ゴジラ -1.0から紐解く山崎貴の作家性

2023年11月3日に公開された映画「ゴジラ -1.0(マイナスワン)」。

敗戦後間もない時期、初代ゴジラよりも昔の時代に日本に現れたゴジラを描いた意欲作です。

  • 邦画の中でもCGのクオリティが高く、ハリウッドの大予算映画と比べても遜色ない
  • ゴジラと人間ドラマの流れに一貫性がある
  • 登場人物に感情移入でき、感動できる

といった高評価の声もある中、

  • 演技がクサすぎてリアリティがない
  • ストーリーががベタな展開すぎて意外性がない
  • 脚本や時代考証に穴があり不自然な点がある

といった批判の声もあります。

作品の評価はさまざまな観点があり、人によって見るべき点は違うので多様な評価があって然るべきです。

ただ、本作に対して、

「エンタメ映画であり、山崎貴監督のクリエイターとしての思想性は入っていない」

との見方をする人がおり、その部分には個人的な違和感を覚えていました。
そこで今回は、ゴジラ -1.0(マイナスワン)の中に込められた「山崎貴監督のクリエイターマインド・思想性」について考察してみたいと思います。

インタビューから探る「山崎貴」の想い

今回はゴジラ -1.0本編に加え、山崎貴監督の想いを知るための一次ソースとして以下の2つを用いたいと思います。

1つ目はYoutubeチャンネル「ホイチョイ的映画生活〜この一本〜」にて公開された馬場康夫氏と山崎貴監督の対談動画です。

【ゴジラ-1.0】監督・脚本を務めた山崎貴が語る「シン・ゴジラ」への対抗策とは|ハリウッドではありえない!?今作登場する駆逐艦「雪風」の撮影手法|山崎貴が後悔した大苦労の海上ロケ【山崎貴✕馬場康夫】

もう1つは、ダヴィンチwebにて公開された、山崎貴監督へのインタビュー記事です。

『ゴジラ-1.0』デザインは核兵器のメタファー。山崎貴監督が『シン・ゴジラ』のプレッシャーに立ち向かい“昭和のゴジラ”を描いた理由を語る【山崎貴インタビュー】

https://ddnavi.com/interview/1215008/a/

https://ddnavi.com/interview/1215008/a/2/

山崎貴監督「ゴジラを文芸作品にしたかった」エンタメ映画を作り続けた監督が『ゴジラ-1.0』で“少し先に進みたい”と思った理由とは?【山崎貴インタビュー】

https://ddnavi.com/interview/1215021/a/

https://ddnavi.com/interview/1215021/a/2/

「シン・ゴジラ」の次の作品として

Youtubeの動画もインタビュー記事も、ゴジラ -1.0が、日本のゴジラ映画としては「シン・ゴジラ」の次の作品である、という点を山崎監督が強く意識していた、という点への言及からスタートしています。

(ゴジラ -1.0は)シン・ゴジラとはすべて真逆にした。シン・ゴジラは「官」の話、-1.0は「民」の話、シン・ゴジラは陸で戦うが、-1.0は海で戦う。シン・ゴジラはドラマを徹底的に排除したが、-1.0にはベタベタなドラマが入っている。(Youtube動画より意訳)
https://youtu.be/3CJTA7gx7Ak?t=40

ベタなドラマ、時代劇としての戦後を描いた

山﨑監督自身が「ベタベタなドラマ」と表するように、ゴジラ -1.0の人間ドラマは基本的に「クサい演技」「ベタすぎる展開」が特徴です。そこが気に入るかどうかは個人の感性によるでしょうが、少なくとも山崎監督自身としては「ベタベタなドラマを入れようとして入れた」という点は明確になっていると思います。

Youtube動画では「(過去の)ゴジラってたしかに時代劇がないんですよ」という発言もあり(4:40あたり)、言い換えるならゴジラ -1.0は「時代劇として作っている」という表現もできそうです。

「ベタな演技」以外の批判的な意見の一つとして「脚本、特に時代考証の疑問点」をあげる人がいます。たとえば「戦後すぐで食糧難なはずなのに役者の血色が良すぎる」「服も戦闘や戦火でぼろぼろになっているはずなのに綺麗すぎる」といった点です。これについては予算的な問題や「現代人(特に若者)が汚いものを嫌う傾向がある」といった理由も考えられますが、そもそも山崎監督が「時代劇」として作品を描こうとしていたとしたら、少なくとも演出上の意図としては「役者の血色が良くても、服がキレイでも良い」ということになります。「そこが作品で描きたい焦点ではない」と山崎監督は考えていたはずだからです。

「画面汚い。時代考証学ぶために観る訳じゃない」 「平清盛」、兵庫県知事の意見は正しいのか
https://www.j-cast.com/2012/01/12118688.html?p=all

戦後の焼け跡を舞台にゴジラを出せばそれだけで「映画」になる

時代劇としてのゴジラ(現代ではなく過去のいずれかの時代を描く)というアイデアを考えたときに、なぜ「戦後間もない時期」を選んだのかという理由について山崎監督は以下のように発言しています。

山崎:「舞台となる時代そのものが、しっかりとした物語性を秘めているな」と。それと、「戦争で傷ついた人たちが、ゴジラという、ある種、戦争のメタファーのような存在と向き合ったときにどういう行動をするのか?」という状況設定も、「映画」的というか、文芸的だなと感じました。実は前々から、戦後のいわゆる「焼け跡」を題材にした映画を作りたい気持ちもあったので、それをゴジラという題材と一緒にすることで、描きたかった世界観が作れるのではないかとも思ったんです。

山崎監督は「戦後の焼け跡という時代を舞台にゴジラを出せば、それだけで自然に映画になるはずだ」と考えて作った、ということがわかります。

https://ddnavi.com/interview/1215008/a/

ゴジラ映画は「神事」である

また、もう1点のポイントとして「ゴジラ映画とは神事だ」という見解も述べています。

山崎:世の中の不安が高まってきたときに、「祟り神」としてゴジラを召喚して、鎮める。ゴジラの映画を撮るとは、そうした鎮めの儀式なんだと思いついたときに、自分の中でも謎めいていた諸々のことが、腑に落ちたんです。それまで劇中で出てくる行動について質問されても、どうしてそういうふうに脚本で書いたのかわからなかった部分があったんです。もちろん感覚ではわかっていて、誰がなんといおうと「こうするべき」と思って撮っているんですが、理由を問われても言語化できなかった。それが「祟り神を鎮める物語」……つまり、ゴジラの映画というのは、御神楽のようなものなんだ、と。

https://ddnavi.com/interview/1215008/a/2/

原爆で傷ついたゴジラが別の場所を襲うのは「正気を失ってタタリ神になって暴れているから」であり、それを沈める「儀式」が必要だという考え方です。作中ラストでゴジラが海中に没する際、海神作戦に参加した軍人たちがみな敬礼をしますが、あれも神を祀る儀式の一部だと解釈すると整合性が取れる、と述べています。

人・モノに「想い」を載せる

続けて、インタビュー記事の後編ではゴジラ以外の人・モノ(登場する兵器など)に込められた想いについて語っています。

山崎:もっと爪に火をともすような、知恵だけしか武器がない状態で戦わせたかったんですけどね。さすがにそういうわけにもいかず。史実に則って使えるものが半分、前々から自作に出してみたかったものが半分で、ゴジラと戦えるものを出してみました。特に後半に出てくるとあるものを描くのは、長年の夢だったんですよ。アニメーションでは結構描かれているんですけど、誰もこれまで実写にはしていないので、今回がチャンスだな、と。で、そうやって考えていくと、やっぱり自然と、それぞれが背負った物語が作品に反映されていくんですよね。人も、物も、「戦争を生き残ってしまった」という共通点で結びついていく。

https://ddnavi.com/interview/1215021/a/

劇中に登場した兵器のうち「高雄はあの年にはすでに沈没しているはずである」「四式中戦車は量産されていなかったはず」といったツッコミも一部の人からあったようですが、そういった部分は「時代劇なのであえてある程度史実とは変えている」という趣旨のことを山崎監督がYoutube動画で語っています。

つまり「史実に忠実であるか」という点より「登場する兵器に込められた想いを通じて見る人に作者の想いを伝える」という演出方法を取っているわけで、単なる兵器オタク的なスノッブと解釈してしまうとだいぶ作者の思いを見落としてしまうことになるのかなと思います。

ゴジラを文芸作品にしたかった

作中の人間関係が「ベタなドラマ」になった理由については「文芸作品としてのゴジラを描きたかった」と語る山崎監督。初代ゴジラの主人公とヒロイン、ゴジラを倒した芹沢博士との三角関係を例に上げて語っています。

山崎:そうそう。僕にとってはヒロインの山根恵美子は、「元カレが邪魔になったので、今カレを連れてきた女の人」にしか見えないです(笑)。

――わかります(笑)。

山崎:なにせ、「オキシジェン・デストロイヤーのことが世間にばれたら死ぬしかないんだ」と言っている人に対して、「オキシジェン・デストロイヤーを世間に公表してください」と言いに来るわけですよ。それも無邪気に。あの追い詰め方が本当に恐ろしいなと、昔から思ってて。でも、初代『ゴジラ』のそういうところが好きなんです。本当に文芸的な作品とは、ああいうイノセンスな人間の残酷さを描くものだと思いますね。

https://ddnavi.com/interview/1215021/a/

「文芸作品的な映画」の条件として上記の引用部分では「イノセンスな人間の残酷さ」が挙げられています。それ以外に「卑怯者(特攻から逃げる・呉爾羅を撃てない)のに律儀(典子を見捨てられない)という主人公敷島の人間性」を例に上げ「善悪で割り切れない曖昧さを含んだ人間性を描くこと」についても語っています。

山崎:『アルキメデスの大戦』は、作ってはいけないものだとわかっていながらも、それにどうしても惹かれてしまう主人公を描いた作品で、撮りながらそここそが「映画」的だと感じたんですよ。曖昧さ……プラスの部分とマイナスの部分が比率を変えながらせめぎ合っている存在が人間じゃないか、と。そうした文芸映画的な、曖昧な存在の大事さを、最近は強く感じているんです。

――監督の中で、エンタメ像が変わったのでしょうか?

山崎:相変わらず作りたいのはエンタメです。でも、エンタメなんだけど、少し先に進みたい……という感じですね。バキバキにアートムービーになってしまってはいけないんだけど、そういう曖昧な部分とか、解釈のしようによってどうにでも捉えられるみたいな行間とか余白みたいなものを、ガチガチのエンターテインメントの中に忍ばせたい。そうやって忍ばせることが、「映画」的な行為なのではないかなと、最近は思っています。まあ、こんなことを言いながら、次の作品ではエンタメと文芸のどっちにぶれるか、わからないですけどね(笑)。

https://ddnavi.com/interview/1215021/a/

このように、山崎監督が語るエンタメ=見る人によって解釈が変わらないもの、文芸作品=見る人によっていかようにも解釈できるもの、と表現できると思います。そして「エンタメの中に文芸作品らしさを仕込ませるものが映画的行為である」と語っているので、ゴジラ -1.0を見る際はその軸の存在を忘れてはならないと思います。

「個人が戦争に対して何を思ったか」を描きたかった

インタビュー記事は、山崎監督の「戦争」に対する想いへと話題が移ります。ゴジラ -1.0に対する批判的な声のひとつに、「映像面での戦中・戦後の再現は良いが、脚本や演出面ではアラが目立つ」との批判の声があります。たとえば先に述べたような「戦中の軍人なのに血色が良すぎる」「服がキレイすぎる」といった点へのツッコミです。

しかし、山崎監督は本作のみならず「永遠の0」や「アルキメデスの大戦」を始め、複数の戦前・戦中を描いた作品を手掛けており、それらの作品の制作時も含めれば膨大な資料・当時を知る人へのインタビューなどを行っているはずです。にも関わらず、そういったアラが残っていることについては、なにか別の理由があるのではないか、と私は考えました。

山崎:親からも戦争体験は聞くし、とにかく自分の中には戦争がものすごく大きな存在としてある。その一方で、時間が経つにつれて、戦争の記憶がどんどん世の中から失われていくのを見てきました。一次情報というか、本当に戦争を体験した人からの情報を直接聞いたことがあるのは、僕の世代が最後ぐらいになってきてしまっている。だからこそ、日本で映画を作る意味を考えたときに、戦争のことは折にふれて描かなきゃいけないな思っているんです。それにくわえて、戦争という状況によって、人間がどう狂気に陥っていったか。紋切り型の捉え方、定型の戦争じゃなく「個人が戦争に対して何を思ったのか」を追求して、描けたら、それは非常に「映画」的ですよね。だから常に、いわゆる戦争映画ではない新鮮な切り口を探していて、今回のゴジラも実は、そうしたものでもありますね。

https://ddnavi.com/interview/1215021/a/

「『個人が戦争に対して何を思ったか』を描けたらそれは非常に『映画的』である」

この言葉は前段の「エンタメの中に文芸作品らしさを仕込ませるものが映画的行為である」という言葉と関連付けて解釈できる言葉です。

ゲームのストーリーではなく「プレイした人の体験」を再現したかった

ここまでを整理して、作品理解のヒントを探るために山崎監督が映画をとるときに基本的にどういったスタンスで表現しようとしているのか、その「作家性」についても考えてみるべきではないかと思いました。

次に参考にしたのは、たいへん物議を醸した問題作「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」の公開後インタビューです。

ドラゴンクエスト ユア・ストーリー:山崎貴総監督が明かす“大人気ゲーム3DCGアニメ化に込めた思い 豪華キャスト起用のワケは…

https://mantan-web.jp/article/20190801dog00m200054000c.html

「ドラゴンクエスト ユアストーリー」といえば、

  • 人気を博したRPG「ドラゴンクエストⅤ」を元にした映画である
  • 序盤・中盤までは作中のストーリーを端折りつつ再現
  • ラスト10分で「実はドラクエの世界を描いたものではなく、VRゲームとしてドラクエをプレイしている人の体験を描いたものであった」ことが発覚する

といった内容から、視聴したドラクエファンから多くの批判の声にさらされた作品です。

作品自体の評価はともかくとして、この作品の公開後インタビューから、山崎監督が何を考えてこのようなストーリーを作ったか、という点を読み解いてみたいと思います。

そもそも、ゲームの映画化に懐疑的な自分がいて、そこにたくさんの人たちが関わる。そんな中で映画化に舵(かじ)を切っていいのか、悩みました。作らなければならない物量がすごく多い作品なので、スタッフはかなり疲弊します。関わる人たちの数年間を背負うだけの作品を作れるか分からなかったので、怖いな、とも思いました」と葛藤を明かす。

 だが、劇場版アニメの成否をも左右するような、ラストシーンのあるアイデアを「思いついてしまった」と山崎総監督。そこで初めて「映画にする意味」も見えたといい、「同時に、キャラクターの開発を始めました。で、作るならどういう世界観かと試しているうちに、だんだん情が湧いてきてしまい(笑い)、『これならやれるかもしれない、いや、やりたい』となった」と経緯を語る。

https://mantan-web.jp/article/20190801dog00m200054000c.html

「最初はゲームの映画化自体に懐疑的であったが、ラストシーンのアイデアを思いつき、それに引っ張られる形で映画化した」という流れであったことが伺えます。メインの視聴者層には受け入れられたとは言えませんが「ラストシーンの展開ありき」で作品を作ったことから、この部分は山崎監督にとってとても重要な意味合いがあったことがわかります。

もう一点のポイントは「ドラクエの劇中世界のストーリーを映画化するのではなく、『それをゲームとしてプレイした人の体験』を描きたかった」と山崎監督自身がはっきり明言している部分です。

 今作では、同時に脚本も担当した。誰もが知る大人気ゲームを劇場版アニメ化するにあたり、「いろんな人たちが『この物語の中にいたことがある』という感覚を思い起こせるものを書きたいな、と思っていました」と山崎総監督。脚本執筆前は、プレーヤーたちの体験や思いを知るために“取材”もしたという。「『ドラクエ』にすごくハマっている、仕事で会った人や友人たちに取材しました。『ドラクエってどこが一番面白かった? どこがショックだった?』と。いろんな人たちが共通して挙げることは、大事にしないといけないと思ったんです」と明かす。

https://mantan-web.jp/article/20190801dog00m200054000c.html

ここまで読み進めた時点で、先程のゴジラ -1.0の制作後に語られた内容と合わせて、私の中で山崎監督の作家性がある程度形になって見えてきた気がしました。

映画監督「山崎貴」の作家性

ここまで過去のインタビューからピックアップして山崎貴監督の作家性について考えた来たわけですが、一旦要点をまとめてみます。

  • まず作品の舞台設定から考える。過去の作品などと被らず、自然に「映画」になるような舞台を選ぶ。
  • 映画は基本的にエンタメ(=誰が見ても解釈が異ならないもの・良し悪しが明確に決まっているもの)として作る
  • ただし文芸作品的要素(=人によって解釈が異なるもの・良し悪しを割り切れないもの)も入れておく
  • 文芸作品的要素は人=登場人物と作中に登場するモノを通じて表現する
  • 文芸作品的要素はあえて強調せず気づく人だけ気づいてくれれば良い形にしておく
  • ストーリーの中核は「作中の舞台設定で、個人がどんな体験をしたか」を描く

こんなところでしょうか。さらに副次的な要素として今回の作品が「ゴジラ」であるという点も踏まえると次の点が挙げられます。

  • ゴジラに対しては特別な想いがあった
  • シン・ゴジラと被らないように作った
  • ゴジラ=祟り神であり、ゴジラ映画は「神事」であると解釈
  • 戦争というテーマについては子どもの頃から関心が強い(紫電改のタカ、はだしのゲンなど)
  • 親世代から戦争体験を聞いて育った
  • ほかにも戦前・戦中をテーマにした作品を多数撮っており、その過程で当時の調査や関係者への取材も十分に行っている

長くなりましたが、ここまでの検討を下敷きにして「ゴジラ -1.0で山崎貴は何を表現したかったのか」を次の記事で考察してみたいと思います。

投稿者:

コンテンツの魅どころ

Webライター・マーケティングコンサルタントとして活動しています。実務を通じて学んだマーケティングに関するノウハウや最新情報をわかりやすく提供していきたいと思っています。 また、時事に関わるニューズをマーケティング・ライティングといった切り口から解説してみたいと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

モバイルバージョンを終了