コンピュータ将棋は、人工知能の発展とともに進歩を続け、今や現役の名人を破るほどまでの強さを身につけました。これによって、将棋をなりわいとするプロ棋士の存在価値に疑問を持つ声も聞かれます。プロ棋士とコンピュータ将棋の関係を例に、「人工知能に職を奪われたとき、どうしたらいいのか」考えてみました。
現役名人がコンピュータに負ける時代になった
コンピュータ将棋については、もっと将棋に詳しいサイトなどでいくつも解説されていますので、ここでは簡単に概要に触れるだけにします。コンピュータ将棋とプロ棋士との関わりは、おおよそ以下のような流れを経て現在に至っています。
- コンピュータ(主に人工知能)技術発達のためのひとつのテーマとして、「将棋でプロ棋士を超える」という目標があった。
- コンピュータ将棋は2010年ごろから急速な発展を見せ、2013年に行われた第2回将棋電王戦では、正式なルールで初めてプロ棋士が敗北した。
- 2017年に行われる第2期電王戦においては、現役の名人がコンピュータと対局し第一戦にて敗北を喫した。
このように、現役最高峰のタイトルである名人がコンピュータに敗北したことで、コンピュータ将棋が大きな節目を迎えていることは間違いありません。
現在、「将棋を指すこと」をなりわいとするいわゆる「プロ棋士」は、さまざまなスポンサーが主催する棋戦に出場して対局しています。スポンサーは棋戦でプロが戦う様子をテレビで流したり、棋譜を紙面に載せたりすることによって、それを目当てにメディアを見る人々が増える効果を期待しているわけです。一方、プロは好きな将棋に集中でき、勝利すれば報酬をもらうことができます。その他にも、指導対局やイベントへの参加など、将棋の普及のための活動も行います。
プロ棋士の存在意義とは何か?
これらのことから考えると、プロ棋士の存在意義は次のようにまとめることができます。
- 価値のある棋譜を残すこと
- 将棋の普及に務めること
以上2点のうち、コンピュータ将棋の台頭により、「『価値のある棋譜を残す』という部分が揺らぐのではないか」との懸念がなされています。つまり、「コンピュータを戦わせたほうが強いのであれば、プロが戦った棋譜を見る価値があるのか?」ということです。
この点について、反論として聞かれるのは「人は走るのは車より遅いが、陸上競技は未だに大人気だ」という意見です。人間同士が努力し、戦う姿を見ることに意味があるのであって、単に棋譜が残ればいいというものではないという意味でしょう。たしかに、スポーツといういい例があるので、こうした意見には一定の説得力があるように思います。
マーケティング的な観点から見ると、プロ棋士・プロ将棋界が、コンピュータ将棋の台頭により存在意義を失わないようにするためには、「人間同士の戦いの面白さ」をPRすればいい、ということになります。
具体的には次のような方法が考えられえます。
- プロ棋士のタレント化(メディアに露出しキャラを立てる)
- ユニークな棋戦の企画(地域限定・他業種とのコラボなど)
- 対局以外での将棋の普及活動(どうぶつしょうぎ等)
これらの中で、私は特に「プロ棋士のタレント化」がもっとも重要だと考えています。将棋を「人間が指す」ということに価値があるというのなら、「どんな人が指すのか」という点をPRするのが最も大事だと思うからです。
将棋界に限らず、今後はあらゆる業種・業界で人工知能に仕事を奪われる可能性が生じるかもしれません。そんなときは「人間がやる」ということに価値があると、どうやれば思ってもらえるか考えてみましょう。