ノイエ銀英伝2話感想・考察その2「ヤンの存在意義と描かれなかった幻の作戦」

第2話「アスターテ会戦」より、今回取り上げるシーン

ヤン・ウェンリーが所属する第二艦隊は想定中域に向かったが、そこに帝国軍艦隊の姿はなかった。ヤンは帝国軍が各個撃破戦法をとったこと、最も数が少ない第四艦隊が真っ先に狙われたことを悟る。

 

司令官パエッタ中将から今後の取るべき行動を尋ねられたヤンは、「第六艦隊と合流し帝国軍と戦う」という方法を提案する。ヤンの策を採用する場合、現在敵の攻撃を受けているであろう第四艦隊を助けられないことから、パエッタはまたも難色を示す。

 

通信封鎖命令が出ている中、第六艦隊のラップ少佐からヤンに通信が入る。ヤンとラップは、想定中域に帝国軍がいないことや、今後予想される敵の動きについて話し合う。ラップもヤン同様、敵の動きを察知しており、「万が一のときはジェシカを頼む」とヤンに伝え通信は途切れた。

 

再度、策を進言するヤンだったが、パエッタは相変わらず耳を貸すことはなかった。

 

ヤンとパエッタの目的・優先順位のズレ

ラインハルトの各個撃破戦法により、同盟軍は先手を取られる格好になりました。第四艦隊は数的不利のまま敵の先制攻撃を許してしまい、今まさに壊滅の危機にある状況です。

 

司令官のパエッタ中将は、幕僚のヤンウェンリー准将に意見を求め、ヤンは「残る第六艦隊と合流し、帝国軍よりも数的に有利な状況を作り出した後に戦う」という作戦を提案します。戦況は事前にヤンが危惧していたとおりの展開になったわけですから、普通ならヤンの策を採用して挽回を図るのが得策のはずです。ところが、パエッタはヤンの策を却下し、帝国軍と戦っている第四艦隊の救援に向かう道を選びました。彼はなぜこのような決断を下したのでしょうか?

 

パエッタの発言を見ていると、彼が「第四艦隊の救援」にこだわっていることが見て取れます。一方、ヤンは必ずしも第四艦隊の救援にはこだわっておらず、それよりも敵の戦略的な意図をくじくこと、つまり「各個撃破戦法を封じること」を優先しているのがわかります。おそらくは、こうした目的のズレ、優先して行うべきことに対する認識の違いが意見の相違を招いたのでしょう。

 

ヤンは「今から行っても第四艦隊の救援には間に合わない」と主張しています。それに対してパエッタは、敵司令官のラインハルトが若く、経験に乏しいこと、第四艦隊のパストール中将が「百戦錬磨」である点などを挙げて反論しました。つまり、「司令官の経験の差も考慮に入れるべきだ」と主張したわけですが、結果的にみればこれは「希望的観測だった」と言わざるを得ないでしょう。

 

実際には、その「未熟な敵司令官」によって、「百戦錬磨の友軍司令官」が窮地に追いやられているわけですから、前述の「希望的観測」が成り立たないことは誰の目にも明らかです。ではなぜパエッタがそんなことにこだわってしまったのか、その理由はまだこの時点では描かれることはありません。明らかになるのはもう少し後の場面になります。

 

ヤンとラップの考えの一致を映像で表現

続いて、ヤンと第六艦隊幕僚・ジャン・ロベール・ラップ少佐との通信シーンを振り返ってみましょう。ヤンは准将、ラップは少佐と階級は大きく離れていますが、通信封鎖命令が出ているにもかかわらず直接通信をかけてきたこと、ヤンがラップをファーストネームで呼んでいることなどから、2人はプライベートでごく親しい関係にあるということがわかります。

 

このとき、ヤンとラップの顔が交互に映し出されますが、モニター越しのラップの顔はともかく、ヤンの顔も真正面ではなく、少し斜めから映したようなカットになっています。2人とも、目線は画面のやや右下を向いており、これは通信機のカメラで映し出された2人の顔を再現したカットだということがわかります。つまり、視聴者が見ているヤンの顔は、「通信相手であるラップの側から見たのと同じ角度」になっているということです。

 

会話の中で、2人は現在の戦局に対して、ほぼ同じ見解を示しています。つまり、2人は属する艦隊こそ戦場の両端にわかれているものの、考えは一致しているということです。2人のカットが同じアングルになるように描かれているのも、このことを映像面で表現しようとしたからでしょう。

 

ヤンとラップは、再び上官に取るべき策を進言することを確認し通信を終わろうとしますが、ラップはさらに付け加えて「万が一のときはジェシカを頼む」とヤンに告げました。その後、第1話で描かれた第六艦隊の壊滅のシーンが再び描かれることになりますが、新たにラップの最後を描いたシーンが追加されています。彼の自室と思われる部屋が移され、そこでヤンとラップ、もうひとりの女性が写った写真立てが倒れ、炎に包まれていきます。この写真の女性が「ジェシカ」だと視聴者にもわかるようになっているのですが、彼女がどんな人物なのか判明するのはまだ先の話です。

 

描かれなかったヤンの「幻の提言」

再び場面は第二艦隊旗艦・パトロクロスのブリッジに移ります。セリフはありませんが、一瞬だけブリッジのクルーが話し合い、一方が首を振るカットが挿入されていることに気がついたでしょうか。セリフによる説明はありませんが、これはおそらく、「第二艦隊は、第四艦隊の救援に向かったものの、すでに第四艦隊は壊滅しており、帝国軍艦隊の姿はなかった」ということを表しているのでしょう。本来ならセリフで説明したほうが丁寧ですが、1話と2話のここまでのシーンを見ていれば明らかなのであえて省略しているのがスマートなところです。

 

従って、この後ヤンがパエッタに話しかける際の「閣下、状況はおわかりのはずです」というセリフは、「(自分が先に伝えた通りの展開になったということが)おわかりのはずです」と言っているわけです。もちろん、単なる嫌味で言っているわけではありません。ラップと約束したように、再び司令官に自分の策を採用するよう促しているのです。

 

ですが、この時点でヤンがどんな提案をしたのかは、劇中では明らかにされていません。先程のシーンでは「第六艦隊との合流」を進言していましたが、それが却下された時点で「第六艦隊の壊滅」と、それに続く「帝国軍艦隊の第二艦隊への攻撃」は避けられない事態になっていたはずですから、ヤンも先程とは異なる別の策を進言していたと考えられます。

 

証拠はありませんが、おそらくヤンはパエッタに「撤退」を進言していたのではないでしょうか。ヤンはこれに先立って、敵の攻撃を受けている第四艦隊を「見捨てる」決断を下しています。もちろん、「今から行っても間に合わない」という理由があったからですが、だとしたら同様にすでに壊滅しているはずの第六艦隊も助けに行く理由はありません。残る第二艦隊だけでは、もはや帝国軍に数的優位はつくれないので、撤退を進言したとしても不思議はないでしょう。

 

そのように考えると、パエッタがヤンに「消極的ではない提言はないのかね」と言ったことも説明がつきます。撤退=消極的な策と一概に言えるわけではありませんが、パエッタが「敵に勝つ」ことにこだわっており、「負けないだけではダメ」と考えていることは前回の考察で取り上げたシーンでも描かれています。

 

 「戦場では戦略的に優位に立つことが最も大事」と主張

2話のここまでのシーンでヤン・ウェンリーは、「戦略的に敵より優位な状況を作る」ということを最も重視する人物として描かれています。「第六艦隊と合流して数的優位を作る」という作戦はもちろんですが、おそらくはそれに先立って提案し却下された策でも帝国軍が各個撃破戦法に出てくる可能性を予期し、それを防ぐための作戦を提案していたことでしょう。

 

一方、彼と対照的に描かれている司令官のパエッタは、「敵に勝つ」ことを最も重視する人物として描かれています。彼にとっての勝利とは、「戦闘で敵を撃破すること」を意味するはずです。常に戦略的な優位を築こうとするヤンの作戦が「消極的」に見えてしまうのは、こうした彼の価値観・考え方に原因があります。

 

銀河英雄伝説 Die Neue These(ノイエ銀英伝)の劇中では、一貫して「ヤンの考え方が正しく、パエッタの考え方は間違っている」という描かれ方がなされています。つまり、ヤン・ウェンリーというキャラクターは「戦場において指揮官が目指すべき正しい目的」を表現するためのキャラクターであると考えられます。同時に、本作はヤンを通じて「戦略的に優位に立つことこそ、戦場において最も重要なことである」と主張していることになります。

 

ですが、これは見かけほど単純な構図ではありません。パエッタは敵が第四艦隊に攻撃を加えていると知ったとき、「自分たちが合流するまで持ちこたえられるかもしれない」と繰り返し主張しました。これは結果的に見れば「希望的観測」だったわけですが、彼がその過程で述べた「現実は(ヤンのいうような)計算だけでは成立しない」というセリフも決して自己弁護のためだけのものだったとは言えないでしょう。

 

なぜなら、ヤンのように戦略的に優位に立つことを最優先するやり方を選ぶということは、「その過程で生まれる犠牲を享受する」ということになるからです。今回私は、「第六艦隊との合流が果たせなかった時点で、ヤンは撤退を進言したのではないか」という説を唱えました。もしこの考えが正しいとしたら、ヤンは「親友であるラップがいる艦隊を見捨てて撤退する」と進言したことになります。

 

帝国軍艦隊がヤンのいる第二艦隊を攻撃してきた時点では、まだヤンはラップの死を知りません。しかし、逆にいえば、友人がまだ生きている可能性が(限りなく低いとはいえ)あるにもかかわらず、彼らを見捨てることを選んだ、ということです。このような決断は、たとえそれが正しいと理屈ではわかっていたとしても、なかなかできることではありません。

 

パエッタは、物語上「無能な指揮官」として描かれてはいるものの、それは「ヤン=善人、パエッタ=悪人」というような単純な構図ではありません。捉えようによっては「パエッタよりもヤンのほうがよほど悪人である」と考えることもできるでしょう。「目的のために、ときには犠牲も必要になる」という戦場の冷酷な現実を、真正面から描こうとする作者・制作陣の意図が伝わってきます。

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Webライター・マーケティングコンサルタントとして活動しています。実務を通じて学んだマーケティングに関するノウハウや最新情報をわかりやすく提供していきたいと思っています。 また、時事に関わるニューズをマーケティング・ライティングといった切り口から解説してみたいと思います。

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