思います。

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