機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス)考察-第四話「魔女の戦争」

機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス)- 第四話「魔女の戦争」の考察です。

※第三話放送終了後~第四話放送開始前までに視聴した感想・考察です。

第三話の考察はこちら

クランバトルに慣れたマチュ

第四話はいきなりクランバトルのシーンからスタートです。相手チームの視点と、マチュの視点が交互に映し出されることで、マチュが以前よりもクランバトルに習熟していっていることがわかります。

最初は派手に加速するジークアクスを敵チームが発見。マシンガンで銃撃しますが、マチュは危なげなくこれを回避します。ダミーバルーンを出しつつ、2機が寄り添って身を固める相手のザクに対して、シュウジがハンマーで攻撃。体制を崩したところをマチュが一撃で2機分の頭部をヒートホークで切断し勝利を重ねます。

このバトル映像は、シャリアがスマートフォンで映しながらコモリと一緒に見ていたものでした。すでに負け無しで4連勝しており、ジークアクスも使いこなしているとシャリアは評価します。コモリはアルファ・オメガサイコミュがゼクノヴァを起こす危険性を指摘。速やかな対処を促しますが、シャリアは「赤いガンダムと一網打尽にする」としばらくは静観の構えです。

このシーンでも、やはりシャリアはコモリに対して背中を向けています。コモリの仕事は、どうやらシャリアの副官役であり、私が先に予想したようにシャリア自身を監視するようキシリア、もしくはギレンから指示されているという疑いがより強くなりました。

「オメガサイコミュは誰にも動かせるわけではない」と、笑いながら答えるシャリアですが、やはりオメガサイコミュを起動できたマチュを「シャアの再来」として見極めるために、しばらく泳がせておこうという考えなのでしょう。

そして赤いガンダムを含めてできるだけポメラニアンズの背景を探り、すべての関係者を一網打尽にする(あわよくば、その過程でシャアも見つける)というのが彼の目論見だと推測できます。

嬉しそうなシャリアを訝しがるコモリですが、彼女はまだシャリアの真意(=ニュータイプによる新しい世を作るシャアの同士)に気がついていません。後の描写から、彼女もまたニュータイプであることが示唆されていますが、まだシャリアの真意を読み取れるほどの能力はないのでしょう。

ギレン・キシリアの争いはどこまで進んでいるのか?

軍警当局の前で地位協定反対のデモを起こす市民と、それに対して愚痴をこぼすワード、チャイチらのシーンです。エグザべを開放したのにソドンがサイド6内に滞在し続けていることをチャイチは訝しがりますが、ワードは「シャアの捜索という目的が達成されていないためにとどまり続けているのだ」という趣旨の話を婉曲的な表現で伝えます。

「連邦に勝ったジオンの次の戦争は、ザビ家の身内争い(ギレン派VSキシリア派)だ」というのはワードの言葉ですが、これだけだとその対立がどの程度表面化しているのかはわかりません。ただ、これまでのシーンと組み合わせてある程度の類推はできます。

第三話でジークアクスが奪われたことが「総帥府に知られたら」と、ソドンクルーたちが心配していた描写から、彼らはニュータイプ研究を押すキシリア派であり、戦力として優れたニュータイプであり、ダイクンの忘れ形見でもあるシャアを捜索している、ということがわかっています。

また、同じく第三話のシャリアとカムランの会話で「ジオンも懐が苦しい」というシャリアのセリフがあります。これについての解釈は、第三話の考察でも行っていますが「ギレン・キシリア派の対立が激化していて、双方が冷戦状態にあるため、シャアの捜索という閑職に回されているシャリアには、ソドンのような旧式艦しか与えられなかった」という解釈も可能です。

普通の女子高生ではなくなってしまったマチュ

学校で、進路希望の紙を前に悩むマチュ。第四話のテーマは色々ありますが、その中に「将来の進路」が含まれていることも、端的に示唆されます。そんな彼女に背後から話しかけるクラスメイトは「親のアカウントでオンラインカジノを遊び大当たりした」とはしゃぎます。

宇宙世紀の通貨単位である「ハイト」は、現在の貨幣価値に換算するとどのくらいか、というシミュレーションはいろいろな人がおこなっています。インストーラーデバイスが5000ハイト、今回のクラスメイトの「大当たり」が500ハイトですが、それぞれ100万円、10万円前後ではないかとも推測できます。

いずれも高校生にしてみれば大金ですが、マチュの表情は冴えません。オンラインカジノよりも遥かにスリルがあって、かつ大金が稼げるクランバトルにすでに何度も参加しているので、その程度ではまったくテンションが上がらないのでしょう。(そもそも金銭はマチュの動機ではありません)

加えて、オンラインカジノでいくら儲かっても、それを仕事や生き様にすることはできません。彼女が今頭を悩ませているのは「自分の進路」であり、その解決策にはなりえないのです。

シュウジの目的はガンダムと地球に行くこと

シュウジのねぐらで、彼の目的が「15万ハイトを貯めること」であるという話を聞き、驚くマチュとニャアンたち。そのお金で「中古のスペースグライダーを買い、ガンダムとともに地球に行く」ことが彼の目的でした。

それを聞いて「私も行く!」とハイテンションになるマチュですが、このシーンの彼女の行動は少し不自然です。ニャアンが「地球に行きたい?」とシュウジに確認した瞬間に「私も行きたい」というのではなく、少し間をおいてから「私も行きたい!絶対行きたい!」と、自分自身に言い含めるかのように二度繰り返しているからです。

このシーンでのマチュの心情は、次のように想像できます。

(1)元々地球に憧れていて、行きたいと思っていた
(2)憧れているシュウジも同じように「地球に行きたい」ことがわかり、嬉しかった
(3)「シュウジも行きたいんだ」ということがわかって、自分の考えが補強されたように感じられた

このように(1)~(3)のようなステップを踏んでテンションが上っていったのだとしたら、ややラグがあってから気持ちが爆発したことも説明がつきます。

例えるなら「宇宙飛行士になりたい」といった、実現が困難でなかなか他人に理解されない夢を持っていた子どもが、憧れる人に出会い、その人に夢を聞いてみたら、実は自分と同じ夢を持っていたことがわかって「やっぱり自分は間違っていなかった」「この人も同じように思っているなら、自分の考えは正しいんだ」という確信が得られたようなものでしょう。

ただ、マチュはなぜシュウジが地球に行きたいのか、その根本的な理由を理解しているわけではありません。そのことがこれ以降の展開の伏線になっていきます。

マチュが本当に進みたい進路は?

帰宅して、アイスを食べながらクランバトルのランキングを確認するマチュ。ポメラニアンズは5位、そして今回戦うことになるCRSは4位にランクインしています。すでにクランバトルでも上位に進出していることから、今後のストーリーではクランバトルの枠を飛び出しいく可能性も十分に考えられます。

タマキが帰宅し、進路希望に「クラゲ」と書いたことを問い詰められるマチュ。母親にしてみたら、進路を真剣に考えずに娘がふざけているようにしか見えないでしょう。マチュがこのように書いた理由はいくつか考えられます。

直後のシーンで、マチュの自室も描かれますが、部屋には複数のクラゲの写真が貼られています。同時に地球儀も見えるので、彼女が地球に憧れていることや、海を自由に漂うクラゲになりたい、といった気持ちがあることはウソではないとわかります。なので、本当の気持ちとしては「海でクラゲのように自由になりたい」と考えているのでしょう。

もう一つの解釈は、マチュが足を踏み入れてしまったクランバトルの世界です。命がけなこともあり、賞金は高額とされていますから本当であればクランバトルのプロプレイヤーとして食っていくことも十分に可能でしょう。なので、本音では「クラバ」とかきたかったところを、途中で修正して「クラゲ」に書き換えた、という解釈もできます。

タマキが「バレないとでも思ったの?」といったとき、一瞬ぎょっとした表情をしたマチュが、進路の話だとわかると露骨にがっかりした様子を見せたのを「本当はクラバのことがバレるのを心の底では期待していたのでは」と推理している方もいましたが、なかなかの慧眼だと思います。

実際にはジークアクスは無断で拝借したものですし、母親がそんな進路を許すわけがありません。そういう「親の気持ちを忖度して進路を決めなくてはいけない」という不自由さこそが、マチュを憂鬱にさせている原因のひとつなのでしょう。「お母さんって普通だな」というマチュのつぶやきには、自身が恵まれた境遇にあることを理解できない、子どもっぽい考えである、という要素は確かにあります。しかし、それだけではなく「自分の気持ち以外に、様々な社会的な制約を考えて動かなければいけない」という不自由さに、彼女が頭を悩ませていることも事実です。この点には共感できる人も、多いのではないでしょうか。

マチュにとってシュウジは「自由」の象徴

場面は移り「シュウジって不思議だよね」とニャアンに話しかけるマチュのシーンです。直前の「お母さんって普通だな」と対になっているのは言うまでもありません。マチュのニャアンに対する表情も、クラスメイトに対するそれとは対象的です。高校のクラスメイトたちもマチュにとっては普通・日常の存在であり、特別・非日常に憧れる彼女にとっては、ニャアンやシュウジのほうがよほどテンションが上がる存在なのでしょう。

シュウジが赤いガンダムをシャアから盗んだのかも、という可能性を指摘され「いいね!」とテンションを上げるマチュに対して「お嬢様が危険な男に惹かれるようなシチュエーションでは」と解釈する人も多いですが、私の考えは少し違います。

どちらかというと、子どもがワンピースの海賊や、ルパン三世に憧れるような感情に近いのではないでしょうか。どちらも海賊・泥棒は危険というよりも「自由」の象徴として描かれており、マチュはあくまでスリルが味わいたいわけではなく、自由な人としてシュウジに憧れていると解釈しています。

自由の象徴として、以前のマチュは「海」をイメージしていましたが、それが「宇宙」に転じ、さらにキラキラの体験を経て「シュウジ」へと遷移していっていることが読み取れます。より具体的で、実体験を伴ったものへとあこがれの対象が移り変わっているわけです。

ニャアンの立ち位置が徐々に明確に

シュウジのことを楽しそうに語るマチュに対して、ニャアンはどこか冷めた様子です。シュウジが地球に行きたい理由である「ガンダムが行きたいと言っている」も、マチュは比喩として解釈しているのを、ニャアンは文字通り捉えています。この「素直に現実をありのままに捉える」という要素は、ニャアンのキャラクター性を理解する上で重要なポイントでしょう。

一緒に地球の海で泳ごう、とマチュはニャアンを誘います。家族や高校のクラスメイトではなく、ニャアンを誘っているのもマチュの心がもうすでにシュウジやニャアンの中心とした方向へスライドしていっていることを示唆しています。

現代社会でもSNSなどで家族や学校・職場とは異なる人間関係・コミュニティを築いている人はたくさんいますが、そういった現代の人間関係にも重なる部分があります。

連邦のユニカム「シイコ」との出会い

場面が変わってマチュのマヴである「ハラヘリムシ」の正体について語り合うカネバンの面々です。ジェジーは「自分たちが勝てているのはマチュではなく、ハラヘリムシのおかげ」と語ります。これまでの活躍では、マチュの華々しい活躍が目立ちますが、戦闘経験の少ない彼女をフォローしていたシュウジのスキルを、クランバトルの知見がある彼らもまた見抜いていることがわかります。

ジェジーが散歩させていたポメラニアンに吠えられていた女性を、たまたま通りかかったマチュが助けたところで、女性=シイコ・スガイとの出会いとなりました。シイコはアンキーと知り合いらしく、マチュのことを「バイト」と誤魔化しますが、難民街のジャンク屋には明らかに不釣り合いなお嬢様学校の女子高生ですから、すぐにクランバトルとの関連を見抜いたことでしょう。

シイコにしても、一見温厚な婦人に見えますが連邦の元軍人です。当然ジャンク屋のような男所帯の「むさくるしいところ」には馴染みがあるはずで「猫を被っている」のを前提に解釈しなければなりません。

アンキーからの紹介でシイコが「100キル超えした連邦軍のスーパーユニカム」であることはすぐに判明しました。おっとりとして落ち着いたシイコの様子と「結婚して子どももいる」といった情報に、なかなか信じきれないような周囲を尻目に、来訪の目的が「赤いガンダム」だとアンキーは見抜きます。

アンキーは連邦とのつながりがある?

シイコの目的は、赤いガンダムを倒すことでした。おそらく最初から、カネバンがポメラニアンズの隠れ蓑になっていることを見抜いていたのでしょう。ジオン軍でも把握できていないポメラニアンズの正体に先にたどり着いているのは彼女が所属したクラン「CRS」の情報によるものか、もしくは連邦系のツテによるものだと考えられます。そうなると、アンキーもまた過去には連邦とのつながりがあったのではないかと推測できます。

シイコはなぜ戦うのか?

シイコが赤いガンダムを狙う理由について、アンキーは「最初のマヴを赤いガンダム(シャア)に殺されたから」と答えています。カネバンの面々は「恋愛絡みの復讐ではないか」と予想しますが、この時点ではこれがどこまで当たっているのかはわかりません。

「お子さんがいるのにどうして」と尋ねるマチュに「何かを手に入れるために何かを諦めなきゃいけないなんて、そんなの理不尽じゃない?」とシイコは答えました。また「望むものすべてを手に入れられたら、どんなに幸せか」「ニュータイプとかいう選ばれた人たちなら、それができるのかしら」とも付け加えました。彼女のキャラクター像や動機は、ほぼこのシーンで説明がされていると言えます。

この台詞を受けてのマチュの感想は「(シイコは)お母さんとは全然違う」でした。先に「お母さんって普通だな」という台詞があるので「シイコは普通ではない=シュウジと同じような人」という意味に置き換えられます。

シュウジの目的は「薔薇を探すこと」

シイコは去ってしまったので「普通ではない人」に対するマチュの関心は、身近な存在であるシュウジに向けられました。さり際にシイコから聞かれた「赤いガンダムのパイロットってどんな人?」という言葉も、きっかけになっていたはずです。「シュウジという不思議な人・普通ではない人が何を考えているのか知りたい」というのが、この時点でのマチュの関心事です。

マチュの回想の中でシュウジは「薔薇は地球にある、だから地球に行く」と語っています。これは「シャロンの薔薇」で間違いないでしょう。「シャロンの薔薇」の正体は、視聴者にもまだわかりません。「シュウジのことを何も知らない」というマチュの視点と、視聴者との視点がリンクすることになります。

ニュータイプを強く否定するシイコ

今度はシイコの視点に移り、警備会社ドミトリーでのMSのシミュレーションの場面になります。連邦系のノーマルスーツを着ていること、同時に登場する技術者・モスク・ハンが元連邦の技術士官であることから、ドミトリーは連邦系の流れを組む企業であることがわかります。

おそらくは連邦が宇宙での勢力を失ったために、元々宇宙の連邦軍で使われていた技術者の一部がサイド6に流れていき、行き着いた先なのでしょう。

「ジオンにもない新技術を導入した」と熱弁するモスク・ハンですが、「この機体でガンダムに勝てるか?」とシイコは気にします。自分の実力には自信があるはずですが、量産機でワンオフのガンダムに対抗できるのかという点が気になっているのでしょう。

話題がサイコミュ、そしてニュータイプに及ぶと「ジオンのプロパガンダだ」とシイコは否定します。このセリフで、ニュータイプ研究は連邦ではほとんど進んでいないことがわかります。おそらく、ニュータイプ的な能力を発現させた兵士自体は存在するのでしょうが、サイコミュのようにそれを応用する技術はないのでしょう。(もしあれば、1年戦争の時点で使用できていたはず)

「あんたにも素養がありそうだ」というモスクのセリフに、シイコは顔をしかめました。彼女がニュータイプという存在にどういう感情を持っているのかが、第四話のクライマックスにつながっていきます。

クランバトルの社会的意義

Bパートではいよいよクランバトルがスタート。敵クラン「CRS」は、前日に出場メンバーを「魔女」に変更。連邦系の軽キャノンを使い、プロと遜色のない装備を使う、警備会社の宣伝クランという情報が語られますが、実際に出撃したのは現在もジオン軍で現役の「ゲルググ」だったことで、周囲に衝撃を与えます。

「警備会社が自社の宣伝にクランバトルをやっているのが公然の秘密」
「まだ民間に払いさげられていない現役の機体がクランバトルに横流しされている」
「元連邦のユニカムがパイロットとして出場している」

など、これまで語られていたクランバトルのスケールが、より大きなものであることが示唆される情報が語られました。クランバトルは「ジャンク屋がはじめた非合法の賭けバトル」とのことでしたが、社会的にはそれ以上の意味を持っているのでしょう。現時点ではまだ情報少ないため、はっきりとは言えませんが、

・軍警に虐げられる難民たちのガス抜き
・地位協定に不満を持つサイド6市民の娯楽
・連邦の退役軍人や技術者が自分の能力を発揮する先

といった要素もあるのだと思います。そして、そういった社会的意義があるからこそ、一定の範囲で関係機関からも黙認されている、という要素があるのではないでしょうか。

「普通ではない人」について考えるマチュ

クランバトルが始まりましたが、マチュはどこか上の空。考えているのはシイコやシュウジなど「普通ではない人」たちのことでした。少し解像度が上がって、彼女が憧れている「普通ではない人」とは「言葉にする前に理解できる能力を持った人」だと、定義が新たになりました。

CRSのマヴは、シイコ(MAMAMAJO)と、ボカタ(HAL)の2人。ポケモンなど、親子でプレイするゲームで「◯◯ちゃんパパ」といったプレイヤーネームをつけている親御さんがいますが、シイコのエントリーネームはそれと同じような雰囲気を感じさせます。(キャラクターデザインの竹さんが、ポケモンのキャラクターデザインを行っているという点にも共通点があります)

戦場のプレッシャーに恍惚とした表情を見せるシイコですが、このシーンはファーストガンダムにおけるランバ・ラルの「この風、この肌触りこそ戦争よ」というセリフを彷彿とさせます。シイコにはランバ・ラルのだけでなく、ガンダムのさまざまなキャラクター像が部分的に投影されていると思いますが「主人公の成長を促す、乗り越える壁となるキャラクター」という点は、ランバ・ラルに通じるものがあります。

モスク・ハンとマグネットコーティング

戦闘が始まると、マチュはシュウジをかばおうと前に出ますが、ボカタのビームライフルを受け、弾き飛ばされます。今回はシイコの関心が赤いガンダムにありますし、ジークアクスはCRSにとっては正体不明の機体。過去のポメラニアンズの戦いも参考にしているはずですから「戦闘能力が高い、赤いガンダムこそ要警戒」という意識が向いているのでしょう。

果敢にシイコ機を狙っていくマチュですが、攻撃する瞬間にかわされてしまいます。ソドンから見守るシャリア(またしてもコモリに背中を向けている)は「駆動系の摩擦キャンセル技術」だと予想しますが、これはファーストガンダムで登場する「マグネットコーティング」でしょう。

モビルスーツのフレーム駆動部の可動摩擦面に特殊な磁気コーティングを施すことで摩擦抵抗を減らし、機体駆動時の可動速度を向上させる技術。地球連邦軍モスク・ハン博士によって理論が確立され、一年戦争後期に於いて実用化された。

https://dic.pixiv.net/a/%E3%83%9E%E3%82%B0%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0

結果、マグネットコーティングが施されたガンダムは従来から約30%という大幅な機体レスポンスの向上に成功し更なる戦闘能力を獲得、同技術の有効性を実証した。

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シャリアも知っていたことから、おそらく理論としてはすでに知られていたものの、実験段階で実際に使われたのは今回が初めて、ということなのでしょう。クランバトルが試験技術の実験場になっている可能性も示唆された形です。

赤いガンダムを狙うシイコの「スティグマ戦術」

ビームサーベルで白兵戦を仕掛けるシイコ機と、それを後方からビームライフルで援護するボカタ機、という組み合わせで迫るCRSですが、シイコはマチュのジークアクスを踏み台にするなどしてスルーし、赤いガンダムだけを狙います。味方であるボカタからも「勝つ気がないのか」と言われているように、戦術的には先にマチュのジークアクスを破壊して、その後2対1で赤いガンダムを狙うほうが合理的です。

おそらくそうしなかったのは、彼女の目的が最初から赤いガンダムだけであったこともあるでしょうが、本気で戦うとマチュを殺してしまう恐れがあったからでしょう。マチュを退け、一時的に2対1になった場面でも、シュウジは巧みに2機を翻弄。いよいよシイコは必殺技である「スティグマ戦術」を使う必要に迫られました。

フックを敵機に当て、ワイヤーで機体制御をおこなうことで通常の推進剤やAMBACではできないような挙動を可能にする技術です。

AMBACシステムは、宇宙空間において腕や脚の振りにより姿勢制御を行う方式である。

https://ja.wikipedia.org/wiki/AMBAC

同様にワイヤーを使って、逆襲のシャアでアムロが使用していた「置きバズーカ戦術」のように、ビームライフルの優先遠隔操作もおこなっています。

シイコがニュータイプを憎む理由

マヴ戦であるにも関わらず、もはやマチュもボカタもまったく2人の間に入っていけません。ボカタ機はジークアクスの足を掴んで2機に近づけないようにしており、ただならぬシイコの様子を見て、試合を捨ててマチュが巻き込まれないよう、引きとどめていたのだと考えられます。

「赤いガンダムのパイロットは、かつてのシャアではない」、そのことに気づいているのになぜそこまでこだわるのか、シイコの回想が描かれます。

「ニュータイプかもしれない」と思っていた、最初のマヴがシャアによって倒され、そのシャアもまたゼクノヴァによりいなくなったことで、世の中の理不尽に直面したこと。それによって「望むものすべてを手に入れられる人=選ばれた人なんていない」と、自分を納得させようとしたこと・・・。それが彼女が戦場を去った理由でした。そうして「普通の生き方を受けいれた」というシイコの言葉があります。マチュが母親に向けたのと同じ「普通」というキーワードがここで出てきます。

「赤いガンダムのパイロット、お前が選ばれたヤツじゃないと証明してやる!」と叫ぶシイコ。これが彼女の本音なのでしょう。それに続く「そうすれば私は・・・」という言葉の後には、なんと続くのか考えてみたいと思います。

ニュータイプに勝つことですべてが手に入る

前半パートでシイコは「望むものすべてを手に入れられたら、どんなに幸せか」と語っています。おそらく、続く言葉はこれでしょう。赤いガンダムを撃破して「MSパイロットの頂点に立つ」、「幸せな家庭を持つ」という2つの望みを叶えることができたら、「そうすれば私は望むものすべてが手に入る」と続けたかったのではないでしょうか。実際、このセリフのすぐ後には彼女と家族のシルエットがワンカット映し出されています。

ボカタ機は、機体が加速の限界を迎えたのか、あるいは流れ弾に当たったのかはわかりませんが、爆発して戦場を離脱。シイコの行動原理が敵討ちではなく「執着」であることをアンキーも喝破します。シイコもより直接的な言葉で「私のために死んで、ニュータイプ!」とはっきり自分の目的を明言しています。

ニュータイプ感応と「キラキラ」の条件

しかし、すでに何度も見てきたように「死」を意識するとニュータイプ感応が発現する、というのがジークアクス世界のルールです。この瞬間シイコの頭の中にシュウジの意識が流れ込んできました。「僕はまだ死なない、ガンダムがそう言っている」という言葉とともに、シュウジの意識とシイコの意識が感応。キラキラ(ハルシネーション)が生じます。マチュやソドンクルー(シャリア・コモリ・エグザべ)は、「ララ」という音のみが聞こえ、2人の意識までは見えない、ということも判明します。

・キラキラで意識がつながるのは、当事者のみ
・周囲の人々のうち、ニュータイプは「ララ音」という、ゼクノヴァ時に聞こえた音が聞こえる
・オールドタイプには音は聞こえない(他のソドンクルーの描写より)

というのが、キラキラによる現象なのでしょう。同時に(本人はニュータイプに懐疑的だった)コモリもニュータイプの素養があることが判明します。

このあと、ラストの決着シーンでマチュが2人の感応に加わったときに「キラキラ」が発現します。おそらく

通常のニュータイプ同士の感応:複数のニュータイプの意識が重なり、死を意識したときに発現。
キラキラ:複数のニュータイプが、サイコミュ(アルファ・オメガ)を通して完納したときに発現。

といった違いがあるのではないでしょうか。

シュウジの真の願いとは?

シイコはキラキラをまやかしと否定し、2丁のビームライフルをワイヤーで遠隔操作し、シュウジの動きを拘束しようとします。

ここで「シュウジの死」の可能性を恐れたマチュも、ニュータイプ感応を起こし、3人の意識が重なります。ビームで動きを封じた赤いガンダムに、最後のスティグマでビームサーベル攻撃を仕掛けるシイコでしたが、攻撃の直前にワイヤーを出していた左腕が破損したためか、シュウジは拘束を脱出。逆に背後を取り、シイコ機にビームサーベルを突き刺します。

シイコは死の直前、「ガンダムの向こう側」に誰かがいることに気が付きます。(シャアがゼクノヴァ時に語った「向こう側」との関連も期になります)その後に続く「僕の願いは一つだけ、それ以外は何もいらないんだ」というシュウジの言葉に、シイコはすべてを理解したような安堵の表情を浮かべます。

最後にシイコが思い出したのが、我が子の姿であったことから、シュウジの「願い」が何なのかはある程度の推測が可能です。

・シュウジの願いは「自分の母親に会うこと」
・そのためには、シャロンの薔薇を探す必要がある
・赤いガンダムの「向こう側」にいるのは、シュウジの母親

このように考えると、今際の際にシイコが笑った理由も説明がつきます。

混在するニュータイプの意味

この点について考えるためには複数の意味が混在している「ニュータイプ」について整理する必要があます。ニュータイプについては、過去の考察でも何度か説明しています。

以下の記事から抜粋して、簡単に紹介します。

宇宙世紀におけるニュータイプ

ファーストガンダムをはじめとする宇宙世紀でのニュータイプ=富野由悠季氏が考えるニュータイプとは「宇宙という新しい環境に適応した人」、そこから転じて「地球環境を守るために、地球から自らの意思で宇宙に出ていく人」を意味していました。

ジークアクス作中世界でのニュータイプ

ジークアクス作中におけるニュータイプの観念は、宇宙世紀のおけるもののうち、特に直接的な意味合いの部分とほとんど変わりません。「戦局を一変させるような、戦闘力に優れた新人類」といった意味合いで、登場人物たちからは理解されています。

シイコが考えるニュータイプ

実は、シイコが考えるニュータイプ像は、これとは少し乖離があります。シイコは「ニュータイプ=選ばれた人」と捉えており、さらに彼女が言う「選ばれた人」とは「望むものすべてを手に入れられる人」という意味です。

これは彼女独自の捉え方であって、彼女以外のどのキャラクターもこんな捉え方はしていません。

しかし、シイコは最後の瞬間、自分自身もニュータイプ能力を発現。シュウジの願いが「ひとつだけ」だとわかったことで「ニュータイプといえども、望むものすべてを手に入れられるわけではない」ということを知りました。これはかつて、戦場を諦めて「普通の生き方」を受け入れた彼女自身の決断を、間違っていなかったと肯定する結果です。だからこそ最後に、安堵の笑みを浮かべたのでしょう。

カネバンのメンツが死に淡白な理由

戦いの結果、シュウジがシイコを撃破し、彼女は死亡することになります。その際、カネバンの面々はあまり悲しまず、バトルに勝ったことの安堵し、逆に軍人であるエグザべは「ただのゲームなのになぜ死ぬまでやるのか」と動揺している様子が描かれます。アンキーの「馬鹿な魔女」というセリフには「ニュータイプであろうと、望むものすべてを手に入れられないことなんて、最初からわかるだろう」といった意味合いが込められているようにも感じられます。

アンキーを除くカネバンの面々は、おそらくは全員が難民です。故郷はすでになく、家族や友人も大勢を失っているか、行方がわからない状態になっていると思われます。難民ですから戸籍や住民票に相当するようなものもなく、イズマコロニーのインフラに寄生して生きる立場です。

彼らにしてみれば、日々生きるために必死で、信じられるのは自分の力だけ。利害を共通しているカネバンの仲間以外は思いやる余裕などないのでしょう。

エグザべもルウムの難民ではありますが、フラナガンスクール首席というエリートでもあり、現在はジオンの士官という立場があります。それに加えて、彼自身は極めて常識的な考え方をしていることがこれまでの話で各所で描かれており、今回のシイコの死に動揺するシーンもそうした彼のキャラクター性=優しさを感じさせます。

私はカネバンの面々は就職氷河期世代がモチーフだと考えているので、死に対する淡白さも、そこに起因した表現ではないかと推測しています。就職氷河期といえば、世代的に損する場面が多く、社会的な救済も得られなかった結果、学習性無力感が強く植え付けられているとされる世代です。

カネバンの面々は若い時期に人生設計も、それまでの生活環境もすべてを失っているはずであり、かつ社会的な救済も受けられず、自分の力だけで生きていくしかなかったはずです。そんな彼らにしてみれば、ただ一度事務所を訪ねてきただけの他人の死にそこまで共感するような心のゆとりはなかったのでしょう。

世代を問わずたとえるのであれば、東京近辺に住んでいれば、人身事故で電車が停まることは多いと思いますが、そのときに命を失った方よりも、電車が止まって自分の利便性が損なわれることのほうに関心を向ける人は多いのではないでしょうか。

ニュータイプに憎しみを向ける人たち

シャリアのセリフである「ニュータイプは人を殺しすぎた、だから憎しみを巻き込んでしまうのかもしれません」には、シイコの歪んだニュータイプ像への彼の見方が反映されています。シャリアはシイコとは面識はありませんが、その常軌を逸した戦い方や、戦闘中の「ララ音」などから、彼女がニュータイプに対して異常な憎しみを抱いていたことは理解できたでしょう。しかもそれは、現在の赤いガンダムのパイロットであるシュウジとは何の関連もないことも。

シイコはただ、自分の人生に対して生まれた疑問を解決するために、ニュータイプに憎しみをぶつけ、それを倒すことで納得しようとしていたに過ぎません。もし、少しでもきっかけが違えば、彼女の憎しみは別のものに対して向けられていた可能性もあります。シャリアが言うように「ニュータイプが戦場で活躍しすぎた=人を殺しすぎた」ために「あれもこれもすべてニュータイプのせい」というふうに考える人が出てくるのも、ある程度やむを得ないことなのでしょう。

マチュが考えるニュータイプ像とは

シイコの死にショックを受けたのは、マチュもまた同じです。ただし、彼女がそれから受けた影響は、彼女自身のニュータイプ像、そしてシイコに対する認知の歪みも考慮にいれる必要があります。

マチュは「ニュータイプ」という存在を知りません。もちろん、単語としては知っているでしょうが、彼女にとってそれは特に意味をなしているわけではないのです。彼女はあくまで「母とは違う、普通ではない人」、そして「自由」の象徴として、シュウジやシイコといった「言葉にする前にわかっちゃう人」にあこがれている、という認識であるはずです。

そんな彼女は、戦闘中の、最も純化されたシュウジとシイコの感応にキラキラという形で参加し、彼らの意識を真正面から浴びてしまいました。それが彼女の最後の感想を決定づけることになります。

マチュの感想は「あの人には待ってる家族もいたのに」でした。このあとに続く言葉が「でも、そこまで踏み込まなきゃシュウジのいる場所には届かないんだ」であるため、「人を殺すくらいの覚悟がないと、シュウジには追いつけない」という意味だと解釈している人がいるようですが、私の考えは違います。

前半の「待ってる家族もいたのに」というのは、シイコに向けられた言葉です。実際、マチュがシイコと駅で別れるときにも、同じ疑問を本人に投げかけています。そのときの彼女の回答は「望むものすべてを手に入れたいから」であり、この点からマチュはシイコが「母とは違う=シュウジと同じタイプの人」だと認識しました。

ただ、この誤解(シイコの真の目的は「望むものすべてを手に入れられる人=ニュータイプ」など存在しないと証明すること)は、すでに解けています。シイコの死の直前のキラキラで、シュウジの目的が「ひとつだけ」だと理解することができたからです。

つまり、この時点でのマチュのシイコ・シュウジへの認識は「ひとつの望みのために、それ以外のすべてを捨てられる人」へと変わっていることになります。実際、シイコは戦場での勝利のために命を犠牲にし、家族の元に帰ることはできませんでした。「待っている家族もいたのに」という言葉は、ここにかかっていると解釈するべきでしょう。

シュウジはキラキラの中で、自分の言葉で「僕の望みはひとつだけ、それ以外は何もいらない」と明言していますので、よりわかりやすいです。

マチュはシュウジのいるところに踏み込む覚悟があるか?

以上を前提にすると、続く「でも、そこまで踏み込まなきゃシュウジのいる場所には届かないんだ」についても理解できます。こちらは「ひとつの望みを叶えるために、それ以外のすべてを捨てる覚悟がなければ、シュウジのようにはなれない」という意味です。

今回の戦いを経て、マチュにその覚悟ができたのか、それともまだ迷いがあるのかについては、第五話で語られることになるでしょう。

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コンテンツの魅どころ

Webライター・マーケティングコンサルタントとして活動しています。実務を通じて学んだマーケティングに関するノウハウや最新情報をわかりやすく提供していきたいと思っています。 また、時事に関わるニューズをマーケティング・ライティングといった切り口から解説してみたいと思います。

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